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金メダリストの創り方【第13回】

親だからできる注意。平野美宇が五輪で勝つために必要な「教育」

2015/12/11

指導者に恵まれてメキメキと腕を上げていく平野美宇に対して、ある日、母親の真理子は「卓球に関してはもう私の手に負えるレベルではない」と判断した。

次第に、陳莉莉コーチに技術的な指導を任せるようになっていった。

しかし、真理子にはまだやるべき大切なことがあった。誰よりも身近にいる親として、心の教育だ。

「心の教育」は娘の未来のため

大学を出てから10年間、小中学校、養護学校で教師を務めた経験から、選手として向上するためには人間性、心が大切だと考えている真理子は、美宇がまだ幼い頃から、生活態度や礼儀に関して厳しくしつけてきた。

「美宇は3年生のときから一人で荷造りをして、一人で電車に乗って大阪のミキハウスの練習場に通っていましたよ。強くなると遠征が増えますが、毎回ついていくことはできないので、一人で準備して行動できないと、周りの人に迷惑をかけてしまうでしょう」

「大人の大会に出たときも、小学生だからといって子どものような振る舞いをして、笑って許してもらえるのは最初だけ。後につらい思いをするのは美宇ですから」

真理子の思いに応えるように、美宇は日々の厳しい練習をこなしながらも、小学生のうちに洗濯、身支度など基本的な生活スキルのすべてを身に付けた。

今振り返れば、それはまるで別れの日を迎えるための準備のようでもあった。

3歳11カ月で、デビュー戦に臨む平野美宇(提供:平野真理子)

3歳11カ月で、デビュー戦に臨む平野美宇(提供:平野真理子)

卓球行脚の終幕と美宇の巣立ち

小学5年生のとき、全日本ジュニアの部で福原愛以来13大会ぶりとなる小学生での準優勝を果たすなど着実に実力を伸ばし、中学から東京のJOCエリートアカデミーに入ることが決まったのだ。

日本卓球協会から連絡を受けた際、真理子は美宇が全日本のバンビの部で優勝したときと同じような気持ちを味わっていた。

「美宇が五輪を目指している限り、もう山梨には帰ってこないだろうし、就職や結婚を考えたらもう、一緒に住むことはないのかもしれない……。そう思うと、涙がじわっとこみ上げました」

「でも別れの寂しさより、五輪へと続く可能性のあるエリートアカデミーに入校できることの喜びと、そのレベルまで美宇を育てることができ、この段階まで親の役目を無事に果たすことができたと、ホッとした気持ちのほうが大きかったですね」

2013年春、美宇は東京へ向かった。母と娘の卓球行脚は、終幕を迎えた──。

13歳で世界デビュー

その1年後、美宇はお茶の間をにぎわしていた。

2014年3月30日、同い年の伊藤美誠とコンビを組んで参戦したドイツ・オープンのダブルスで、ワールドツアーでは史上最年少記録となる13歳ペアでの優勝。これは2015年にギネス世界記録として認定されたことでも知られている。

試合後の会見で約50万円の賞金が出ると知って、2人で目を真ん丸にして驚くほほ笑ましい姿がニュースとなって世界に配信され、話題になった。卓球界期待の新星が、図らずも全国区になった瞬間だった。

このとき、賞金の使い道を聞かれた美宇は「両親や友だち、コーチにプレゼントを買いたい」とコメントしていたが、ふと気になって尋ねてみた。

その後、賞金はどうなったんですか?

「これまでお世話になったたくさんの方々に、お礼の意味を込めてプレゼントをお贈りしました。パパにプレゼントしたスーツは、美宇と一緒に選びに行ったんですよ。パパ、喜んでましたねえ!」

13歳の頃、平野美宇(右)は同い年の伊藤美誠とともにワールドツアー・ドイツオープンでダブルス優勝を果たし、史上最年少制覇(合計年齢)でギネス世界記録に認定された

13歳の頃、平野美宇(右)は同い年の伊藤美誠とともにドイツ・オープンでダブルス優勝を果たし、史上最年少優勝(合計年齢)でギネス世界記録に認定された(撮影:川内イオ)

美宇からのサプライズ

美宇と真理子は、2人で相談しながら思いつく限りの関係者にプレゼントを贈ったが、このときに家族で唯一、美宇から何も受け取らなかった真理子は、「自分はスタッフみたいなものだから仕方ない」と割り切りつつも、少し寂しさを感じていた。

それからしばらくして、美宇から赤羽駅に呼び出された真理子は、顔を合わせて数分後、涙で頬をぬらしていた。美宇からのサプライズで、財布をプレゼントされたのだ。

「みんなにプレゼントをお贈りしてからかなりの時間が経っていたし、美宇は面と向かって『ママ、ありがとう!』なんていうタイプではなくて、そういう気持ちがあっても恥ずかしくて内に秘める子なんですよ」

「それに正直、あまり気が利くタイプでもないので、サプライズプレゼントという発想自体ができないと思っていたんです。だからまったく予想外のことでしたので、恥ずかしながら赤羽駅で泣いてしまいました」

「プレゼントもうれしかったですが、それ以上に、美宇の成長がうれしかったんです。私の助言がなくても、感謝の気持ちを相手に伝えることができる人間に育ってくれたんだって思ったら、私のやってきたことも間違いじゃなかったかなと思えて……」

その財布、もし良かったら見せてもらってもいいですか? そう尋ねると、真理子は心底うれしそうにカバンから白と黒のシックな財布を取り出して、こうつぶやいた。

「これは本当に宝物です。ボロボロになっても絶対に捨てません」

平野美宇にプレゼントしてもらった財布は、今も真理子の宝物だ(撮影:川内イオ)

平野美宇にプレゼントしてもらった財布は、今も真理子の宝物だ(撮影:川内イオ)

母から娘へのメッセージ

美宇が故郷を離れて、もうすぐ3年。今は東京と山梨でそれぞれの生活を送るが、母と娘の絆は少しも弱まっていない。

「技術的なことはエリートアカデミーのスタッフやコーチにお任せしていますが、親だから話せること、親だから注意できることは、きちんと話さなければいけないと思います。離れていても親だからできること、親としてやらなければいけないことはまだまだあると思っています」

そう語る真理子は、「実は今朝も厳しく注意したところなんです。ラインで長文のメッセージを送りました」と苦笑した。

美宇の言い分もあるだろうから何があったのかは割愛するが、真理子からのメッセージがすべてを物語っている。

「五輪はあなたの夢だけど、その夢はたくさんの人に支えられていることを忘れてはいけないよ。試合でどんなに大変なときでも、もうダメだって試合を投げてしまってはいけない。それは自分自身への裏切りだけじゃなくて、周りの人の気持ちも全部裏切ることになるから。あなたは、どんな苦境でも一生懸命、夢のために頑張りなさい。それが支えてくださっている方々への恩返しになる」

今年9月、日本卓球協会は来年に控えたリオデジャネイロ五輪の女子代表3人を発表した。そこに美宇の名前はなかったが、悲嘆している暇はない。

2人の視線はすでに、東京五輪を見据えている。母と娘の物語は、まだページの半ばにすぎない。

親だからこそ、娘にしてあげられることがある。真理子と美宇は今も二人三脚で歩んでいる(撮影:川内イオ)

親だからこそ、娘にしてあげられることがある。真理子と美宇は今もともに歩んでいる(撮影:川内イオ)

前編:福原愛2世の育て方。天才卓球少女・平野美宇と母の「夢と虚像」
 中編:陰口に耳をふさぎ、母と娘で支え合い。平野美宇、山梨から世界へ

<連載「金メダリストの創り方」概要>
4年に1度行われるオリンピックは、スポーツ界で最も過酷な大会の一つだ。国中の期待を背負う重圧は壮絶極まりなく、目の前の相手はもちろん、自分との戦いに勝って初めて金メダルを獲得することができる。選ばれし者の舞台に立つまでにアスリートは自身をいかに鍛え、また各競技団体はどうやって世界一になれる選手を創り上げているのかをリポートする。