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爆音、恐怖に震える女性、経済へ懸念……

ジャカルタ・テロ、そのとき何が。現場からの報告

2016/1/15
1月14日、ASEANで最大の経済規模を誇るインドネシアの首都ジャカルタで爆弾テロが発生。現場は日本大使館が近い目抜き通りだ。NewsPicks編集部では、現地在住でインドネシア通の大田中秀一氏に速報の現場ルポを依頼した。現地からの生々しい事件当時の様子を大田中氏の目を通じてお届けする。

 大田中さんプロフィール写真入り.001

第一報、「なんでそこなん?」

「タムリンのサリナで爆弾テロがあったらしい!」

その第一報がここバンドンの事務所に入ったのが午前11時前。「はあ? なんでそこなん?」。聞いた瞬間そう思った。

いつも見ているKompas、Antara、Metro TVなどのニュースサイトで状況確認を始めるものの、ほどなくほとんどつながらなくなってしまった。

事件発生当初、現地で出回った情報はこうだった。

“爆発音が6回聞こえた、ポスポリシ(派出所よりも小規模な、大きな交差点にある数人が待機できる詰め所みたいな箱)が銃撃された、スターバックスが爆破された、自爆テロだ、警察官1人死亡、3人重症、巻き添えになった一般市民3人が死亡した”

事件現場の写真。窓ガラスが散乱しており、爆風の強さを窺われる(筆者写真提供)

事件現場の写真。窓ガラスが散乱しており、爆風の強さがうかがわれる

現場付近の夜の様子。普段は慢性的な大渋滞だが、この日ばかりは不気味なほど静かだった(写真筆者提供)

現場付近の夜の様子。普段は慢性的な大渋滞だが、この日ばかりは不気味なほど静かだった

今までとは違うテロの標的

これまでの経験値や想像の範囲外の事態にますますわからなくなる。ニュース番組のコメンテーター風に言うと、“犯人像と目的が見えてこない”。

なぜ範囲外かというと、これまでのテロの標的は、オーストラリア大使館、バリのディスコ、欧米系のホテルなど、いわゆる“白人系”。

しかし今回は、スターバックスが米系というだけが過去との共通点だ。今回の標的は、1970年代にインドネシア初の百貨店として創業したサリナ・デパートの隣、日系企業が多数入居するスカイライン・ビル、警察詰め所と過去とは性質が違う。また、銃撃という手法も異なるのが気になる。

いったい誰が何のために? と。

日本人たちだけでなく、ローカルスタッフたちも「なぜ?」と首をかしげる。

場所的に真っ先に頭に浮かんだのは、そこから数百メートルのオフィスビルの28階にいる、取引先S社の皆さんの安否だ。LINEでコンタクトを取ってみたら、とても生々しい状況を聞くことになってしまった。

そのとき、日本人ビジネスマンたちは

まず、同じビルの別のフロアで商談をしていたHさん。

雷のような大きな音がしたが、今は雨期のため「また大雨が降るのか」という程度の認識をしていた。しかしもう一度同じような音がしたとき、顔を上げると、そこの社員が一斉に窓に張り付いているのが見えた。

ほぼ同時にすぐそこで爆弾テロが発生したとの第一報を受信した。これは打ち合わせどころではないと自社に戻った。そのときに3回目の大きな爆発音を聞いた。

直後にビルは封鎖され、出入りができなくなった。ショッピングアーケードやレストランも多数入居しているそのビルでは、店がどんどん閉まっていった。

一方その頃、同僚のOさん、Yさん、Sさんは商談のために訪れた、現場の隣のビルの前でクルマを待っていた。

いきなり鼓膜を破壊するほどの勢いの爆発音がしたのでびっくりしてそちらのほうを見た。野次馬が一斉に携帯を向けて写真を撮りに走っているのが見えた。

次の瞬間、上のほうからの銃撃が始まり、多くの人が倒れるのが見えたのでビルの中に逃げ込んだ。頃合いを見て裏通りを通って帰社した。Sさん(インドネシア人女性社員)は大泣きしながら崩れるように事務所に戻ったそうだ。

ビルの封鎖が解除されて外に出られたのは、面しているタムリン通りの封鎖が解除された17時少し前。

市民カメラマンがSNSで拡散

12時を過ぎたあたりになると、市民カメラマンが撮影した生々しい写真や動画がBBM(ブラックベリーメッセンジャー)、LINE、ワッツアップ(WhatsApp)を通して徐々にかつ一気に出回り始める。

テレビやネットではモザイクがかけられているような画像ももちろん未加工のためかなりの衝撃を受け、仕事をしている気分ではなくなってきたものの、力を振り絞って集中する。

SNSで出回った現場の写真。他にも「市民カメラマン」による写真がSNSで大量に流れた(写真提供筆者)

SNSで出回った現場の写真。ほかにも「市民カメラマン」による写真がSNSで大量に流れた

真偽不明も含め、そこで流れた情報はこうだ。

爆発物は40カ所、複数の犯人がライフルを持って中心地から南に逃げており、一般住民にも銃撃を行っているから外に出ないように……。

トルコ大使館とパキスタン大使館でも爆発があった!

爆発の報を受けドイツ大使館内はパニックに陥った……。

帰宅してから各局ニュース番組を未明までチェックした。

テレビでは何人かのアナリストが状況分析を行い、警察発表を流し、目撃者をスタジオに呼んで、本人が撮影した映像を見ながらそのときの状況を解説したり、被害者が入院している病院の情報を出したりしていた。

だが、ISが犯行声明を出した以外の大きな情報はなかった。その犯行声明も、本当にISによるものかは不明だ。

報道内容を総括すると、その時点での死者7人(うち犯人グループ5人、カナダ国籍1人)、負傷者24人(うち外国籍4人)になった。

現地のテレビで放送されたジョコ大統領の会見の様子(写真筆者提供)

現地のテレビで放送されたジョコ大統領の会見の様子

懸念されるビジネスへの影響

個人のつてをたどって情報入手する過程で、それぞれの興味深い行動や思考が明らかになった。

華僑系の企業オーナーは開口一番「ルピアが500下がったで! 株価も動いた!!」と言い、日系企業の駐在員は、ただでさえ落ち込んで復活の兆しが見えないこの国の経済の先行きを憂う。

自動車も100万台割れは確実、二輪車は600万台に遠く届かないのではないか? 投資が冷え込むのではないか? もし続けて起こるようなことがあれば致命傷になりかねない、と。

日系企業は日本からの出張禁止、こちらでは出社しても外出禁止、ゴルフコンペ中止、ミーティングの延期などの動きが出始めている。

思い出の場所、実家が爆破されたのと同じだ

いろんな人から話を聞き、出回っている写真を見ながらニュースを見ていると、涙が出そうになるものの出るわけでもなく、怒りがこみあげてくるわけでもなく、テロリストへの憎しみが爆発するわけでもない。

言葉でうまく表現できないが、こう、胸のあたりがむずむずもやもやした感情とも状態とも言えない感じがしてきた。

少年期にこちらでともに暮らした同級生たちからの安否確認と、第2の故郷で起こった事件に心が痛むとのメッセージを読み、さらにもやもや感が募る。

場所が思い出ど真ん中だから。

やや大げさながら実家が爆破されたに等しい感情が湧き上がる。

事件現場が示唆する「もやもや」

テロそのものについてに話を戻すと、「なんでそこでそれやねん?!」と思いながら地図を俯瞰する。

現場は、戦前に栄えた港近くのいわゆる旧バタヴィア地区でなく、1970年前後を境に栄えてきた場所、独立記念塔、大統領官邸、中央銀行、政府関係施設、放送局、通りの裏には政府高官も多数居住する高級住宅街メンテン地区がそれぞれ数百メートルの範囲にあることが見える。

この場所で起こったということと、今の経済状況(とは言っても、スハルト体制崩壊以降の一部階層に密かに渦巻く、もやもやとしたもの)を合わせてみると、今回のテロの意味、どこで再発する危険性があるのかないのかを占うことができるような気もするが、その方面の分析はその道の専門家に委ねたい。

(バナー写真:ロイター/アフロ、文中写真:筆者提供、編集:川端隆史)