【紀里谷和明】成功・失敗は他者が決めた基準だ

2015/11/25
人生は「七転び八起き」と言う。転んでも、転んでも、立ち上がる。そして、また転ぶ。そんな苦くて痛い経験があるからこそ、つかめる成功もある。というわけで、見事、念願のハリウッド映画『ラスト・ナイツ』を世に送り出すことに成功した紀里谷和明監督が、人生でどのような経験を重ねて現在に至ったのか、を聞き出すつもりだった。
しかし、である。考えが甘かった。われわれのような未熟者に比べたら、監督は一枚も二枚もうわてだった。連載初回から派手に転んでしまって恐縮だが、以下にお伝えするのは、完全に撃沈したインタビューの記録である。
つまりは、われわれの失敗──。

赤ん坊が転ぶのが失敗か

──過去のインタビューを読ませていただくと、20代でデザイン会社を起こされて、そのあと5年間くらい暗黒の時代があって放浪されていた、と書かれています。あれは、ご本人の中では失敗の部類に入るのでしょうか。
そもそも失敗ってなんでしょうか? すべての経験が生きてから死ぬまでのプロセスだと僕は思います。
──すべてが途上といえば、途上ではありますが……。
赤ん坊が、立とうとして転ぶ。それを失敗と呼ぶのかということです。生きていたら、転ぶのは当たり前。もちろん、局面ごとに勝ち・負けはあると思います。しかし、負けたからといって、それを失敗と言えるのか。
失敗からどうやって跳ね返るのかを記事にしたいんですよね?
──編集部の意図はそうです。
たとえば、受験に失敗しました。自分が行きたいと思っていた大学に入れなかった。それで、その人の人生の価値が失われたっていうことではまったくないですよね?
──はい。
その人が幸せだったら、それでいいわけですよね。納得していれば。
結局、第三者目線の基準によって失敗したと思い込んでしまっているだけの話だと思います。親であったり、周りの人間であったり、社会が植えつけているだけの話であって、その人が本当に幸せかどうか、納得しているかどうかは、まったく別の話だと思うんです。
──まあ、そうとも言えますが……。
サッカーやって負けちゃったとか、そういうのはありますよ。それは勝ち負けじゃないですか。
うちだって、興行成績が上がるか、上がらないか、それはあります。しかし、興行成績が上がらないことが失敗なのかって言われても、それは違うと思います。
紀里谷 和明(きりや・かずあき)
1968年熊本県生まれ。1983年15歳で渡米、ケンブリッジ高校卒業後、パーソンズ大学にて環境デザインを学ぶ。1994年写真家としてニューヨークを拠点に活動を開始。数々のアーティストのジャケットやミュージックビデオ、CM制作を手がける。2004年映画『CASSHERN』で監督デビュー。2009年映画『GOEMON』を発表。2015年11月には、忠臣蔵を封建的な帝国を舞台に置き換え、騎士たちが活躍する映画に仕上げた『ラスト・ナイツ』がロードショー。

ヘリでエベレストに登るのは成功か

開始からまだ、10分も経っていない。しかし、早くも、企画そのものが成り立たないムードが漂ってきた。青ざめる筆者、頭を抱える編集担当。
──勝ち負けがあるとすると、勝たなきゃいけないというプレッシャーは感じますか。
勝負している人間なら、みんなそうだと思います。今回の作品(『ラスト・ナイツ』)でいえば、これだけスケールの大きい映画ですから、それをどうまとめ上げるのか、ものすごいプレッシャーでしたよ。期日内にやらなければいけないし、予算内に収めなければいけない。モーガン・フリーマンはいるし、クライヴ・オーウェンもいるし。
──撮影中は、後半になるにつれて追い込まれたそうですが……。
(大きくうなずき)もちろん。なんでもそうだと思います。死に物狂いでちゃんとやって、自分に嘘をつかずに、できることは全部、100%やったと自分に言えるようになれば、そこから先はもう関係ない。
失敗とか成功とか、自分の範疇(はんちゅう)じゃないです。
──成功・失敗は他者が決めた基準でしかない、と。
他者基準だし、結果だけなんですよ。たとえば、エベレストに登りたい人がいます。頂上に立てばいいんでしょって言って、ヘリコプターに乗ってそこに行ったのと、一歩ずつ、自分の足で登りきった人と、それはまったく別物ですよね。
だけど、結果は同じで、現代社会は、いわゆるそのヘリコプターで行けばいいんでしょ、という人たちが多い気がします。しかし、そこに喜びがあるのかというとまったく別の話だと思います。
──わかります。では、紀里谷さんが幸せを感じる瞬間はどんなときですか。
映画をつくっているときです。何かに一生懸命になっているとき、大勢の人たちと何かを一緒につくって、それをたくさんの人たちにお届けして、その人たちにも喜んでもらえたら、それが一番です。
一緒に、何かの目標に向かって、みんなでやってるということに喜びを感じます。スポーツ選手とかみんなそうですよね。なんでラグビーにあんな熱狂するのかというと、大勢の人たちと一緒になって、一つの目標を達成しようという、その喜びのためですよね。そこに達するまでには、極めて大きな苦痛と苦難があると思います。
──30代の頃はイケイケだった、と。世間的にいえば、おそらく成功しているようにみえたと思いますが、ご本人的には……。
イケてないと思います。世間的なことを真に受けて、それでいいんだと思い込んでいるばかな男でした。
それが今の社会じゃないですか。皆さんがそれを追い求めるわけで、社会がそれを煽るし。子どもの頃からそう煽られるし。今の社会、何かをもってなきゃいけない、自分ではない何かにならなければいけないと求められる。
学校で成績が良くなければいけない、この大学に入らないと、この会社に入ってなきゃいけない、入ったら入ったで年収は何千万じゃなきゃいけないと……。
──そう思い込まされるような環境があったわけですか。
皆さんそうじゃないですか。僕も変わりませんよ、そこは。
──どのあたりで一皮向けたんでしょう。
よく聞かれる質問ですけど、わからないです。徐々になくなっていったんだと思います。
──写真に関しては、最初から思うように撮れたのですか。
そんなことあり得ないです。努力しました。

お金儲けすればいいのか

今の世の中、「成功すればいい」っていう考え方が大半で、どんな手段を使ってでも。結果を出せば、それでいい。それで、本当に仕事に対して喜びを感じている人がどれだけいるのかな、って思います。
売れた・売れないは、単純に、人が望んでいる作品じゃなかったっていうだけかもしれない。でも、自分ではそれを評価できる。10万人には売れなかったけれど、10人の方々がそれを素晴らしいと言ってくれたとします。
それは、失敗作ですか?  
──たとえば、私は文章書きなので、これくらいのレベルで書きたいな、と思っても自分のスキルが追いついていかなくて悩みます。そういう場合はどうしたら……。
じゃあ、どのポイントで、それが失敗になるんですか?
──作品を発表して、その評価が下ったときでしょうか。
そこで終わりですか? それで、消えるんですか? あなた自身の衝動が。
──ダメなら次は頑張ろう、とは思います……。
ですよね、で、次が、たとえばご自分の理想に追いついたとするじゃないですか、そしたら、前作は失敗ですか?
──(考え込む)。
あなたの聞きたい「成功・失敗」は経済的なことじゃないですか? そのために、いろんな人が虐げられている気がします。結果さえ出していれば、利益を出すのであれば、どれだけ人間が虐げられようが全然いいよ、っていう考え方じゃないかと僕は感じています。
だから、僕はあんまり、成功だ・失敗だっていう概念自体が美しく思えないんです。
冒頭から混乱しまくるインタビュアーをよそに、話はすっかり、紀里谷さんペースで進んでいった──。
後編へつづく。
(取材・構成:曲沼美恵、撮影:遠藤素子)