バーレーンとスーダンがイランとの外交関係断絶
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バーレーンがイランと断交した理由としては、単にスンニーvsシーアだけでは捉えられないと思います。重要な要素ではありますが、下記のようなサウジに対する安全保障上の依存が効いていると思われます。
バーレーンは、サウジアラビアに相当依存している国。1986年にはバーレーンとサウジを結ぶ橋が出来ていますし、2011年の真珠広場のデモもサウジが介入しています。「アラブの春」のなかで、早い段階でデモが発生したのもバーレーン。安定性に問題を抱えている国です。
こうしたことを考えると、サウジに対する依存から追随したとも解釈が出来ます。もちろん、国内では少数派のスンニー派王家が支配して、国民の7割がシーア派というねじれも影響しているでしょう。
ただ、「現代アラブを知るための56章」p.299によれば「大学や職場では宗派に囚われない個人間の付き合いが普通に観察される」とも報告されています。
宗派間の問題だけではなく、安全保障上の理由からバーレーンがイランと断交したとも考えられるのではないでしょうか。
バーレーンについての基礎情報は下記から。1932年に石油生産を商業化し中東の石油ブームとなった国ですが、今では金融の国。アラブ首長国連邦ドバイ首長国の後塵を拝している観がありますが、イスラーム金融の制度作りでは、「東のマレーシア、西のバーレーン」と呼ばれるほど(と私が勝手に呼んでいますが)。
CIA(英語)
https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/ba.html
日本外務省
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/bahrain/data.html
ちなみに、バーレーンの首都マナーマと聞いて、色々とピンとくる人は、インテリジェンス・諜報機関の事情通です。こちらも、「東のシンガポール、西のマナーマ」です。東南アジアから中東・マグリブあたりまでを横断的に観察をすると色々なことが見えてきます。
追記:宗派間対立、宗派間対立、とそとからレッテルを貼ることによって、現地で本当に宗派間対立になってしまう。過激派は、一般報道も自らの宣伝材料に使う。中東調査会高岡豊さんが以前指摘しています。
https://newspicks.com/news/1282630朝サウジアラビアがイランからの襲撃をうけ外交関係断絶したとあったが、バーレーンがそれに続いた形。
https://newspicks.com/news/1326566
バーレーンは下記記事にもあるが、国民の約7割はイスラム教シーア派にも関わらず、少数派であるスンニ派のハリファ王家が独裁制を敷いている変わった体制で、シーア派のイランと国民が接するのを嫌っていたので、この動きはごく自然という捉え方もできる。
http://mainichi.jp/articles/20150819/ddm/007/030/057000c