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Multi sportsのすゝめ(第3回)

「練習でできないことは試合でできない」日本スポーツの致命的迷信

2015/11/22

毎年春にスタンフォード大学で大きな陸上競技の大会がある。

日本でも、おそらく世界中のどこででも行われているであろう、公式記録会の一つであるそうだ。

毎年、日本からも多くのランナーが参加している。どうしてわざわざ海外の記録会へ? と思う方もいらっしゃるかもしれないが、アメリカの、特に大きな記録会だと良い選手が集まる。

つまりレベルが高くなるために好記録が生まれる、というロジックだそうだ。

日本人選手たちを応援

数年前、ある社会人陸上チームに知り合いがいたことがきっかけで、その大会を観戦する機会があった。

確か、その年は、オリンピックの前年であり、その標準記録を突破するために、世界中から各国のトップを争うような選手が集まっていた。日本からも社会人のチームや大学生を含め、数十名の選手が参加していた。

その中には、前回のオリンピックに日本代表として出場していた選手もいたようである。それらの選手の多くがオリンピックへの切符を手に入れるべく、ここスタンフォードに集まっていたのである。

「異国の地でのチャレンジ」に、勝手ながら自分の境遇と重ね合わせ、日本から来たランナーを応援したいという気持ちに駆られ、話したことも会ったこともない人たちを応援しに行った。

河田剛(かわた・つよし) 1972年7月9日埼玉県生まれ。1991年、城西大学入学と同時にアメリカンフットボールを始める。1995年、リクルートの関連会社入社と同時にオービック・シーガルズ入部(当時はリクルート・シーガルズ)。選手として4回、コーチとして1回、日本一に。1999年、第一回アメリカンフットボール・ワールドカップ優勝。2007年 に渡米。スタンフォード大学アメリカンフットボール部でボランティアコーチとして活動開始。2011年、正式に採用され、Offensive Assistantに就任。現在に至る(写真:著者提供)

河田剛(かわた・つよし)
1972年7月9日埼玉県生まれ。1991年、城西大学入学と同時にアメリカンフットボールを始める。1995年、リクルートの関連会社入社と同時にオービック・シーガルズ入部(当時はリクルート・シーガルズ)。選手として4回、コーチとして1回、日本一に。1999年、第1回アメリカンフットボール・ワールドカップ優勝。2007年に渡米。スタンフォード大学アメリカンフットボール部でボランティアコーチとして活動開始。2011年、正式に採用され、Offensive Assistantに就任。現在に至る(写真:著者提供)

なぜ本番で結果が出ないのか

その知り合いが長距離の選手のために働いていたため、長距離のレースを中心に応援をしていた。

400mのトラックを周回する選手たちは、急に自分の名前や「頑張れー」という日本語での声援に戸惑っていたのかもしれないが、われわれの声援が少しでも彼らの力になったのではないか、という自己満足に陥っていたのを覚えている。

私たちの応援が足らなかったのであろうか、海外でのプレッシャーに打ち勝てなかったのであろうか、その日は順位・記録とも良い結果を出せた日本人の選手は一人もいなかった。

同じ日本人として、海外でチャレンジをしている人間として、「練習を積んできた成果を、(結果を出すべき)本番で発揮できない」姿を見るのはつらいことである。

本番にとんでもない力を発揮

両国のアスリートを指導した経験のある指導者として、アメリカ人アスリートと日本人アスリートの間には決定的な違いがある。日本人としては認めたくない事実であるが、指導者としては認めざるをえない。

俗的な表現で申し訳ないが、その違いは「アメリカ人は、本番にとんでもない力を発揮すること」である。

逆に日本人は練習のし過ぎで、本番に力を発揮できない、というのが私が持つ印象だ。

こんなフレーズを聞いたことがないであろうか?

「練習でできないことは、試合ではできない」

これは、私も子どもの頃から聞いてきた。この9シーズン、アメリカ人のプレーヤーが「練習ではできなかったこと」を、試合で「いとも簡単にやってのける姿」を幾度となく目にしてきた私にとって、それは「ご飯を食べてすぐ寝ると牛になる」という祖母からの変な言い伝え、となんら変わりはない。

優先順位を見極める能力

偏見だと言われるのを覚悟のうえで、私なりに、この違いと特徴をまとめて見た。

【日本のアスリートの特徴】
・一つのスポーツだけを長く競技する
・練習する時間が長い
・「練習は嘘をつかない」という神話があり、信じている
・練習していることに酔ってしまう
・指導者も選手も、練習できる時間が長いため、優先順位を付ける能力が身につかない
【アメリカのアスリートの特徴】
・マルチスポーツが主流である(習い事も含む)
・一つのことに割ける時間は限られている
・短い時間で成果を出すことが求められ、それに慣れてくる
・自然と優先順位を付ける能力が身につく

日本のアスリートは、長く練習することに慣れてしまっている。トップクラスになればなるほど、練習時間は長くなる。

練習の虫の弊害

誤解を恐れず言うなら、悪しき風習とマスコミによってつくりあげられた、日本人アスリートに与えられた唯一無二の成功モデルケースは「練習の虫になる」ことである。

練習を長くしている自分に満足してしまうことは、練習のための練習という結果を生みかねないし、現役引退後のキャリアにプラスになるのは「競技・練習を長く続けることでついた根性」だけである。

もちろん、日本の場合は、多くの選手がそれで結果を出してきているし、成長の仕方や結果の出し方など、千差万別である。いや、そうあるべきであるから、必ずしもそれが間違っているとは言えない。

しかし、ビジネスにおいても効率が重んじられるようになってきた近年、そして、結果が出ていないオリンピックのメダル数を見ても、現在多くのアスリートが信じ、実行している、(練習時間が長い)日本人アスリートが成長していくモデルケースは、鈴木大地スポーツ庁長官が仰っている「国際的な競技力の向上」には、著しく不向きであると言えよう。

オンとオフを切り替える精神力

実際にマルチスポーツに触れた、そして、それに慣れ親しんだアスリートを指導してきたこの8年間で、それがスポーツ文化の発展及びオリンピックでの成績向上に向けて「最善の方法ではない」ことは、明白である。

本当にオリンピックや世界選手権のような大舞台で結果をコンスタントに出せるのは、練習の時間にメリハリをつけて、競技力の向上とともに、オンとオフのスイッチを切り替えることのできる、日本人が信じるのとは別の精神力を養うような練習法なのではないか?

私から見れば、日本のアスリートは「もったいない」力と時間の使い方をしている。

オンとオフの使い分けが下手だという表現が、最も当てはまるであろう。つけっぱなしの電球が、数年に一度やってくる、いざというチャンスに、それが持つ100%の力で輝きを放てるかは疑問である。

逆に、小まめにオンとオフを繰り返してきた電球は、消耗が少ない分、100%の輝きを放つであろうし、またオフにして暗くしていた分100%以上の輝きに見えることもあるだろう。

ライス前国務長官との会話

TK 「My name is Tsuyoshi Kawata, just call me TK. I’m from Japan.」

CR「Good to see you TK.」

TK「Pleasure to meet you, Mam.」

CR「TK、もったいない、って言葉知ってる?」

TK「もちろんです。あなたがその言葉に興味を持ったという話も聞いたことがあります」

CR「そうなのよ。アメリカに必要な言葉だと思うわ」

コンドリーザ・ライス、前国務長官と最初に会ったときに、彼女が「私の好きな日本語のうちの一つだ」と教えてくれた言葉である。

現在、スタンフォード大学の国際政治学で教べんを取る彼女は、大のフットボールファンである。チームに向けてのスピーチはもちろん、われわれのオフィスをたびたび訪れて、コーチングスタッフと、普通にフットボールについての会話をする姿は、もはや日常と言っても過言ではない。

彼女いわく「アメリカには存在しない言葉だから、興味深い」そうだ。

アメリカは皆さんの想像通りか、それ以上の「大量消費社会」である。

故に、物を大事にする、壊れるまで・壊れないように使う、という概念が存在しないに等しい。「もったいない」そんな言葉の存在意義すらないのであろう。

時間と労力を惜しむ感覚を

しかし、スポーツの場合はどうであろう。

まったく逆に等しいと私は思う。アメリカのアスリートは、限られた時間の中で練習をし、結果を出すようにプログラムされているのに対し、日本は長い時間を使って練習をして、それに酔ってしまうが故に、本番に力を発揮できない。時間も何かに費やすパワーも、まったくもって「もったいない」話なのである。

今までも何度か同じようなころを書かせていただいているが、練習法にしても、オンとオフの切り替えにしても、「すべてをアメリカ式にすることが善」ではないし、競技特性や指導方法も単一ではないので、そのような事は不可能である。

多少の痛みは伴っても、日本のスポーツの将来のために、学べる所は、まねできる所は、していこう、と言っているのである。

力を120%発揮する根性

最後に。「根性」、素晴らしい言葉ではないか。

この国にいると、「こいつらには、それがないのか?」と、日本のスポーツ界を懐かしく思うことさえある。

しかし、オリンピックをはじめとする国際的な大会へ向けての競技力向上、つまりメダル獲得に、最も必要なのは、一つのことを意味もなく長く続ける「根性」ではない。

数年に一度しかないチャンスで、自分の力を120%発揮できる「根性」なのである。この辺りの意識改革ができなければ、日本のスポーツに明るい未来は訪れないであろう。

次回の寄稿では、日本人がマルチスポーツを導入して行くには、どうしたら良いのかを、私なりに考察・提案をしてみたいと思う。