MMA - ONE Championship - Shinya Aoki v Koji Ando - Lightweight World Championship

リングの現実主義者(第8回)

群れない馴れない奢られない。格闘技界に染まらない3つのルール

2015/12/28
「天は自ら助くる者を助く」。富の集中や経済格差が広がる現代社会で、才能、家柄、時代に恵まれなかった“持たざる者たち”が、いかにして名を成してきたのか。彼ら、彼女らの立志伝が語られる「持たざる者の立身出世伝」。連載第1回は12月29日の「RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015」で、桜庭和志との日本人格闘家頂上決戦に挑む青木真也が登場。中学の柔道部では補欠だったにもかかわらず、総合格闘技の世界王者まで上り詰めた異端のファイターの思考法が明かされる。

バイトをする格闘家はプロでない

はっきり言えば、格闘技は恵まれていない世界だ。周りからも「格闘技はおカネにならないんでしょ」と言われることがよくある。ただ、そんな空気に甘んじてしまえば、自分の価値まで落とすことにつながりかねない。

格闘技界は、資格も試験もない。言ってしまえば、自分で「今日からプロ格闘家です」と名乗って、一回でも試合をすれば、その日から誰でもプロ格闘家になれてしまう。

ところが、実際に格闘技だけで生活している選手はほとんどいない。日本で専業の格闘家として活動している選手は、片手で足りるくらいの人数しかいない。ほとんどの選手は、ジムでのレッスン料や、アルバイトで生計を立てながら格闘技を続けている。

テレビの選手紹介では、格闘技を続けるためにアルバイト生活をしていることが、美談として扱われることが多い。

「やりたいことをやるために生活を犠牲にする」というストーリーは、一見すると美しいかもしれないが、実際はただの“逃げ”でしかない。それを表に出すことで、格闘技で食えないことの言い訳になってしまう。

僕は学生時代に「修斗」のチャンピオンになったときも、アルバイトは絶対にしなかった。もちろん、理由はある。時給1000円のために、練習時間がなくなってしまっては、本末転倒もいいところだからだ。

おカネがなく苦しい思いをしたことも確かにあった。ただ、目先の1000円を求めるよりも、しっかりとした練習で自分の体を鍛えたほうが、将来的な価値につながるはずだと信じてやっていた。

だからこそ、アルバイトを続けているような選手たちにとって、格闘技は職業ではないと思っている。フリーターが格闘家の顔も持っているだけだ。

青木真也(あおき・しんや) 1983年5月9日生まれ。静岡県出身。小学生の頃から柔道を始め、2002年に全日本ジュニア強化選手に選抜された。早稲田大学在学中に、柔道から総合格闘技に転身する。大学卒業後に静岡県警に就職するが、2カ月で退職して再び総合格闘家として活躍し、「DREAM」「ONE FC」で世界ライト級チャンピオンに輝く。12月29日の「RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015」で桜庭和志との日本人格闘家頂上決戦に挑む(写真:©JSM)

青木真也(あおき・しんや)
1983年5月9日生まれ。静岡県出身。小学生の頃から柔道を始め、2002年に全日本ジュニア強化選手に選抜された。早稲田大学在学中に、柔道から総合格闘技に転身する。大学卒業後に静岡県警に就職するが、2カ月で退職して再び総合格闘家として活躍し、「DREAM」「ONE FC」で世界ライト級チャンピオンに輝く。12月29日の「RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015」で桜庭和志との日本人格闘家頂上決戦に挑む(写真:©JSM)

比較対象は一流企業

僕はプロの格闘家として、曲がりなりにも10年間活動してきた。当然、格闘技一本で生きているという誇りもある。僕にとって、ほとんどの選手は比較対象にはならないし、比較されたくない。

格闘技のみで生活している僕にとっては、彼らは「格闘技ではない、別のことをやっている人たち」という認識が正しいと思っている。

比較ということに関すれば、大学の同級生には負けたくないという考えを持っている。僕は現在32歳だが、大学の同期の中には、一流企業に勤めていてすでに高い給料を稼いでいたり、大きなおカネを動かしていたりする友人も多い。

それぞれの話を聞けば、やはり刺激になる。

僕は格闘技が好きだからやっているけれど、「やりがい」だけがあればいいとは思わない。格闘技をやっていることに誇りを持っているからこそ、おカネも追い求めていかなければならない。

「やりがいを求めているからおカネは二の次」という考え方では、アルバイトをしながら格闘技を続けている選手と変わらない。

「やりがいでも、おカネでも負けない」という意地があるからこそ、ほかの格闘家の基準に染まらずにここまで来れたのだと思っている。

格闘技界の“豪快伝説”とは無縁

ほとんどの格闘家とは、考え方も見ている高みもまったく違うから、彼らと馴れ合うこともない。一緒にいると、感覚が狂ってしまって良くないと思っている。

たとえば、ファイトマネーの使い方一つとってもギャップは大きい。格闘技界は世間一般の考えとかけ離れているところがあり、いわゆる“豪快伝説”というような、稼いだファイトマネーを受け取った当日に使い切ってしまうような選手が少なくない。普段はおカネがなくて苦しい思いをしているにもかかわらず、後先考えずに使ってしまうのだ。

「何でも持ってこい。飲め。食え」という、都市伝説として聞くようなセリフが飛び交い、実際に会計となったときに「俺が払ってやるよ」と振る舞う。

“男気”や“ロマン”としてもてはやされるかもしれないけれど、奢っているのは僕よりもファイトマネーが低い選手ばかりだと聞く。身の丈に合わない考え方をすることがあまりに多いから、理解することはできない。

12月27日には、桜庭戦へ向けたメディアインタビューに出席した。2日後の試合に向けて、「仕上がりについては、合宿でいい過程は踏めた。試合をする覚悟もつくれたと思う。精神的にも肉体的にも良い状況」と口にした(写真:小谷紘友)

12月27日には、桜庭戦へ向けたメディアインタビューに出席した。2日後の試合に向けて、「仕上がりについては、合宿でいい過程は踏めた。試合をする覚悟もつくれたと思う。精神的にも肉体的にも良い状況」と口にした(写真:小谷紘友)

食事に誘われても“NO”と断る

“朱に交われば赤くなる”という言葉があるように、人間は良くも悪くも慣れてしまう生き物だ。いくら思考回路が違うからといって、格闘技界の文化にどっぷりハマってしまえば抜けられなくなってしまう。そうならないために、自分自身に課しているルールがある。

格闘技仲間と“一緒に食事をしない”ということだ。

一緒に食事に行くことから馴れ合いが始まる。それに大人数で会うことも極力避けるべきだ。人間は群れてしまうと、必然的に周囲に流されてしまう。そのためにも、常に距離を取り、“NO”と言える状況をつくっておかなければならない。

格闘技界では練習後の食事までがセットと考えられて、当然誘われることも多い。断れば誰でも感じ悪く思うだろうが、だからこそ最初が肝心になる。

食事に誘われても、はっきりと「すみません。申し訳ありませんが、僕は帰ります」と断ることが大事だ。「練習までは一緒にやる。ただ、それ以上は踏み込んでくるな」という一線を引かないといけない。

下手な言い訳をする必要はない。2度、3度断れば「アイツはメシに行かないから」と、誘われなくなる。しっかりと“NO”と言うことで、そういう雰囲気に持っていくことができる。周囲に合わせて、誘われるがままにズルズルと食事についていけば、知らず知らずのうちに格闘技界の文化に染まることになってしまう。

格闘技界から見れば、僕みたいに何にでも意味を見いだして、合理的な考え方をするというのは面倒で嫌な人間かもしれない。

ただ、やはり格闘技界は浮世離れしている世界。その浮世離れしている中に常に身を置いていれば、自分の感覚まで狂ってしまう。だから決して馴れ合うこともしないし、群れることもない。

向上心を維持するためには、常に孤独に身を置き、目線を高く設定しなければならないものだ。

*明日掲載の【第9話】「腕をへし折る格闘家のメンタリティ。練習は“心の栄養”」に続きます。

*目次
【予告】狂者か、改革者か。異端の格闘家・青木真也の流儀
【第1話】柔道部の補欠だった僕が、なぜ世界王者になれたのか
【第2話】早稲田柔道部を退部。警官は2カ月で退職。最後は総合格闘技を選ぶ
【第3話】所属団体の消滅。「居場所」がなくなる恐怖感
【第4話】リスクを取らなければ自分の価値は上がらない
【第5話】大衆を意識しないと食ってはいけない
【第6話】フリーランスの格闘家。買い叩かれないための交渉術
【第7話】勝つための大原則。「自流試合をする。他流試合はしない」
【第8話】群れない馴れない奢られない。格闘技界に染まらない3つのルール
【第9話】腕をへし折る格闘家のメンタリティ。練習は“心の栄養”
【最終話】35歳のとき世界最強をかけた戦いで引退する

(構成:箕輪厚介、小谷紘友、写真:Action Images/アフロ)