「先見力」とは何か
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実際に未来を完全に正しく予測することはできない。
しかし、予測しようと試みる姿勢を持ち、知識を進歩させ経験を積んでいくことには大きな価値がある。
エルンスト・マッハは科学における探求の意味をこう語る。
「あらゆる科学は、事実を思考の中に模写することで経験と置き換わる。
つまり経験を節約する。
ある個人の経験を伝えることによって、別の個人がその経験をしなくてもすむようにする」
そして原因によって結果を予測する、ということしがちな我々に対して、大変興味深いことを述べている。
「私たちが原因と結果について語るのは、要因間の連関に注意を払わなければならないと恣意的に強調しているときである。
自然界には原因も結果も存在しない。自然は一回しか存在しない。
私たちが原因と結果というものを考えるのは、事実を模写するという目的のために行う抽象の中にだけ存在するものである。
そしてある事実を熟知するようになれば、連関を強調する必要はなくなる。
熱は蒸気の圧力の原因である。しかしこれを熟知すると、蒸気を考えるときは同時にその温度と圧力を考えられるようになる。
酸はリトマス紙の色を変化させる原因である。そしてこれも熟知すると、リトマス紙の色の変化は酸の性質であると考えられるようになる。」
常に事実に向き合い、科学を進化させ、知識を得て経験として蓄積させていくこと、その水準が高ければ高いほど予見できるものは増えていく。
確かにそれらがなくても予見できたように思えることもあるが、それはただのまぐれ当たりであり、一定の確率でまぐれ当たりは起こる。そんなものはあてにできない。
未来を予測することはできない。
しかし、予測しようと試みる姿勢を持ち、科学を進歩させ経験を節約し、更に高度にその先へと科学を進歩させてきたことの繰り返しが、我々の現在を作ってきたことは間違いない。
未来を予測しようとすること自体に意味があるのだ。
さあ未来を予測しよう。局所的な知見は必要なものの、それだけだと視野が狭すぎる。パラメーターがどんどん変わるような大きな流れを常に意識できて初めて先見力が身に付く。それは後天的にできること。勉強になります。