「業界初」の連続
【新】中古車業界に革命起こす、ガリバー会長の「非常識」経営
2016/1/30
各界にパラダイムシフトを起こしてきたイノベーターたちは、どのような人生を送ってきたのか? 中古車業界の不透明なイメージを変えたガリバーインターナショナルの会長・羽鳥兼市氏。消費者の不安を解消すべく、車両の画像と基本データをネット上に公開して全国の店舗で販売する独自システム「ドルフィネット」を開発。中古車業界で初めて一部上場を果たす。「120歳まで生きる」が口癖で、70歳を過ぎてからユーラシア大陸横断マラソンに挑戦した。笑いあり涙ありのド根性一代記をたどる。全16話を毎日連続で公開。
70歳になるのを待って挑戦
私は64歳のときにマラソンでアメリカ大陸を、71歳でユーラシア大陸を横断しました。
日本は高齢化社会ですが、70歳や80歳で年を取ったなんて思ってちゃダメだ、まだまだ青春真っ只なかだということを身をもって示そうと考えて、わざわざ70歳になるのを待ってから、ユーラシア大陸横断マラソンに挑戦しました。
人類史上、70歳を超えてユーラシア大陸を走破した人はいません。
完走に要した日数は、実に1年1カ月。ユーラシア大陸はアメリカ大陸と違って、13カ国を走り抜けることになります──。
大きな夢を叶えるコツ
私がこんな非常識なことに挑戦した理由は、走る姿を通してうちの社員に伝えたいことがあったからです。
いまの時代、若者は「大きな夢を持ちなさい」「高い志を持ちなさい」と教えられます。
しかし大きな目標ばかり見ていると、今やっている仕事が小さく感じられて、「どうせこんな大きな夢には届かない」と思って諦めてしまう。
大きな夢を叶えるコツは──。
商売に目覚めた小学校時代
学校に行っても勉強どころじゃない。早く帰って納豆を売りたくて気もそぞろです。
そのうち気前のいい人を見つけて、売れ残るとそこへ行って買ってもらうことを覚えました。それはどこかというと──。
小さい男の子が「納豆買って」と言うと、「いいよ、置いてきな」と言ってくれる。
たまに「納豆、今日はいらないな」と言われる日もありますが、そんなときは、「これ全部売らないと、家に帰れないんだよ」などと言ってみる。
別に帰れないなんてことはないのですが、こう言うと、「じゃ、全部置いてきなさい」と買ってくれる──。
3万円のルノーを27万円で売る
2カ月粘って3万円で手にいれた真っ赤なルノーを、私はピカピカに塗装して新車同様に仕上げました。
うちの前に置いたとたん、「これ、売ってくれませんか」という人が現れました。
「30万ぐらいで売ってくれないですか」と言う。
3万円で手に入れた車ですが、塗装に5万~6万円はかかっています。それにしてもそんなに儲けちゃ悪い。
「じゃ、27万でいいですよ」と言ったら、27万円で売れました。
ルノーを売った27万円で、今度はモーターボートを買ったのです──。
大学進学を断念
大学進学は取りやめ、高校を卒業したら父の会社で働くことにしました。
決め手になったのは、今でも忘れない、父のこの言葉です。
「お前一人が大学に行っても、一人では大したことはできない。それよりも、大学に行っているはずの4年間で徹底的に商売のコツを教えてやる。お前が商売を日本一にする覚悟を持っていたら、いい大学を卒業した優秀な人に力を貸してもらえばいいんだ」
その言葉には、「他人に雇われて汲々として過ごすより、自分の道を信じて人から力を貸してもらえるようになれ」という意味が込められていました──。
なぜ儲からないのか
板金塗装の会社を始めましたが、これは儲からない仕事でした。
中古車のディーラーさんから、「これ、明日までに仕上げてくれ」という注文が入る。一晩寝ずに一生懸命仕上げて持っていっても、「ここ、仕上がりが悪い。やり直し」などと言われて、値段も徹底的に叩かれる。
「儲からないのはなぜなんだろう」と考えてわかりました。
われわれはディーラーの下にいて、ディーラーから仕事をもらう。ディーラーはお客さんから料金をもらってしっかり儲けている。
ということはディーラーから仕事を取っている限り儲からない。ならば直接お客さんから仕事を取ればいい。
直接、お客さんから仕事を取るにはどうしたらいいか──。
詐欺被害に遭い、倒産
社員から私の自宅に電話がかかってきました。
「事務所に来たけど、何もなくなっています」と言う。
本当にもぬけの殻です。たった1日で何もかも失いました。
「羽鳥総業、倒産」のニュースが新聞やテレビで報道されると、まさしく嵐のような事態に見舞われました。
怖い兄さんたちが、テレビだろうと応接セットだろうと、事務所にあるものをどんどん運び出してしまう。
朝になったら、車どころか自転車1台残っていませんでした──。
安っぽいプライド
「羽鳥」の名前では仕事ができないと思い、私はあこがれていた東京にちなんで、「東京マイカー販売」という名前をつけました。
あとは誰かに車を売りに行くだけです。
ところがそれが恥ずかしくて、なかなか動けない。私は20代半ばで専務になり、外車を乗り回していた人間です。それが倒産して無一文になったことは周囲に知れ渡っています。
「お金に困っているので、この車を買ってもらえませんか」と頭を下げに行くことは、どうしてもできなかった。
今思えば実に安っぽいプライドです──。
絶対に立ち上がってみせる!
チンピラごときに、夜逃げしていないのに夜逃げしたなどと言われる筋合いはない。
全身の血液が逆流したかと思うほど体が震え、怒りがこみ上げてきました。
そのとき決意したのです。「絶対に俺は立ち上がってみせる!」と──。
「真っ赤なカローラ」作戦
「いや、そんなの買っても使いようもねえし」としぶる相手に、トヨタからもらってきた新車のカローラのパンフレットを出す。
「これの前の前の型なんだけど、わかる?」
そう聞かれても、前の前の型なんて、どんな型だったか覚えている人はいない。でも新車に比べれば45万円は格安です。
次に、「もし買ってくれたら、真っ赤に塗ってやる、全塗装で」と言います。
すると先方の社長は、「この年齢で、真っ赤なカローラなんて乗ってられないべ」と、これ幸いに断わってくる。
「そうか、赤はダメか。じゃ、真っ黄色に塗ってやるよ」
「黄色の車なんて、田舎じゃ恥ずかしくて乗ってられないよ」
と、気がつくと色の話になっている。車を買う、買わないの話をしていたのに、買うことが前提になっているのです──。
中古車販売に本格参入
私はもともと車の修理のほうから中古車業界に入ったので、東京マイカー販売を始めたころは、中古車業界のことをよく知りませんでした。
しかし続けていくうちに、あまりにもひどい業界だということがだんだんわかってきたのです。
たとえば、走行距離を示すメーターを戻すのは当たり前。また、事故車なのにそれを隠して売ったりする。
買い取りをするときも、100万円の価値がある車なのに、お客さんが相場を知らないのをいいことに、20万、30万に買い叩いたりする。
アメリカでも、中古車の営業マンは2番目に信用できない人間だと言われていたそうです。1番は──。
買取専門のどこが画期的なのか
中古車の買取専門店は、それまで存在しませんでした。
買取専門ということは、買い取るばかりで売らないということです。
なぜそれでビジネスが成り立つのか、不思議に思うかもしれません──。
1994年、「ガリバー」誕生
中古車販売の仕事に携わっていくうちに、不透明なイメージのある中古車ビジネスを透明化し、お客様から信頼を得られるようにしたいという思いが強くなっていきました。
車の流通革命を成し遂げるには、確実に利益の出るビジネスモデルとして確立させる必要があります。
手応えを感じていましたが、福島の一買取店が「業界を変える」としても力が足りなかった。
そこで第一に考えたのが──。
バーチャルな販売展示場
次に私が挑戦したのが、まだインターネットがそれほど普及していない1990年代半ばに、人工衛星を使ってネットワークを構築し、中古車の画像やデータを見せて全国の店舗で売る「ドルフィネット」というシステムでした。
今でこそインターネットを通じた取引が当たり前になっていますが、当時は99%の人が「現物を見せず、試乗もさせないで、画像やデータだけで中古車を買うなんて非常識だ」と思っていました。
車のような値の張るものを、実物をこの目で見ずに買うような客はいないというわけです。
そこで考えたのが──。
東証一部上場を果たす
2003年に東証一部に上場しました。実は私は創業時から、上場ということを強く意識していました。
そもそも私がガリバーをつくったのは、不透明で排他的な中古車業界を変えるためです。そのためには、まず信用を勝ちとらなくちゃならない。
いちばん信用を勝ち取れることとは何か──。
東京・丸の内にオフィスを構える
現在、ガリバーの本社は東京の丸の内にあります。
「なぜこんな家賃の高い場所にいるのだろう」と思いませんか?
中古車屋の本社というと、郊外の砂利道を行った先にある、何万坪という広いスペースに車を1000台くらい並べ、プレハブ小屋の2階に事務所があるというイメージがあるでしょう。
ですから福島県や千葉県では、中古車屋の本社としてあまりにもふさわしすぎるのです。
じゃあ、日本一中古車屋らしくない場所はどこか──。
業界初「女性だけの店」
ガリバーは「業界初」のことに次々と挑戦してきました。その一つが2007年に、東京と千葉の2カ所に女性社員だけの店舗をつくったことです。
自動車業界というと、男の世界という感じがあるでしょう。ましてや中古車販売店は、女性にとって入りにくいところだと思います。
しかし、いまやドライバーの約半数は女性ですし、購買決定権はその家の主婦が握っています。
女性社員が接客してくれれば、女性客も店の敷居をまたぎやすいのではないでしょうか──。
2人の息子が同時に社長就任
私は2008年に社長を退き、会長になりました。
現在、長男と次男の2人が同時に社長を務めています。これも、ちょっとほかに例がない非常識なことでしょう。
2人の息子が「自分たちに社長をやらせてくれ」と言ってきたのです。
私の口癖は「120歳まで生きる」です。100歳までは仕事をするつもりなのに、60代で退くとは早すぎる。
社長が3人いたら、わけがわからなくなってしまうじゃないかと言うと、「いや、社長は会長になってほしい。自分たち2人で社長をやる」と言って譲りません。
「マスコミに相当叩かれるぞ」と言ったら、彼らの答えがふるっていました──。
連載「イノベーターズ・ライフ」をお楽しみに。本日、第1話を公開します(有料)。
【第1話】納豆売りの小学生。商売の面白さに目覚め、勉強どころじゃない
*目次
【第1話】納豆売りの小学生。商売の面白さに目覚め、勉強どころじゃない
【第2話】学校を休んで父親の仕事を見学。それが「最高の教育」だ
【第3話】16歳で人生初の「自動車出張買取」。3万のルノーを27万で売る
【第4話】他人に雇われるより、優秀な人から力を貸してもらえるようになれ
【第5話】板金塗装の会社、なぜ儲からない? 故障車を探して北から南へ
【第6話】事故車を見つけるため、警察も味方に。事業拡大する「羽鳥総業」
【第7話】詐欺に遭って倒産…。たった一晩で一文無しに転落
【第8話】チンピラの一言に怒り。「絶対に立ち上がってみせる!」と決意
【第9話】「真っ赤なカローラ」作戦で再スタート。3年で借金3億円返す
【第10話】ひどすぎる中古車業界を変えたい。世界初「車買取専門店」を設立
【第11話】ガリバー創業。目標は5年で500店舗、「車の流通革命」起こせ
【第12話】業界初、画像やデータで中古車を売る「ドルフィネット」の成功
【第13話】2人の息子がガリバー社長に就任する「非常識」を認めた理由
【第14話】日本一「中古車屋らしくない場所」にガリバー本社を構える
【第15話】71歳での挑戦「ユーラシア大陸横断マラソン」。若者よ、諦めるな
【最終話】走る姿を通して社員に伝えたい。「大きな夢を叶えるコツ」
(予告編構成:上田真緒、本編聞き手・構成:長山清子、撮影:遠藤素子)