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フロンティアスピリットに突き動かされて

【新】千本倖生。イー・アクセス、DDIを創った男の革命人生

2016/1/9
各界にパラダイムシフトを起こしてきたイノベーターたちは、どのような人生を送ってきたのか? 情報通信が世界に与える影響を見据え、日本電信電話公社(現NTT)に就職した千本倖生氏は、アメリカ留学中にフロンティアスピリットに触れ、第二電電(DDI、現KDDI)を稲盛和夫氏と共同創業。その後、イー・アクセス(現ワイモバイル)を創業し、日本の通信業界に革命を起こし続けてきた。現在は再生可能エネルギー事業を開発するベンチャー企業・レノバの会長として邁進する。飽くなき挑戦に駆り立てる千本氏の志に迫った。全16話を毎日連続で公開。

公に働ける企業を目指して

就職するならどのような世界へ進むべきか。

当時考えていたのは、身につけた電子工学の技術を生かせて、なおかつ絶対に潰れないところに勤めるべきだ、ということでした。

できることなら単なる利益追求の私企業ではなく、「公」、パブリックで国に役立つ組織で働きたい。

つまり当時の僕は、中小企業やベンチャーとはまったく真逆の組織を目指していたわけです──。

巨大組織で社会人の“基礎工事”

社会人生活のスタートは、成城学園の北に設けられた電電公社(現NTT)の中央研修所から。4人1部屋の寮生活を送りながら、まずは最初の3カ月でビジネスの基礎を叩きこまれます。

組織のルール、組織人としての教育を、たっぷり時間をかけて教え込まれたことは、その後のキャリアにも大いに役立っていると思います。

昨今のベンチャー企業、とりわけ大学を出てそのまま会社を起こす人たちを見ていると、そうした“基礎工事”の経験なしに会社を立ち上げて大いに苦労しているのを目の当たりにします。

この世の中、基礎が不十分なまま船出すると陥りやすい“穴”が、たくさん存在しています──。

ルームメイトの罵倒

アメリカでの留学生活がおおむね順調にまわり始めたように思い始めた頃、人生を左右するようなショッキングな出来事がありました。

ルームメイトがある日、「君は日本でどういう会社に勤めていたんだ?」と聞いてきました。

僕は少し胸を張りながら、「国の資本で営まれている、日本で唯一にして最大の電話会社に勤めているよ。国中のエリートが集まる、30万人規模の巨大企業なんだ」と答えました。

すると、彼はそれまで使ったこともない汚い言葉で僕を罵ったのです。「ダム!(このクソ野郎)」と。

僕は一瞬わけがわからずポカンとしてしまいました──。

世界標準との大きなズレ

グローバルな視点から電電公社を見てみると、さまざまな違和感が目につきました。

そもそも巨大な一企業が何の競争もなく市場を独占している状態は、やはり不自然です。

通信事業のすべてを牛耳り、料金設定もすべて独断で決められてしまう現状は、ユーザーにとっても好ましいものではないはず。これは世界標準からも大きくズレた状態でした。

ちなみにアメリカでは、当時すでに日本の10分の1程度の通話料が当たり前。なぜ同じ仕組みを使って同じサービスを提供しているのに、これほど価格に差が生じるのか?

こうした世界の流れから大きくズレたものは、必ず是正されるのが歴史の常です。

その修正を早めるようなビジネスこそが、大きく伸びるビジネスであり、正す歪みが大きければ大きいほど、ビジネススケールも巨大になる。そう考えていました──。

松下翁89歳の情熱

当時の僕は41歳。松下翁への面会を求める者としては、あまりにも若輩です。

あの“経営の神様”にお目にかかるということで、緊張もしていました。

松下の今後、日本経済の今後などについて、ひとしきり雑談を交わす貴重なひとときとなりました。

松下としては、それまでの白物家電重視の路線から、経営改革をはからなければならないという意識が日増しに強まっていたタイミングのようで、「これからはITがクリティカルになりますよ」と話すと、松下翁は目をらんらんと輝かせて興味を寄せてくれました──。

稲盛氏に思いをぶつける

僕は熱く、思いの丈を稲盛和夫氏にぶつけました。

「大きな変化が起これば、大きなビジネスチャンスが生まれる。その時、稲盛さんのような第一級の経営者が参画してくれれば、日本の通信業界は必ず活性化し、ひいては日本経済全体を牽引するような市場に育つはず」

当時、京セラはまだ数千億円規模の大企業でしたが、絶対に第一級の超優良企業になるはずだと僕は確信するに至りました。

日本の通信業界を改革する経営者は、稲盛氏しかいない。

率直に「通信事業を行う、日本で2つ目の会社を創りませんか」と申し出ました──。

今だから語れる数々の妨害

僕の退職を良く思わない人も大勢いました。まして、単なる退職ではなく、わざわざライバル会社を創ると公言して去ろうとしているのです。

一部の幹部からは、面と向かってはっきりと、「絶対に認めないぞ。どうしても辞めるというなら、新会社が立ち行かないようにしてやるからな」と恫喝されたこともありました。

また、マスコミにも何度となく、「脱藩」や「反旗を翻した」といったネガティブな表現で報じられたものです。

DDI創設初期には、他言できないような数々の妨害を受けました。

駅のホームを歩く際も、迂闊に線路側を歩くことができないような状況でしたから、なんとも穏やかではありません。

現在の事情とは異なり、当時のベンチャーというのは暴風の中に立つ一本杉のようなものでした──。

新電電3社のトップに躍進

やがてユーザー獲得数で日本テレコムと日本移動通信を抜き、DDIが新電電3社の中でトップに躍り出ます。

しかし、その発表からわずか3カ月後には、森山社長が病に倒れ、急逝。享年61歳というあまりにも若い死に、DDIは大きなショックを受けました。

いわば森山社長は、創業の苦労に全身全霊を傾けて戦死していったのに等しく、彼を弔うためには、会社そのものを成功に導くほかありませんでした。

DDIはその半年後に黒字転換するという、驚異的な躍進を遂げます──。

新たなベンチャー企業の立ち上げ

日本とアメリカの間には、インターネット環境に大きな差が生じていました。

ある日、第二電電時代から交流のあったエリック・ガンと話す中で、「このままでは日本のインターネットは世界から取り残されてしまう」という意見で一致しました。

僕とエリックは、日本のブロードバンド事情に革命を起こすことを目標に、ベンチャー企業を立ち上げようと手を組むことになります──。

障壁、一番長い夜

イー・アクセスがADSLサービスを開始した2000年9月時点での加入者は、日本全国でわずか3000回線にすぎませんでしたが、翌春には早くも10万回線を突破、さらに秋には100万回線を超えるなど、急成長を遂げていました。

世の中はブロードバンド化に向けて、急速に変化していたのです。イー・アクセスもユーザー数を急激に増加させていました。

障壁がなかったわけではありません。NTTが持つ公衆回線を、ADSLサービスのためにすんなり開放してくれるのかどうかが最初の焦点であり、案の定、NTTの対応は渋いものでした。

また、孫正義氏率いるソフトバンクグループの「Yahoo! BB」攻勢にも、一時期苦しめられました。

対応策を考え抜いた夜は人生で「一番長い夜」でした。

結果的に、それはすでに完璧であると思っていた自社のビジネス・プランを見直し、ソフトバンクに負けない価格を打ち出すヒントにつながりました。

孫さんの参入で競争が生まれ、フェアな競争の中で価格が引き下がり、ユーザー数のさらなる増大が達成された結果、僕と孫さんは日本のブロードバンド革命に貢献できたのです──。

イー・アクセスを売却した理由

イー・アクセスを、今から3年前にソフトバンクに売却したことは、新聞その他で大きく報じられたので、皆さんもよくご存じでしょう。

複数の引き合いがあったなかで、なぜ売却先がソフトバンクだったのかという点について、さまざまな憶測も流れていました。

イー・アクセスにしてもイー・モバイルにしても、軌道に乗せるまでに苦労はあったものの、そのままスタンドアロンでもやっていける手応えは持っていました。

むしろ、これから大きく会社を育て、出資者に還元していかなければならないというタイミングで、孫正義さんから「会いたい」と連絡を受けました──。

再生可能エネルギー事業に着手

イー・アクセスの取締役名誉会長を退いてから1年半。

現在は再生可能エネルギー電源の開発事業を展開する、レノバというベンチャー企業の会長職に就任し、慌ただしい日々を送っています。

1990年代の終わり頃、慶應義塾大学で教授をやっていた際、私の講義を受講していた社会人学生と、「これからは再生可能エネルギーが注目されることになる」と、一緒にベンチャー企業を立ち上げました。

しかし、当時は世間からまるで理解されず、再生可能エネルギーはほぼネグレクトされている状態。電力会社からは目の敵にされ、まさしく四面楚歌の中での起業であったことが思い出されます。

ベンチャー企業の苦労を誰よりも知るからこそ、まったくの独立ベンチャーのレノバが大きな会社の庇護もない状態で、若い世代が日本の未来を考えて果敢に取り組んでいる姿を見て、「これはぜひ力になりたい」と強く思ったのでした──。

ベンチャー経営者へ

ベンチャー経営者たる者、自分で枠をつくってはいけません。

何事も“こんなものかな”と思った時、人は成長を止めるものなのです。せっかくベンチャーという選択肢を取るからには、可能性を最大限に追い求めてほしい。

レノバに限らず、すべての若き経営者に、僕は切にそう願うのです──。

連載「イノベーターズ・ライフ」をお楽しみに。本日、第1話を公開します(有料)。

【第1話】父の苦労を見て「事業を起こすなんて、絶対にやるものではない」
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*目次
【第1話】父の苦労を見て「事業を起こすなんて、絶対にやるものではない」
【第2話】生を与えられた以上、世の中を少しでも良い方向に前進させたい
【第3話】利益追求の私企業ではなく、公の組織で働きたい。電電公社に入社
【第4話】組織で最初に叩きこまれる「ビジネスの基礎」がキャリアに役立つ
【第5話】アメリカ留学。「2つの空気」がベンチャースピリットを育む
【第6話】胸を張って答えた勤務先。ルームメイトの罵倒で価値観が変わった
【第7話】教授の予言に刺激。日本社会を自らの手で切り開いてやろう
【第8話】世界と日本の通話料にズレ。歪みを正すときにビジネスが生まれる
【第9話】松下幸之助89歳に意見。「松下も情報産業にシフトすべきです」
【第10話】稲盛和夫氏に「日本で2つ目の通信会社をつくりませんか」
【第11話】電電公社を退職。第二電電(DDI)設立で発生した逆風とエール
【第12話】DDI「東京・名古屋・大阪を結ぶ構想」に立ちはだかる壁
【第13話】DDI躍進の陰で、利権死守団体から妨害。暴風の中に立つ一本杉
【第14話】DDI退社。若者の起業家精神を養うため、日本ベンチャー学会を創設
【第15話】イー・アクセス創業。孫正義氏からの連絡、会社を売却した理由
【最終話】再生可能エネルギー事業に邁進。自分で枠をつくってはいけない

(予告編構成:上田真緒、本編聞き手・構成:友清 哲、撮影:竹井俊晴)