Germany v Argentina - FIFA World Cup Brazil 2014 - Final

サッカーと移民・第1回

サッカーが促進する移民との融和

2016/1/9

欧州で暮らすうえで「移民統合問題」は避けて通れないテーマである。特にフランスでのテロを含めたここ最近の情勢を考えると、再認識すべき時が来ている。

私が卒業した「ブンデスリーガ・スポーツマネジメント・アカデミー」でも、「移民統合問題」は常に考慮すべきポイントだった。

このテーマについて、「ブンデスリーガ・スポーツマネジメント・アカデミー」で語られたこと、ドイツ語圏で現在起きていること、そして18年間に及ぶ指導者人生の中で20カ国以上のサッカー選手たちと関わってきた現場での経験などを3回にわたってお話ししたい。

社会の象徴と言えるドイツ代表

今でこそたくさんの移民系選手がドイツ代表やオーストリア代表でプレーするようになったが、私が欧州に移住した1995年当時は、移民系選手に対しての風当たりは強かった。

1990年ワールドカップ(W杯)で優勝した西ドイツ代表を思い出してほしい。アフリカ系やアジア系はもちろん、数百万人が住んでいたとされるトルコ系や旧ユーゴスラビア系も入っていなかった。

しかしここ10年、社会的な風潮の変化、国籍に関する法律の改正、そして各国サッカー協会の取り組みによって、ドイツ語圏(ドイツ、オーストリア、スイス)の代表チームの「多国籍化」が大幅に進んだ。

移民系選手がどれくらい増えたか、1990年代と現在を比較してみた。

【ドイツ代表】
1990年イタリアW杯:22人中0人

2015年11月フランス戦:24人中9人

*サミ・ケディラ(チュニジア系)、メスト・エジル(トルコ系)、ジェローム・ボアテング(ガーナ系)が代表例

【オーストリア代表】
1990年イタリアW杯:22人中1人

2015年10月リヒテンシュタイン戦:23人中8人

*ダヴィド・アラバ(ナイジェリアとフィリピン系)、マルコ・アルナウトヴィッチ(セルビア系)が代表例

【スイス代表】
1994年アメリカW杯:22人中4人

2015年10月エストニア戦:20人中12人

*ジェルダン・シャキリ(コソボ系)、グラニト・シャカ(アルバニア系)が代表例

トルコ系のエジルは、ドイツ代表の2014年W杯優勝に大きく貢献した(写真:Action Images/アフロ)

トルコ系のエジルは、ドイツ代表の2014年W杯優勝に大きく貢献した(写真:Action Images/アフロ)

移民系選手の選択も変化

移民系選手自身の決断の変化も、融和を後押ししている。

2000年ごろまでは、ドイツの移民系選手の多くは、親のルーツの国の代表を選択していた。代表的なのは、ガーナ代表を選択したアッドやサルペイ、クロアチア代表を選択したコヴァッチ兄弟、そしてトルコ代表を選択したバストゥルクやアルティントップ兄弟である。

特にトルコ系移民の間では、自分たちがドイツ社会に受け入れられていないという考えが浸透していた。そのためトルコに実際に住んだ経験がないのにもかかわらず、トルコ代表を選ぶことが多かった。

トルコサッカー協会は、ドイツのドルトムントに事務所を開き、積極的にヨーロッパ中に散らばるトルコ系の移民選手をスカウティングした。選手や両親と面会し、「君の真の祖国トルコのために一緒に戦おう!」と熱く勧誘するのである。トルコサッカー協会にとって、それだけ戦力として魅力的だったからだ。

しかし2000年を過ぎると、ドイツ、オーストリア、スイスのサッカー協会も移民系選手の価値に気づき始め、積極的に移民系の選手を自国の代表に取り込むようになった。その結果、生まれ育った国の代表を選ぶ移民系選手が増え始めたのである。

同時期に、ドイツ語圏の社会に変化があったことも忘れてはならない。

政府の長年にわたる移民受け入れ政策や啓蒙活動、教育が功を奏し、社会が移民に対して寛容になっていた。また、右翼的な考えを持つ人々の高齢化によって、彼らが政治的に権力のあるポジションから減っていったことも一因だろう。

【目次】
第1回:サッカーが促進する移民との融和
第2回:なぜ移民はサッカーを選ぶのか
第3回:移民との間に存在する恐れと壁

*第2回は1月13日に掲載する予定です。