MMA: APR 17 Strike Force Nashville

リングの現実主義者(予告編)

【予告】狂者か、改革者か。異端の格闘家・青木真也の流儀

2015/12/20

明日が見えない恐怖

未来永劫(えいごう)続くと信じていた組織がもろくも崩れ去ったとき、青木真也は絶望に包まれた。

体中から汗が噴き出し、恐怖で震える手で預金通帳を開くと、否応なく現実が突き付けられた。毎月決まった日に、当たり前のように記帳されてきた給与が、振り込まれない──。

未入金を確認したことで、明日が見えない底知れぬ恐怖とともに、所属する格闘技団体の消滅をようやく実感することになった。

熱狂が渦巻いていた総合格闘技界

2006年に早稲田大学を卒業した青木は、地元の静岡県警に就職したものの、わずか2カ月で職を辞す。理由は、「一獲千金を狙える」と思った総合格闘技の世界に身を投じるためだった。

時の日本は、空前の総合格闘技ブームに沸いていた。目潰しや金的攻撃、頭突きなど、ごくわずかな行為を除けば、打撃や寝技、投げ技の「何でもアリ」の総合格闘技は、その残虐性も相まって異様な熱気を生み出していた。

番組がテレビのゴールデン帯で放送されれば高視聴率を叩き出し、毎年の大みそかに打たれる大規模イベントはすっかり年末の風物詩として定着した。疑いなく世界最高峰のリングが、日本にあったのだ。

そんな総合格闘技界に青木が飛び込んだのは、ブームの盛り上がりが最高潮に達しようかというタイミングに当たる。実際には学生時代から格闘家として活躍していたこともあり、安定した職業を投げ捨て、身一つで挑むことも不思議ではない状態だった。

ただ、そこはかつて公務員を選んだ人物である。格闘技界に飛び込む際に、月給契約という保険をかけていたのだ。

格闘技バブルの崩壊

格闘家としては異例といえる契約体系をもぎ取り、安定した生活基盤を築くことに成功すると、怖いものはなかった。

「『誰でも連れてこい』みたいな。『やってやるよ』と」

相手選手の顔面に拳を打ち込む青木(左)〈写真:Action Images/アフロ〉

相手選手の顔面に拳を打ち込む青木(左)〈写真:Action Images/アフロ〉

デビューから連戦連勝を果たし、団体の勢いと軌を一にするようにこの世の春を謳歌(おうか)していた。しかし、熱狂に浮かされて永遠に続くと信じていた好景気は、突如として終わりを迎える。
 
格闘技バブルがはじけたのだ。

「公務員みたいなもの。潰れないと思っていた」という団体は、2007年にアメリカ資本に買収され、以降の興行開催はなくなった。風船のように膨らみ続けた格闘技人気は一気にしぼみ、団体がなくなったことで青木が交渉の末につかんだ月給契約も、当然ながら水泡に帰した。

恐怖と絶望の副産物

実社会同様にバブル崩壊の反動は大きく、失われた10年がごとく、日本格闘技界は大不況に見舞われる。格闘技団体は旗揚げされては消え、旗揚げされては消えることを繰り返す。

選手たちのファイトマネーは下がり続け、多くの日本人格闘家が、アメリカの巨大格闘技団体の契約システムの一部として疲弊していくことになる。

ところが、出口の見えない格闘技不況が思いもよらない副産物を青木にもたらすことになる。

恐怖や絶望、恐れという感情は人間を突き動かすのだ。

組織に依存する危険性を、身をもって思い知らされていた青木は、一心不乱に情報を読みあさり、生き抜くすべを身に付ける。フリーランスの格闘家として、まさしく裸一貫で生き馬の目を抜くような世界をくぐり抜けていった。

交渉の席では国内外のネゴシエーターを向こうに回して腹を探り合い、リングの上では、相手の顔面に容赦なく拳を打ち込む。ギブアップしない相手の腕を締め上げ続け、へし折ったことすらある。

青木真也(あおき・しんや) 1983年5月9日生まれ。静岡県出身。小学生の頃から柔道をはじめ、2002年に全日本ジュニア強化選手に選抜された。早稲田大学在学中に、柔道から総合格闘技に転身する。大学卒業後に静岡県警に就職するが、2カ月で退職して再び総合格闘家として活躍し、「DREAM」、「ONE FC」で世界ライト級チャンピオンに輝く。12月29日の「RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015」で桜庭和志との日本人格闘家頂上決戦に挑む(写真:Fred Brooks/Icon SMI/アフロ)

青木真也(あおき・しんや)
1983年5月9日生まれ。静岡県出身。小学生の頃から柔道を始め、2002年に全日本ジュニア強化選手に選抜された。早稲田大学在学中に、柔道から総合格闘技に転身する。大学卒業後に静岡県警に就職するが、2カ月で退職して再び総合格闘家として活躍し、「DREAM」「ONE FC」で世界ライト級チャンピオンに輝く。12月29日の「RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015」で桜庭和志との日本人格闘家頂上決戦に挑む(写真:Action Imagesアフロ)

“持たざる者”の唯一の武器

現在も世界最高峰の格闘技団体である「UFC」参戦を望まれながらも、シンガポールに拠点を置き続ける。その生きざまは、「DREAM」と「ONE FC」の2団体で世界ライト級王者に上り詰めても、ときに憎悪の対象となり、ときに嘲笑(ちょうしょう)を買ってきた。

「『センスがない』と言われ続けてきた。コンプレックスは常に持っている」と自身でも認めるように、特別な才能も生まれ持った身体能力もない。所属団体が消滅するなど時代に恵まれたとも言い難い。それでも、毀誉褒貶(きよほうへん)にまみれながらも、ファイトマネーを上昇させ続ける稀有(けう)な存在であり、今ではアジア最高額が付くトップファイターとして君臨している。

中学校の柔道部では補欠だったという“持たざる者”が、いかにしてスターダムにのし上がったのか──。異端の格闘家、青木真也にとって、唯一の武器は「考え続ける力」だった。

*本連載は明日から10日連続で掲載予定です。

*目次
【第1話】柔道部の補欠だった僕が、なぜ世界王者になれたのか
【第2話】早稲田柔道部を退部。警官は2カ月で退職。最後は総合格闘技を選ぶ
【第3話】所属団体の消滅。「居場所」がなくなる恐怖感
【第4話】リスクを取らなければ自分の価値は上がらない
【第5話】大衆を意識しないと食ってはいけない
【第6話】フリーランスの格闘家。買い叩かれないための交渉術
【第7話】勝つための大原則。「自流試合をする。他流試合はしない」
【第8話】群れない馴れない奢られない。格闘界に染まらない3つのルール
【第9話】腕をへし折る格闘家のメンタリティ。練習は“心の栄養”
【最終話】35歳のとき世界最強をかけた戦いで引退する