SHIMOMURA 01-b

下村博文・前文部科学大臣インタビュー(前編)

なぜセンター試験を廃止できたのか。下村前大臣が挑んだ教育改革

2015/12/12

過去にこれほど話題になった文部科学省の大臣はいなかっただろう。

下村博文氏が文科省の大臣に在任した2年10カ月の間に、教育面では2020年度にセンター試験がなくなることが決まり、スポーツ面では東京五輪の招致に成功し、スポーツ庁も設置された。いいことばかりではなく、新国立競技場のデザイン見直し問題では対応が遅れ、渦中の人となった。

「文科省の大臣になるために議員になった」という下村氏は、何を成し遂げ、何を成し遂げられなかったのか。教育行政とスポーツ行政について話を聞いた。

*目次
前編:なぜセンター試験を廃止できたのか。下村前大臣が挑んだ教育改革
後編:スポーツは国を支える成長産業になる。税金の無駄遣いでない価値

マークシート方式の限界

──世間が一番驚いた教育改革が、センター試験の廃止だったように思います。2020年度にセンター試験がなくなる予定です。どんなビジョンを持って改革したのでしょうか。

下村:私が文部科学省の大臣に在任した2年10カ月の間に、67項目の「同時改革行程表」をつくって進めました。その一つが、高大接続・入学試験改革でした。

センター試験には限界があります。

与えられた選択肢から答えを一つ選ぶというマークシート方式で、暗記していることを正確に出せるかを問う試験です。それは近代工業化社会では必要となる能力ですが、今、世の中は情報化社会に移っている。

なぜ移ったかというと、暗記記憶はコンピュータやロボットのほうがはるかに優れているから。テクノロジーが発達して、日本の高度経済成長を支えた「高規格・高性能・大量生産」を、ほかの発展途上国が安いコストで実現できるようになった。

下村博文(しもむら・はくぶん) 1954年群馬県出身。9歳のときに父を交通事故で亡くし、高校・大学を奨学金で卒業。早稲田大学在学中に始めた学習塾が成功し、教育の世界へ進んだ。東京都議会議員を経て、1996年に衆議院議員初当選(現在7期目)。文部科学大臣政務官や内閣官房副長官を歴任。教育問題の第一人者として知られ、2012年12月から2015年10月まで文部科学大臣を務めた

下村博文(しもむら・はくぶん)
1954年群馬県出身。9歳のときに父を交通事故で亡くし、高校・大学を奨学金で卒業。早稲田大学在学中に始めた学習塾が成功し、教育の世界へ進んだ。東京都議会議員を経て、1996年に衆議院議員初当選(現在7期目)。文部科学大臣政務官や内閣官房副長官を歴任。教育問題の第一人者として知られ、2012年12月から2015年10月まで文部科学大臣を務めた

無から有を生み出す時代

では、今どんな能力が必要になっているのか。端的に言えば、3つあると思います。

1つ目はいろんな課題を主体的に解決していく能力。2つ目は企画力、創造力といったクリエイティブな能力。3つ目は、いたわりや人間的な感性、思いやりや優しさ。そういう能力が求められます。

今までは坂の上の雲があって、企業も社会もやるべき方向性が決まっていたから、それをキチッとやり遂げるテクノクラート的な人材が求められた。

工場でいえば優れた労働者。しっかり工程を守って、一定の品質以上のものを生産する。しかしそういう時代は終わって、無から有を生み出す時代になったのです。

上司の指示通りに動く社員は、近代工業化社会では通用したけれども、そういう社員だけの会社はもう成り立ちづらい。これからは一人ひとりの社員がいかに主体性を持って、自主的に、創造的に行動できるかにかかっています。

ロボットにはない感性

それからいくらコンピュータやロボットが発達しても、人間的な感性や思いやりから、物事を捉えるというのは必要な能力だと思うんですね。

たとえばサッカー日本代表キャプテンの長谷部誠選手は『心を整える。』という本を出していますが、身体を鍛えるだけでなく、精神的なものをすごく意識している。それが一流選手としての要素になっているんじゃないかなと思う。

ロボット的に適切であるかというよりは、人間的な感性ですよね。すでにそういう時代に世の中は移っているんですよ。

ところが大学入学試験ではそれは問われない。つまり教育の仕組みが遅れている。時代の変化に合わせた改革が、高大接続・入学試験改革です。

テストにおける客観と主観

──今まで約20年間改革の必要性が訴えられながら、なぜ実行できなかったんでしょう。文科省が保守的だったんでしょうか。

そうではなくて、点数による学力テストというのは、公正公平であることは間違いないんですよ。

100点満点の採点で、たとえば90点を合格ラインとしたら、1点でも足りなければ不合格になる。数字なら、誰が見ても納得できるんですね。

今必要となっている3つの能力を評価するには、面接試験や小論文が必要ですが、そうすると主観も入るわけです。

それから手間暇がかかりますよね。10万人が受けるような大学にとって、ものすごく大変な作業になる。そのコストをどうするのか。それから日本だったら、すぐに訴訟になるかもしれない。「なんでうちの子が落ちて、あの子が受かったんだ」と。

大学側は一番手っ取り早く効率的で、批判をされないやり方のほうが楽だし文句も言われない。

日本の大学の競争力が低下

しかし、それは大学の都合ですよね。学生の能力を引き出して伸ばして社会に出すということを考えたら、大学の教育改革が必要なんです。

これから日本の大学というのは、どんどん地盤沈下する可能性がある。実際、今年のタイムズ誌による世界大学ランキングで、東大と京大の順位が下がっていた。国際化に対応できていない。

国外ではアメリカもヨーロッパも先ほどのような入学試験はすでに実施しているんですね。その違いがこれからどんどん出てくるんだと思います。

過去50年で最長の在年期間

──抵抗勢力もいたと思いますが、なぜ改革を実行できたのでしょう。

1つは、2年10カ月間にわたって大臣をできたという在任期間の長さがあると思います。過去50年間で、文部科学大臣(文部大臣を含む)としては1番の長さなんですね。

民主党政権のときは、文科大臣は3年間で5人交代しました。半年に一度のペースです。これでは継続的で長期的な政策改革には着手できない。

やはり政治が安定していてこそ、じっくりと腰を据えて取り組める。教育改革を進められたのは、そういう期間の長さと、周りのバックアップのおかげだと思います。

それでも2年10カ月やっていた中で、最後の1年はいろいろな目に見えない抵抗があった。全然関係のない政治とカネの問題で、週刊誌に批判されたりとか、国会で質問されたりとか。近々、これはまったく問題なかったとわかると思うんですけど、そういう抵抗はありました。

中学校時代はサッカー部に所属していた

中学校時代はサッカー部に所属していた

改革を30年準備してきた

──たとえ在任期間が長くても、抵抗を乗り越えるのは簡単ではないと思います。ほかの要因は?

あとは私が文科大臣になる前から、「文科大臣になったときに何をやりたいか」ということを準備していたことが大きかったと思います。

今年、ノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智さんが、こんなことを言っていました。

「チャンスは準備が整ったところに来る」

文科大臣になってから何をするかを考えるのではなく、私は日本の教育を改革したいということを30年以上前から考えていたんですね。文科大臣になるために国会議員になった。すべての準備が整っていたわけではないけれども、ずっと準備してきたんです。

文科省内の意識改革

──抵抗勢力を説得するコツはあるんでしょうか。

たとえばサッカーで言えば、男子の日本代表が次のW杯で優勝するのは難しいかもしれない。W杯で優勝するには、中長期の戦略が必要だと思うんですよ。

そのために世界トップの監督を選ぶという手もありますが、でも私はね、選手の意識改革も必要なんじゃないのかなと思うんです。

自分たちの身体能力が劣るという意識があったら、絶対に優勝できないですよ。劣るという前提を受け入れてしまったら、南米選手のようなボールへの執着やエネルギーは出てこないと思う。

文科省もそれと同じ。意識改革が必要でした。

過去の多くの人がポストで満足

文部科学大臣は、明治から数えると140人です。でも一般の人たちには、ほとんど名前は知られていないでしょう。歴史的に国民に対して何かを打ち出してきたわけではないからです。

ポスト自体が目的で、就任したことに満足をしてしまう。その分野が良くならなければ、大臣になる意味がないのに。

大臣というのはものすごく忙しい。ポストに就く前から準備していないと、日々の仕事に追われて、1年なんてあっという間に過ぎてしまう。本来やるべきことがわからないまま任期が終わってしまう。

なのに民主党政権では、3年間で5人の大臣が入れ替わった。さらに政治主導ということで、文科省の役人に自主的に政策をつくろうという意識が萎えていたんです。指示されたことはやるけれども、自ら未来を創造するという発想が乏しくなっていた。

文科省職員に訴えたこと

でも、それでは国が良くなりません。教育、文化、スポーツ、科学技術は、いずれも日本の未来を決める分野です。私は文部科学省というのを「未来省」という名前に変えたいと思っているくらいです。

だから、まず私は文科省の役人の意識を変えるためにこう訴えました。

「教育再生が重要課題の一つであると言った政権は、安倍政権が初めてだ。さらに私は30年前から文科省の大臣を目指していた。この2つの要素がそろうことはほとんどない。100年に一度のチャンスだ」

続いて、現代に必要な3つの能力も伝えました。

「主体性、創造性、人間性。国民のために、教育、文化、スポーツ、科学がどうあるべきか、みんな毎日考えて仕事をしているのか。2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けて、自分たちだったら何ができるのかを真剣に考えてほしい」

その取り組みの一つとして、「夢ビジョン2020」を立ち上げました。東京オリンピック・パラリンピックをスポーツの分野にとどめず、日本を変えるムーブメントにするというプロジェクトです。そのためには担当の役人が未来に対して夢を持って、新たな政策をつくることが必要です。

省内の優秀な若手を集めた

──IOC(国際オリンピック委員会)に派遣されている河村裕美さんから聞いたのですが、東京五輪招致が決まったあと、下村さんが「省内の優秀な若手を集めろ」と言って五輪に向けて若手のチームをつくったそうですね。それですごく省内が活気づいたと聞きました。

優れた監督というのは1から10まで指示を出してやらせるのではなく、選手の意欲やる気をどうやって引き出すかだと思う。

言われた通りロボットのようにやっても、どこかで限界がある。監督の指示以上の能力は発揮できないわけだから、一流選手になれない。

民間の資金で留学制度を実現

──また、河村裕美さんが文科省時代に「トビタテ!留学JAPAN」というプログラムの立ち上げに携わったと聞きました。これも教育改革の一つでしょうか。

その通りです。画期的だったのは、税金を一切使わないで、民間から投資を募ったこと。100億円以上集まりました。

やる気のある高校生・大学生に対して、数カ月から1年間、給付型でおカネを出して留学を支援する。

世界のトップレベルの有名大学へ行くこともできるし、「台湾に行って農業指導をしたい」という農業高校の生徒が選ばれたこともありました。いわゆる学力的なエリートだけでなく、あらゆる分野の学生に対して留学のチャンスを提供する。毎年、1000人規模を送り出すプログラムです。

税金を使わないプロジェクト

──役所が民間からおカネを引っ張ってくるのは難しかったでしょうか。

難しいというか、そういうことを考えていなかった。

スタッフ約30人のうち、文科省からは数人しか出しておらず、ほかは民間企業からの出向や、大学からのインターン。おカネだけでなく、役所の人的な負担も抑えられている。

「トビタテ!留学JAPAN」のノウハウを他部門、他省に対して提供して、税金を使わない産学官のプロジェクトを広めていきたいです。

(写真:大隅智洋)

*インタビューの後編は明日掲載します。