ihara4

井原正巳監督インタビュー(第4回)

【井原正巳】練習を全力でやらなければ外す。対話もしない

2016/2/4
昨季、井原正巳はアビスパ福岡の監督に就任すると、わずか1年でJ2下位だったクラブをJ1昇格に導いた。五輪代表と柏で8年間コーチを続け、監督は初経験だったにもかかわらず、なぜすぐに結果を出せたのか。
第1回:日本代表のシンボルが驚異のV字回復を果たした理由
第2回:諦めるな。息づくドーハやジョホールバルの経験
第3回:選手との関係以前にスタッフワークが生命線

選手との距離を取る

──スタッフとの距離感、関係性はよくわかりました。選手とはどうだったのでしょう。

井原:距離は置きましたね。

──ここもリーダーの個性が出る部分ですね。

そうですね。僕自身、コミュ二ケーションがうまくないんですよ。気の利いた話ができるわけでもないし、コミュ二ケーションを取り過ぎて何か軽はずみな発言で選手の迷いを生んだりするのも怖いんです。ですから発言する場合は良く考え、どう伝わるかも配慮しながら慎重に言います。選手はどう思っているか聞いていませんが。

──監督の話がうまくない、とは思いませんけれど。

自分から時々話しかけたりはしますけれど、それほど頻繁ではありません。そこはコーチ陣がとてもうまいんです。

──うまくいっているときはいいですが、たとえば選手を外す、ここは決断力とともにリーダーシップが問われますよね。

非常に重要な部分だと思います。選手に話すか、話さないか、使い分けています。ずっと起用していた選手を外す場合、外す要因を説明できる場合、たとえばコンディションが落ちてきた、試合の日程が厳しいから次の試合は休みだ、とはしっかり言います。伝える際は、一対一です。

戦術的な理由で相手を見た場合、このメンバーのほうがいいと判断した試合は、違うメンバーで戦う、と話をしました。

100%練習した選手のみ起用

──言わないケースは?

パフォーマンスが落ちる、全力で練習していないなど、僕自身が納得できない選手には一切何も言わない。選手のマネジメントのところでは一貫性を持って臨みました。特に起用法ですね。

100%じゃないなら試合には出さない、たとえそれが誰であっても、と徹底しました。

──具体的には?

細かい話になりますが、1週間の練習でしっかりとハードワークをしたかどうかで選手の起用を判断します。どれだけレギュラーで出ていても、どんなに活躍したとしても、週の前半の練習をしっかりこなせない選手は使わない。そういう起用法です。

──選手にとってはフェアですよね。

練習できていないけれど前節活躍したから、という理由では起用しない。選手には、言わなくても何が問題なのか自分自身で理解してもらわなければ。だから一切言わず、突き離すところは突き離す。しっかり考えて練習に全力を注いで、戻ってくればまた使います。それも大事なコミュニケーションだと思っている。

井原正巳(いはら・まさみ)1967年滋賀県出身。筑波大学在学中から日本代表としてプレーし、Jリーグでは横浜マリノス(現横浜F・マリノス)の中心選手として活躍。1994年W杯最終予選ではドーハの悲劇を経験するも、1998年W杯予選ではキャプテンとして突破に貢献した。日本代表キャップ数は歴代2位。2006年にS級指導者ライセンスを取得し、2008年北京五輪ではU-23日本代表のコーチを務めた。2009年から6年間柏レイソルのコーチを務め、2015年にアビスパ福岡の監督に就任。チームを5年ぶりのJ1昇格に導いた

井原正巳(いはら・まさみ)
1967年滋賀県出身。筑波大学在学中から日本代表としてプレーし、Jリーグでは横浜マリノス(現横浜F・マリノス)の中心選手として活躍。1994年W杯最終予選ではドーハの悲劇を経験するも、1998年W杯予選ではキャプテンとして突破に貢献した。日本代表キャップ数は歴代2位。2006年にS級指導者ライセンスを取得し、2008年北京五輪ではU-23日本代表のコーチを務めた。2009年から6年間柏レイソルのコーチを務め、2015年にアビスパ福岡の監督に就任。チームを5年ぶりのJ1昇格に導いた

選手を見極める基準は心の強さ

──ケガをした選手は無理をしませんか。

それはメディカルスタッフの仕事です。できる、できない、のジャッジは彼らが医学的な見地でします。ただ、最後のほうはスケジュールが過酷になりましたので、練習も抑えてコンディション調整を重視しましたが、選手はこうしたやり方には誰も不満を言いませんでしたね。

──痛みは選手によってそれぞれですよね。現役時代の監督や骨折しても走ってしまう中山雅史選手のように痛みにものすごく強い選手もいれば、小さな打撲でも痛がる選手もいます。

こういう起用法だと多少痛くても選手は練習しますよね。試合に出たいから。メディカルからこれはできる、これは厳しいと客観的に報告を受けますから、無理なら1週間待つから100%治して合流しよう、と言う。

メディカルは無理と判断しても、本人がやりたい、と直訴に来るか、できるところまでやらせてほしい、と言うか、診断もあるしここは休もうとなるのか、選手それぞれの反応もまったく違いますよね。

──若い選手の起用は難しいのでは?

自分に聞きに来る選手もいましたね。カントク、今日の練習やらないと次の試合は絡めませんよね? と。

──今の子ですねえ。

基準がありますよね、それぞれの。先程のゴン(中山)のようにものすごく強い選手がいる反面、弱い選手もいる。それを見極めるのも一つの指導です。でもね、結局最後は、ここに(心臓の辺りをこぶしで2度強く叩きながら)かかってくるんです。

ジンクスをもう一度破る

──5年ぶりにJ1に復帰します。どこまで戦えるでしょう。

冷静に考えて、プレーオフを戦ったJ2で3番目のクラブです。3位から上がったわけですし、プレーオフで圧勝したわけでもない。3位は3位。まだ何一つ残していませんし、J1でいかに戦い、いかに定着するかがテーマでしょう。自分たちの立ち位置は自覚しないと。

──プレーオフで昇格を決めた会見では、福岡旋風をとおっしゃった。

まずはしっかりと足元を見て、自分たちは一番下からスタートするチームだと自覚を持って。まずは残留のラインを早く、しっかりとクリアし、そこから上を目指していく戦いがしたいですね(今季始動時に勝ち点46と具体的に提示)。

鳥栖(サガン鳥栖)がダービーになりますし、残留は使命です。レベルは非常に高いですが覚悟を持って臨みます。選手もわかっている。

──昨季はスタートから追い込まれてしまいました。

今年も、最初から追い込まれていますね。J1ではサポーターの数も違いますから、ベンチの声が届かない試合もある。選手たちが一つずつ経験を積んで、乗り越えないと。自分にかかるプレッシャーといっても、上で戦う監督さんたちに比べればまだまだです。

──昇格プレーオフでは、3位から昇格できたクラブはなかった。そのジンクスを破りました。勝ち点を82も取った3位も初めてでしたね。

昇格プレーオフで上がったクラブは残留できない。これもジンクスですから絶対に破りたいですね。ブレずに、最後まで諦めない姿勢を貫きたい。

(写真:福田俊介)