パリテロバナー.001

フランス移民 共存の苦悩(前編)

2016/1/1
パリでの同時多発テロ以降、フランスが大きな試練を迎えている。「自由と人権」を掲げつつも、テロのために治安維持を強化しなければならない現実に、フランス国民・政府はどう向き合っているのか。欧州情勢に精通する渡邊啓貴・東京外国語大学教授がフランスの今をリポートする。

貧困とテロ

パリで2015年11月13日に発生した同時多発テロ事件は、大きな犠牲と衝撃をフランスと世界に与えた。

パリ郊外のサッカースタジアム付近のバー、パリ市内のバタクラン劇場、市街地でのレストランなどを3グループがほぼ同時に襲撃、129人に上る死者と300人の負傷者をともなう大惨事だった。1月に風刺新聞『シャルリー・エブド』の社屋が襲撃されて一年もたたないうちのテロであった。

今回のテロが、これまでにない規模と組織性をもっていたことは、犯人逮捕劇がすぐにブリュッセル郊外のモレンベークにまでおよんだことで明らかであった。

今回のテロは「組織的なネットワークテロ」だった。2015年1月のテロが俗にいう「ローン・ウルフ」型の性格が強かったのとは異なっており、厳戒態勢の中、テロ続発の可能性に対する市民の不安は払しょくできない。

しかもフランス国籍の犯人が五人もいた。フランス国民の動揺は大きい。事件直後の世論調査(『フィガロ』紙11月18日付)では、「テロに脅威をもつ」人の割合は98%だった。

また今回のテロの直接的原因は9月下旬に始まるフランスの空爆にあった。1月のテロは、ムハンマドの風刺画をめぐる抗議のためのテロ行為に対する「言論の自由」をめぐる争いであったので、その狙いは大きく異なっている。

しかし、犯人の人物像が次第に明らかになるにつれて、そこには2つのテロの共通性が浮かび上がってくる。それは貧困であり、その中で社会適合できない移民第2世代の弱い青年たちの悲しい末路であった。

彼らは自分の住んでいるヨーロッパ先進社会に溶け込めず、貧しく劣悪な生活環境から抜け出せないまま、社会から疎外され、非行に走り、やがてイスラム原理主義の「悪魔の誘い」になびいていった。

テロから数日たった同月17日、オランド大統領は両院議員総会で「フランスは戦争状態にある」と断言し、「フランスは自由の国であり、……人権の祖国である」ことを強く主張し、テロに対して「国民的団結」と連帯を強調した。

物理的にテロを防ぐことに限界があるとすれば、フランスの近代市民社会の理念のもとに「心を一つにする」ことでしか、テロには対抗できない。それは、人権とデモクラシーに支えられた「理念の共和国」であるフランスのアイデンティティそのものである。

しかしテロの実行犯にとっては、このフランス的理想はいかにも空疎なものと響く。

テロリストの温床となった町

実行犯の一人のサラ・アブデスラムは、ブリュッセル郊外のモレンベーク市に逃げ帰った。彼が同じく今回のテロの実行犯である兄と暮らしたことのある場所だった。

18日に、パリ郊外サンドニ市で治安部隊との銃撃戦で死亡した、一連のテロの主犯アブデルハミド・アバウドもモレンベークで生まれ育った。

人口10万人のこの町は、9.11テロ直前に反アルカーイダ・親欧派の頭目のマスードの殺害、2004年3月のマドリードでの列車爆破テロ、2014年のブリュッセルのユダヤ人博物館の殺害事件の実行犯が住んでいたことで知られる。

人口の8割がイスラム教徒であり、若者の失業率は5割にも達する貧しい街で、武器取引も容易な街として知られる。

他方、サンドニ市も、もともとは中世以来の由緒ある寺院で有名な歴史的な町であるが、同時にパリ郊外のイスラム教徒が多く住む町でもある。シャルル・ドゴール空港に向かうパリ北郊外は移民の多い、治安の悪い地域として知られている。

アバウドに足がついたのは、じつは一本の電話であった。

アバウドはテロ犯行の直後、落ち着く先のないまま街を彷徨っていたが、着替えの服が必要だった。少なくとも背広が二着。

アバウドは17日の夜、従妹アスナ・アイト・ブラセンに電話した。緊張のなかで懸命に犯人の行方を追っていた治安当局は、そのとき彼らがどこにいるのか、つかんだのだ。アスナの携帯電話は麻薬密売で治安当局の盗聴の網にかかっていた。

アスナは従兄のアバウドとサンドニのアジトで銃撃戦の末死んだが、彼女もやはりパリ北郊外のもともと労働者や下層民が多い、クリシー・スー・ボワ市で生まれた。

記憶にある読者も多いと思うが、2005年11月、移民第2・第3世代の青少年が治安当局に追われ、変電所に逃げ込み感電死した事件をきっかけに同市とパリ市街で移民青年たちが暴動を起こし、それが全国に波及した。

一晩で1300台以上の自動車が路上で炎上した「パリ燃ゆ」と喧伝された事件は、このクリシー・スー・ボワ市での事件を発端とした。

*続きは明日掲載します。

渡邊啓貴(わたなべ・ひろたか)
東京外国語大学教授
1954年生まれ。83年、慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。1986年、パリ第一大学パンテオン・ソルボンヌ校 現代国際関係史専攻DEA修了。パリ高等研究大学院客員教授、ジョージ・ワシントン大学シグール・アジア研究センター客員教授などを経て、1999年より現職。著書に『現代フランス 「栄光の時代」の終焉、欧州への活路 』(岩波書店)など