「事をなす」にあたって、何よりも大切なこと

2015/12/8
ミクシィ前社長・朝倉祐介氏による連載「論語と算盤と私」。最終回は、朝倉氏が「事をなす」ために大切なことについて語る。
明治27年(1894年)、箱根のキリスト教徒夏期学校で「後世への最大遺物」と題した講演が行われました。講演者は、当時33歳の内村鑑三です。
ここで彼は、人間が後世に残すことができる遺物として、カネ、事業、思想の3つを挙げました。そのうえで、「勇ましい高尚なる生涯」こそが誰にでも残すことができ、なおかつ利益ばかりがあって害のない「最大遺物」であると述べています。
数奇な運命を辿った人物の自伝やルポタージュ、映画には心惹かれるものです。功成り名を遂げた人もいれば、志半ばで非業の死を遂げた人もいます。英雄と称えられた人もいれば、奇人変人、極悪人と呼ばれた人もいます。
いずれにしても、時代の波に揉まれながら何かに立ち向かい、勇ましく生涯を全うした人々の生きざまは、なんとも魅力に感じるものです。
立志伝中の偉人たちだけでなく現代を生きるわれわれの中にもまた、日々の暮らしの中で挑戦すべきテーマを持つ方が、少なからずいることでしょう。
ある人にとってそれは、社会問題の解決に取り組むことかもしれません。ある人にとっては、自分が理想とする製品やサービス、作品を世に出すことかもしれません。またある人にとっては、崩れかけた組織を再興することかもしれませんし、携わるプロジェクトを成功させることかもしれません。
人によってテーマも立ち位置も、事の大小も異なりますが、今までの延長線上では起こり得ない何かを起こす行為は、どれも等しく「事をなす」試みと言えるのではないでしょうか。そしてまた、そうした過程に意思を持って身を投じる人のことを、われわれは「変革者」と呼ぶのでしょう。
この「事をなす」にあたって、要となることについて考えてみたいと思います。