年末年始企画バナー_20151217.001
一橋大学卒。マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、東日本大震災後、震災復興のための調査団体としてRCFを設立。現在は復興事業の立案・関係者調整を担う「復興・社会事業コーディネーター」として、30の政府機関・自治体、10の大手企業とプロジェクトを推進。著作に『社会のために働く』(講談社)、共著に『ニッポンのジレンマ ぼくらの日本改造論』(朝日新聞出版)、『「統治」を創造する』(春秋社)。

一橋大学卒。マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、東日本大震災後、震災復興のための調査団体としてRCFを設立。現在は復興事業の立案・関係者調整を担う「復興・社会事業コーディネーター」として、30の政府機関・自治体、10の大手企業とプロジェクトを推進。著作に『社会のために働く』(講談社)、共著に『ニッポンのジレンマ ぼくらの日本改造論』(朝日新聞出版)、『「統治」を創造する』(春秋社)。

2016年3月11日、東日本大震災から5年がたちます。「もう復興したんでしょ」「復興は無理なんでしょ」。極端な2つの意見が聞かれますが、いずれも正しくありません。5年間でどこまで復興は進んだのか、課題として何が残されているのか、改めて理解いただければと思います。

予測の3つのポイント

・2016年、被災地の避難者は減るものの、コミュニティが破壊されたため生活は簡単には戻らない。

・復興にはまちと産業の復興も欠かせない。地域の事業者が自分でリスクをとり、自力で事業を推進できるように政策を切り替えることが大事。

・生活でも産業でも、行政の役割を抑え、民間の役割をいかに増やすかが課題。

戻る住宅、戻らない生活

19万人。仮設住宅などで、今でも避難中の人の数です。ピークの47万人からは減ったものの大変な数字ですが、2016年には大きく減ることになります。公営住宅の完成が39%から2016年度末に88%にまで進むからです(※1)。

(※1)東日本大震災からの復興に向けた道のりと見通し(復興庁、 2015)

原発事故による避難者についても、2016年には帰還困難区域以外では避難指示が解除されますし、戻れない人への福島県内の公営住宅も整備が進みます。被災者の最大の望みは住宅ですから、5年たってようやく復興感を持てる人が増えます。

しかし住宅が戻ったとしても、生活は戻りません。津波と原発事故によって、隣近所のつながり(コミュニティ)は壊されました。公営住宅には別々の集落から集まっていますから、知り合いはいません。結果、自宅に引きこもることになり、70代以上の高齢者の4割が1人暮らしです。また、団地内の2割の人が互いに会話をしていません(※2)。

(※2)※2 応急仮設住宅・災害公営住宅生活環境調査報告書(いわて連携復興センター、 2015)

運動不足で高血圧や糖尿病といった生活習慣病も増えています。会話がないためにうつ病や不眠症にかかってしまう人もいます。福島県南相馬市小高地区では、67%が健康状態に不安を抱えていて、通院している人の75%は生活習慣病、12%は精神疾患を抱えています(※3)。

(※3)南相馬市小高区地域医療復興計画(2014)

行政としては、医療や福祉を充実させる政策が考えられますが、財政面でも人材面でも限界があります。地域の信頼関係(ソーシャルキャピタル)が高まり、支えあって病気や孤独を未然に防ぐことが必要です。その意味では行政よりも、地域側の取り組みが課題です。

インフラよりビジネスを戻せるか

まちと産業の復興も欠かせません。地域の皆さんが暮らすためには、サービスと雇用を供給する事業者が必要なのです。インフラは戻りました。がれきはなくなり、道路、学校、病院などは100%近く復旧済みです。漁港は96%が機能回復しています。水産加工工場も84%復旧しました。求人倍率は震災直後0.45倍になった被災沿岸で、いまは1.0倍を超えました(※1)。

ただし、施設が元に戻っても、ビジネスが戻るわけではありません。被災事業者の55%は売り上げが震災前以下です。沿岸の中心産業である水産・食品加工業に限っては74%が震災前以下です(※4)。また、雇用も被災事業者の45%が減ったままで、水産・食品加工業は63%が減らしています。取引先が戻らないのが一番の要因です。

(※4)※4 グループ補助金交付先アンケート調査(東北経済産業局、2015)

そもそも被災沿岸の産業は強くはありませんでした。岩手では、平均所得が盛岡で300万円ですが、沿岸では200万円程度でした。福島では双葉町や大熊町で400万円を超えていましたが、それは原発があったためです。

原発がない地域の平均所得は150万〜250万円です。弱かった産業を元に戻すだけでは復興にならないことに3県は気づいています。岩手県は三陸沿岸道整備をきっかけに、観光・水産業の高付加価値化を目指しています。宮城県は仙台空港の民営化や、漁業への株式会社参入を働きかけました。福島県はロボット産業を軸に据えつつあります。

行政の支援が続くと、市場がゆがみます。顧客価値を生み出すよりも、行政との関係強化に力を入れる事業者が生き残るからです。地域の事業者が自分でリスクをとり、自力で事業を推進できるように政策を切り替えることが求められています。

公助から共助への3つのキーワード

生活でも産業でも、行政の役割(公助)を抑え、企業・NPO・地域といった民間の役割(共助)をいかに増やすかが課題です。共助のための3つのキーワードを紹介します。

1つ目は「対等な官民連携」。東北では、行政が発注し民間が受注する、受発注(または上下)の関係が普通です。そうではなく、民間側が創意工夫し、地域が自立するための施策を行政に自主提案するような、対等な(または横の)官民連携が必要です。

2つ目は「三陸ブランド化」。被災沿岸で外貨を稼げる産業は水産加工業と観光です。これらの付加価値が高まり、働きたくなる産業となって、むしろ地域を支えてもらう必要があります。そのためには、東北の外に対して食や自然といった三陸の魅力をブランドとして認知させることが求められます。

3つ目は「非公式ネットワーク」。生活にせよ産業にせよ、共助にむけた成功事例はあります。しかし地域単位でタコツボ化していて、相互の連携はできていません。復興に取り組む個人間の非公式なネットワークを強め、組織を超えて連携することが必要です。

復興の課題は明確です。人材もいます。しかし行政主導のまま、民間同士が連携できずにいると、持続的な復興は実現しません。

増税までして復興は進められてきました。公助から共助の復興へと展開し、全国にその意義と手法を伝えることができるか、ぜひご注目いただければと思います。

(写真:reflap/iStock.com)