【紀里谷和明】成功のために生きる人間は苦しい

2015/11/26

なんでそう白黒つけたがるのか

成功・失敗って、他人が思うことじゃないですか。そこに引きずり込まれるぐらいだったらやらないほうがいいと思う、このインタビューは。
だいたいポイントがずれてますよ。言いたくないことを言わせようとしているわけじゃないですか、それっておかしくないですか?
──そんなつもりはまったく……。
そう感じるんです。なんで、言ってることを飲み込んでくれないのか、と。
すべてを白黒にしてしまって、はい、勝ち組・負け組でしょ、全部が。そんなものなのかなと思ってしまいます。この世の中って。
だけど、そんな簡単なものなんですか?
じゃあ、たとえば、ご自分のご両親がいらっしゃるとしますよね。有名ですか?
──無名です。
でも、重要じゃないですか。
──まあ、それは。
そこなんです。僕が言いたいのは。地球上のほとんどの人を成功か、失敗かで分けてしまったら、ほとんどの人が失敗者になってしまう。そんな社会なんでしょうか。
──紀里谷監督は、何事も、さらっと流さないんですね。
流す必要がないじゃないですか。
──だけど、みんな途中で疲れちゃいますよね。
だったらやらないほうがいい。たとえば、このインタビューを流すのであれば、僕はやらないですよ。
──そう思っても、できないこともありますよね。
だったら、僕はそういう人たちとは仕事をしませんよって言うから、それでまた波風が立つんでしょうけれど。
──「熱い」って言われちゃう。
いや、そこなんですよ。熱いっていうのも、たとえばですよ、あなたのお母さんが病気になられました、と。その主治医が流してたらどう思いますか? 許せないですよね?
──……ですね。
一方で、一生懸命やってくださるお医者さんがいらっしゃったとします。患者と向き合っているその人のことを、「熱い」って言いますか?
言わないですよね?
それは当たり前のことだと思うんですよ、プロだったら。それを言ってるだけの話です。
──流さないようになった原点とか、あります?
その質問自体がおかしいと思うんです。だって、それがプロじゃないですか。だったらその仕事やらないほうがいいじゃないですか。ここに来ないほうがいいですよ。
中途ハンパにやるぐらいなら、写真も撮らないほうがいい。文章も中途半端に書くなら、やめたほうがいいと僕は思います。同じじゃないですか。インタビューも中途半端にやるならやらないほうがいいと思う、僕は。そんなに変なこと言ってますか?
──人間関係で仕事を受けちゃうとか、そういうのはプロじゃないんでしょうね……。
おっしゃっているのは、インタビューの仕事に関してですか?
──そう……ですね。
だったら、ちゃんとやればいいと思います。前段階なんか、どうでもいいじゃないですか。自分だってお願いされた仕事があったら、ちゃんとやります。
お願い事されたけどあんまり好きな仕事じゃないから流してやろうって言われたら、インタビューされる側としてはたまったもんじゃないです。
──それはおっしゃる通りだと思います……。
別に僕、難しいこと言っている気持ちはこれっぽっちもないです。だってそうじゃないですか。だったら受けなきゃいいし。そんなに変なこと言ってますか?

苦しみの大半が自己嫌悪

インタビューをするのなら、一生懸命に向き合って、ちゃんと聞いて、ちゃんと書いて、自分のできる限りのことを、これをちゃんとやりましたと言えることのほうが、それで得られるものは報酬よりも、僕は大切だと思います。
報酬のためだけなら、苦痛でしかないって思うんです。それは生きることも同じで、成功するっていうその一点だけのために生きるのは、自分もそうだったし、若い頃、それは非常に苦しかった。もう苦痛でしかなかった。
毎日をどうやって生きるのか、どうやって自分と向き合って、他人と向き合って、プロジェクトと向き合って、すべてと向き合っていくのか。それを皆さんは「大変ですね」って言われますが、僕はそこにしか、喜びを見いだせない。
そこしか信じられないんです。それを積み重ねていって、毎日毎日やっていれば、なんの問題もないと僕は思います。成功とか失敗とか、そういうことは副産物でしかないと思います。その副産物に多くの人間は左右されて、どれだけの不幸が生み出されていることか。世の中を見れば、わかることだと思います。
今回(『ラスト・ナイツ』)も、僕のやるべきことはすべてやってます。それはもう、資金を集めるところから全部です。プロモーションも、毎日毎日、一生懸命にやっています。やり足りないっていうことはないです。あったとしたら、そこにこそ苦しみがある。
苦しみの大半が、自己嫌悪ですよ。結果が出なかった場合に、あのとき、あそこで、こうしておけばよかったと後悔する。
多くの人たち。自分も含めてですけど、若いときは悩みますよね。迷います。しかしながら、その答えというのは、自分の本分を全うすることでしか得られないと思うんですね。たとえば、コーヒー屋をやるのであれば、コーヒー屋の本分とはなんなのか。おいしいコーヒーをお客さんに提供することじゃないですか。
医者の本分とはなんなのか。患者さんを治療することですよね。しかしながら、多くの人たちはそもそもその会社に入りたくなかったとか、この仕事は俺がやるべき仕事ではないとか……。

圧倒的な苦しみを追いかけ続ける

──言いがちですね。
目の前に与えられている仕事すらもきっちりできない、その本分すら全うできない人間に何ができるのか、と僕は思うんですね。それを一回若いうちに、確実に理解するべきだと僕は思う。僕も理解するべきだった。
──どうすれば、その本分にたどり着けるのでしょうか。
苦しめばいいんじゃないですか。自分にも圧倒的な苦しみがあったし、それを追いかけ続けて今に至るし。 
──それはどういう苦しみですか。
追いかけて、追いかけて、追いかけていっても自分の求めていると思っていたものが見つからない。どこまでいってもそんなものはない、ってことに気づかされるわけです。
だったら、自分が追いかけていたものはいったいなんだったんだって、僕は自問自答をしたんです。そもそもそういうものは存在しないんだ、ということにも気づいた。
外部、つまり自分自身の外側に、自分を幸せにしてくれるものなんてないわけですよ。自分がどう思うのかっていう尺度の問題であって、その尺度がそもそもおかしかったんです。
何歳までにこうあらねばならない、年収はこれだけないといけない。そういう他者基準に引きずられていた30代の頃に比べたら、僕は今、幸せです。一生懸命やっていますから。それは、つらいですよ。でも、自分のことが好きだって言えます。
結局、自分が自分自身のことを納得できてるかってことだと思うんです。ナルシシズムとかそういうことではなくて。自分が自分のことを好きになれるかっていうことが、極めて大きいと思う。
イケてないところもいっぱいありますよ、僕にも。しかし、前よりは自分で自分のことを好きって言えます。
(取材・構成:曲沼美恵、撮影:遠藤素子)