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Multi sportsのすゝめ(第2回)

米国スポーツは場所も所属もフレキシブル。部活とクラブの両立

2015/11/8

冒頭から恐縮であるが、読者の皆さまに質問したい。

「この世の中に、速く走れることが、邪魔になるスポーツがあるだろうか?」

私の知る限り、答えは「NO」である。速く走ることが不要な競技はあっても、邪魔になる競技はないであろうし、速く走れること、そして速く走れる方法を正しく学ぶことが、アスリートとしての成長に直接的につながる競技が多いのではないか?

あくまでも個人的な意見であるが、アスリートとしての成長期、つまり小学校・中学校時代、陸上競技に真剣に取り組む、つまり陸上競技のコーチの指導を受けて競技者として活動することは、アスリートとしての成長および将来の成功に大きな影響を与えると言っても過言ではないと思う。

日本における「学校単位」という壁

私の近しい友人に、大学の陸上競技の指導者がいる。彼女の旦那さんも元陸上選手であり、「陸上競技、特に、正しく走ることを教えたい」という思いから、陸上競技のクラブチームを主催している。

その活動は、彼らの住む地域で口コミで広がり、他競技の選手も集まってきて、とても有意義な活動ができているそうである。

普段はそれぞれの中学校の部活で野球やサッカーなど、ほかの競技をしている選手も、クラブチームで記録が伸びれば、陸上の世界で力を試したいと考えるのは自然な流れだろう。

しかし、そういう選手が陸上の全国大会に挑もうとすると、壁に直面する場合がある。

全国大会となるジュニアオリンピック自体はクラブチームによる出場ができるにもかかわらず、友人がいる県では、中学校の陸上部に所属していなければ、県内のジュニアオリンピック最終選考会に出ることができない。県と全国で基準が異なる、ダブルスタンダードだ。

これは形式的な部分もあり、どうしても出場したければ、その選手が通う中学校の陸上部に登録すれば、県内最終選考会に出ることができるそうだ(たとえば野球部所属の選手も、自分の中学校の陸上部に登録すれば出られる)。

しかし、それでもやはり、本来活動しているクラブチーム所属として出られないのはおかしい。その県の陸上競技協会が排他的と思われても仕方がないやり方だ。

私が指導者として、常に思っていることの一つ。

「選手が最も成長できる場は、試合である」

いろいろな思い入れ、なにより選手の成長を望んでやまないはずの指導者にとって、その機会が与えられないほど、悲しいことはない。

河田剛(かわた・つよし)1972年7月9日埼玉県生まれ。1991年、城西大学入学と同時にアメリカンフットボールを始める。1995年、リクルートの関連会社入社と同時にオービック・シーガルズ入部(当時はリクルート・シーガルズ)。選手として4回、コーチとして1回、日本一に。1999年、第一回アメリカンフットボール・ワールドカップ優勝。2007年 に渡米。スタンフォード大学アメリカンフットボール部でボランティアコーチとして活動開始。2011年、正式に採用され、Offensive Assistantに就任。現在に至る(写真:著者提供)

河田 剛(かわた・つよし)
1972年7月9日埼玉県生まれ。1991年、城西大学入学と同時にアメリカンフットボールを始める。1995年、リクルートの関連会社入社と同時にオービック・シーガルズ入部(当時はリクルート・シーガルズ)。選手として4回、コーチとして1回、日本一に。1999年、第1回アメリカンフットボール・ワールドカップ優勝。2007年に渡米。スタンフォード大学アメリカンフットボール部でボランティアコーチとして活動開始。2011年、正式に採用され、Offensive Assistantに就任。現在に至る

アメリカでは大学の敷地が解放されている

さて、アメリカの事情は、どうであろう? 細かい調査をしたわけではないが、日本のそれより多くのスポーツで、クラブチームが活動していることは事実である。

スタンフォードを例にとってみよう。スタンフォードをホームフィールドとしたクラブチームは数多くある。陸上、水泳、体操、テニスなど、インドア・アウトドアを問わず、多くのクラブがスタンフォードのキャンパスを中心に活動している。

地方自治・地域特性が物事に大きく影響を与えるこの国であるが故、「スタンフォードの周辺=アメリカの縮図」ということにはならないが、私が知る限りのアメリカでのクラブチームの活動について以下にまとめてみた。

(1)近隣地域の各学校から子どもが参加する。すなわち学校を一つの単位としない。

→ 日本に古くから存在する、学校単位が基本の「スポーツ少年団」とは少し違う

(2)指導者には保護者から、指導料などが支払われる。

→ 大きなクラブになると、現役アスリートや元アスリートの雇用も創出することになる

(3)当然、学校に付随する部活やほかの競技のクラブチームとの掛け持ちが多い。

→ 試合や練習が重なった場合に、どれを選ぶかは、基本的には個人の意思が尊重される。

(4)自分たちのフィールドは持っていないので、スタンフォードのStudent Athleteが練習で使用しない時間や場所を見つけて活動している。

(5)試合に出場する形態はさまざまで、クラブチームのみで行われる大会もあれば、クラブか部活かを問わない大会もあるそうだ。また、練習はクラブのみで、大会は学校の部活の代表として出るようなケースもあるらしい。私の認識が正しければ、日本の水泳界はこのようなケースが多いのではないか。

さて、日本に当てはめてみて、どうであろう? (3)は大きな問題である。これは日本人が持つ、「没個人・没個性」的な、チームスポーツの概念を変えねばならない。これは哲学的かつ長い話になりそうなので、次回以降に回させていただきたい。

敷地を第三者に使われても怒らない

(4)について、一つのエピソードを紹介したい。

2007年、シーズン終了後のオフシーズンである。フィールドでジョギングをしようと外に出ると、私たちのフィールドでサッカーをしているグループがいた。

自分たちのフィールドであるので、良い気分はしないままストレッチを始めたとき、たまたまチームの総務的な役割をしている、私の上司でもあるMattがフィールドの前を通りかかった。

私は彼が烈火のごとく怒って、文句を言ってくれるのだろうと思って見ていると、彼はその場を通り過ぎて、こちらに歩いてくる。

TK(筆者)「あれ、放っておいていいのか?」

M「あれって、何だ?」

TK「……」。彼らの方向を指差す。

M「なんか問題あるのか?」

TK「いや、うちのプラクティス・フィールドだし……」

M「別に使ってないんだから、いいだろ。オフシーズンだし」

TK「……」

皆さんはどうだろう? 自分、もしくは自分が関連している組織が使用しているスペースを、空いているからといって、見知らぬ人に、勝手に使われたら。

「良い気はしない」以上の答えが、ほとんどではないだろうか。しかし、8年この国で過ごした私には、今なら理解できる。

「空いているから、いいんです」

アメリカでマルチスポーツが根づいている要因の一つである、クラブチームの存在。つまり、彼らが活動の場を確保できている理由は、この一言に凝縮されると言える。

日本人は排他的なのかもしれない

ここからは、私の推論を1ミリたりとも出ない話である。私たちの多くは、先祖代々、世界地図から見れば「小さな島国」で育った。ほかの国との比較論になってしまうし、あまり好ましくない表現なのかもしれないが日本人は「排他的」なのである。

さて、太平洋を挟んだ、この国はどうだろう? (日本の歴史から比べれば)たかが、数百年前にほかの大陸から移り住んできた、かつ多種多様な民族がつくりあげた国家であり、文化である。で、あるが故、ある程度、他人が自分の土地へ侵入してくることなど、そこに悪意が見えなければ、構わないのである。

それよりも、なによりも、(4)に関して言えば、国土の問題が第一であろう。「小さな島国」の国土の約70%は山岳地帯である。アメリカと同じように事が進むはずはない。そこには、われわれが今まで築き上げてきたような創意工夫が不可欠である。

2020年のオリンピックに向けて、スポーツ庁が設立された今、国策として、いろいろな新しいチャレンジをしていかなければならないのは、明らかである。今回論じてきたことにフォーカスして言うなら、クラブチームを通してのマルチスポーツの推奨とその活動場所の確保が重要な課題の一つとなる。

それ以前に、政治家の方々に、マルチスポーツ推奨という方向性を理解していただく必要がある。そのためにも、この連載を強く、そして広く続けていかなければならない、と感じる秋の夜長である。

次回以降も、もう少し、マルチスポーツについてのお話にお付き合いいただきたい。

*本連載は隔週で日曜日に掲載予定です。