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金森喜久男インタビュー(前編)

大阪の新スタジアムはサッカーやラグビーの聖地を目指す

2015/11/18

今年のサッカー界の最大の話題は2つの新スタジアムだ。

ガンバ大阪がホームスタジアムとして使用することになる市立吹田サッカースタジアムとAC長野パルセイロの南長野運動公園総合球技場である。

去る10月10日、市立吹田サッカースタジアムの竣工(しゅんこう)式が華々しく行われた。このスタジアムは日本初の寄付金でつくられたスタジアムとなっている。実現を支えたひとりが、ガンバ大阪の前社長である金森喜久男氏だ。

ただ、金森氏自身はこう語る。

「ガンバ大阪のためにつくったわけではありません。関西に多くのスポーツを誘致しスポーツを通して活力を得るためです。そして、ここを日本のサッカーやラグビーの『聖地』にしたいのです」

“クラブ+スタジアム”の一体経営は、スポーツビジネスで大きなポイントとなる。日本のスタジアムの歴史を変えた市立吹田サッカースタジアムのスキームは、後進の指標となるはずだ。何がほかのスタジアムと違うのか。その完成までの紆余(うよ)曲折を金森氏が語った。

金森喜久男(かなもり・きくお) 1948年12月5日生まれ。愛知県名古屋市出身。1971年に松下電器産業(現:パナソニック)に入社した。同社で情報セキュリティ本部長などを務め、2008年4月にガンバ大阪の社長に就任。2013年1月の退任まで、「お客様の満足」を第一に万博記念競技場の運営改革などを展開。スタジアム建設募金団体の代表理事も務め、今年10月竣工の市立吹田サッカースタジアムの建設に尽力した

金森喜久男(かなもり・きくお)
1948年12月5日生まれ。愛知県名古屋市出身。1971年に松下電器産業(現:パナソニック)に入社した。同社で情報セキュリティ本部長などを務め、2008年4月にガンバ大阪の社長に就任。2013年1月の退任まで、「お客様の満足」を第一に万博記念競技場の運営改革などを展開。スタジアム建設募金団体の代表理事も務め、今年10月竣工の市立吹田サッカースタジアムの建設に尽力した

突然の辞令、ガンバ大阪の社長に

──金森さんがガンバ大阪の社長に就任されたきっかけを教えてもらえますか。

金森:松下電器産業(現:パナソニック)の情報セキュリティ本部長だった頃に、会長だった中村邦夫さん(※)から辞令をいただきました。「今度、新しい職に就いてくれ」と。それがガンバ大阪だったのです。サラリーマンとしての通常の辞令で、2008年の3月でした。
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──想定外でしたか。

まったく想定していなかったので、おおいに驚きました。ただ、もう亡くなられたのですが、私の尊敬するある専務が言われていたのは「驚きのない人事は意味がない」と。ですが、外見は淡々と受けさせていただきました。スポーツ観戦は大好きで野球はよく球場で見ていました。阪神タイガースが大好きで!(笑) 。

しかし、辞令を受けてから、サッカーを勉強しました。「サッカーとは何だ」というところから始まり、競技の歴史も学んでいきました。

高校選手権が関西から移った理由

──何か発見はありましたか。

実は全国高等学校サッカー選手権大会は今でこそ関東で開催していますが、第54回(1975年度)まで大阪など関西開催でした。

なぜ関西から関東に開催が移ったのか? 複合的な要因があるのですが、その一つに施設の問題がありました。ここに興味を持ったことが、今回の新スタジアム建設のきっかけとなっています。

──そこにもスタジアム問題が絡んでいると。

そうです。いろんな関係者とのサッカー勉強会で、電通時代に2002年の日韓W杯招致などに尽力した広瀬一郎さんをお呼びして話をうかがいました。

広瀬さんは熱い方で、「これからのスポーツビジネスはスタジアムが非常に重要だ」と熱心に説明してくださいました。そこから高校サッカーの問題や世界のスポーツ事情など、だんだんと話がつながっていきました。

また松下電器産業のサッカーファンたちからも、新しいスタジアムをつくってほしいと懇願されました。社長就任の初年度から、これは自分の使命だとずっと感じていました。

衝撃を受けた浦和レッズとの一戦

──就任当初から金森さんの考えていた課題だったということですね。

自分の一番のテーマは昔から「顧客創造」になります。広瀬さんからも「日本のスポーツ界は顧客が第一になっていない」とよく指摘されていました。それがスポーツ界の一番の問題点です。

そのためにもスタジアムが重要になります。広瀬さんからは「サッカー専用スタジアムをつくったほうがいい」ともアドバイスを受けました。

──参考にしたスタジアムはありましたか。

優れたスタジアムは関東に多くあります。大阪はいろんなスポーツや大会の発祥の地でしたが、新しい施設をつくらなかったこともあり、多くの大会が東京やほかの場所へ移ってしまった。

衝撃を受けたのは、浦和レッズとのアウェー戦で訪れた「埼玉スタジアム2002」でした。Jリーグでは実行委員(クラブの代表取締役または理事長)が必ずチームとともに試合地に行き、開催責任を担います。観客に対する運営の責任はホームチームの社長とアウェーチームの社長が両方で持つかたちです。

初めての埼玉スタジアムは本当に驚きました。試合自体も非常に面白かったのですが、スタジアムの雰囲気に圧倒されました。

地響きのような大歓声、選手たちとの距離感、なにより喜んでいる観客の顔を見ていて、しっかりとしたスタジアムを作らないとお客さんは喜んでくれないと痛感しました。

ホームへの不満を聞いてまわる

実は社長に就任してから、ホームスタジアムである万博記念競技場に対する不満をリサーチしていました。

──どのような答えが返ってきましたか。

ファンやサポーターにアンケートをしてもらい、時には私自身がスタジアムで直接話を聞いて回りました。

すると、まず屋根がないと。子どもがぬれるし、風邪をひかないかと親御さんは心配で仕方がなくなる。恋人を連れてきても同じ心配がある。夏の梅雨の時期にカッパを着ると暑くてしょうがないということでした。

それからスタジアムの中のトイレが汚くて嫌だと。3つ目は食事がなんとかならないのかと。「スタジアム内の食事、コーヒーはまずい」とはっきり言われました。大きく言えば3つぐらいの不満がわかりました。

まず屋根をつける問題。改修した場合、試算すると百数十億円かかることが判明して、これだと新しくつくったほうがいい。

グルメについては、万博記念公園側の許可を取ってスタジアムの外においしいと評判の屋台を呼びました。トイレが汚い点は、われわれスタッフで掃除をして、花を飾り、せっけんを置いてきれいにしました。あと夏はお尻を蚊が刺すのです。万博の周りは森となっていて、蚊がものすごくいる。それで殺虫剤を各トイレに置いたのです。

万博記念公園側のご協力のもと、一つひとつ解決していきました。ただ、屋根の問題が残りました。

川淵さんの一言が背中を押した

──今回の新スタジアムの最大の特徴は民間企業やサポーターの寄付によって大部分がまかなわれているところです。具体的にはいつから、どのように動きだしたのですか。

新しく出版された拙著『スポーツ事業マネジメントの基礎知識』(東邦出版)にも書かせていただきましたが、2008年の秋頃でしたね。まず計画書をまとめて川淵三郎・日本サッカー協会名誉会長(当時)にご相談させていただきました。

あの方は、すごいですね。たった1回の説明でしっかりと意図を受け止めてくださいました。否定的な話も一切ありません。「これからはこの方法だな」と。「自治体にスタジアムを作ってもらう時代はもう終わったのかもしれない」と。

民間から100億円以上のおカネを集めることに対しても一度も驚かれなかったです。ふたつ返事で「難しいが、やろうか」となりました。「Jリーグをつくったときと同じ難しさがあるかもしれないが、やるか」と。そうやって決まっていきました。

下妻前関経連会長の賛意

川淵さんの賛意を受けて関経連(関西経済連合会)会長であった下妻博さんを訪問しました。下妻さんは住友金属工業(現:新日鐵住金)会長です。趣旨をご説明したら開口一番「関西はケチやぞ、5万円の寄付でも会長の自分が訪問する、100億円以上の寄付を集めるのは無理や」と言われたのです。

しかし、2度目にお願いに上がると大阪城の例を出され、「1928年に大阪城は民間の寄付で天守閣が再建された。関西の気風にあっているかもしれん、やろうか!」と言われました。それで1回目にお会いした際は私の腹の据わり方を試していたことがわかりました。

これによって経済界とサッカー界がタッグを組むことになり、信用が整ったとみています。ありがたいことです。

──金森さんは今回のスタジアムのために「スタジアム建設募金団体」を設立し、代表理事をされています。寄付の詳細を教えてもらえますか。

最終的には約140億円のおカネが集まりました。そのうち企業さんからの寄付が99億5000万円、ファンやサポーターからの寄付が6億2200万円、日本スポーツ振興センターさんなどからの助成金が35億1300万円です。この数字はオープンになっています。

当初の費用は120億円前後で足りる計算だったのですが、東日本大震災が発生して労賃やセメント・鉄鋼の価格が上がってしまいました。

ガンバ大阪の社長を務めている期間、万博記念競技場の運営改革を行ったほかにも、グッズ開発やスポンサー企業との関係に新基軸を展開した

ガンバ大阪の社長を務めている期間、万博記念競技場の運営改革を行ったほかにも、グッズ開発やスポンサー企業との関係に新基軸を展開した

スタジアムの発想は世界遺産から

──それにしても個人の寄付でスタジアムが建設された、というストーリーが面白いです。

個人の寄付は「ふるさと納税」の対象にもなります。たとえば5万円寄付すると約4万8000円が控除の対象となり、寄付する側にもメリットがある。企業の側ですと損金算入となることがメリットであり重要なポイントです。

──そもそも、この発想はどこから。

奈良に薬師寺という世界遺産に登録されているお寺があります。

2006年頃、ちょっと悩んでいることがあったときに、ある先輩から「自分を見つめ直すために薬師寺に行って写経してきたら」とアドバイスをもらったことがありました。それで薬師寺へ行って、生まれて初めて写経をしました。

実は奈良のお寺というのはお墓がないところが多い。なぜかというと、奈良のお寺は今でいう大学のような存在で“学びの場”だったのです。病気などを宗教と薬・漢方薬で治すことを研究する場所でした。

だから檀家がない。それで明治維新後、廃仏毀釈運動がおこり、神社仏閣が壊されたり、荒れ放題となったのですが復興の資金が集まらないわけです。

昭和の時代になり高田好胤管主が写経という方法をとられました。お参りに来られた方に写経を2000円でしたためていただき、書いた写経は奉納され毎日お坊さんにお経をあげていただける。これが人気を呼んで今の貨幣価値でいうと何十億円というおカネが集まったわけです。

その資金で薬師寺は大講堂や東棟など次々と復興、昔と同じように再現するに至り世界遺産にも登録されました。唐招提寺やほかのお寺もすべてこの方式で復活しました。

今回のスタジアムでは、ネームプレートがそれにあたるかもしれませんね。皆さんから寄進を受けて、おカネが集まって、建物が建つ。これは面白いと思いました。

──それは面白いですね。新スタジアムはそういった意味でもシンボル的存在となりそうです。

ガンバ大阪のためだけを考えていたら多くの方の協力は得ることができなかったと思います。

現在は東京一極集中で関西は活気がないではないですか。スポーツを通じて関西がどんどん元気になっていく。新スタジアムをサッカーやラグビーなどの聖地にすることができたら本当に良いと思います。

(撮影:福田俊介)

*後編は11月25日(水)に掲載予定です。