次世代リーダーを育む「奇跡の学校」。バリ島「グリーンスクール」とは

2015/11/1
2015年12月にフランスのパリで開かれる国連気候変動枠組条約締約国会議(COP21)。世界各国の首脳クラス、環境保護団体、グローバル起業の代表などがそろうその大舞台へ、インドネシア・バリ島にある“ちょっと変わった”学校から十数人の生徒たちが招待された。その学校の名はグリーンスクール(Green School、以下GS)。バリ島のジャングルの中につくられた“未来のリーダー”を育てるための学校だ。
鬱蒼としたジャングルの中にあるグリーンスクール。ここに見えている建物部分は、学校全体の4分の1ほど。©John Singleton / Green School Bali
社会をより良く変えていく人材をここから世界へ輩出し、人類が抱えるさまざまな問題を解決し、未来を大きく変えていこうという強い意志をもってこの学校は誕生した。
周囲に広がる大自然、建物のほぼすべてが竹でつくられた校舎、自給自足のエネルギー、生徒やスタッフたちの手による食糧生産、環境問題に特化したカリキュラム、生徒たちによるNPOやビジネスの起業、そして学校を支えるエコシステム……。
限られた誌面ではそのすべてを伝えきることはできないが、同校に息子とともに1年間留学した筆者が、なぜ、この学校に全世界の父兄の注目が集まるのかについてまとめたので、その概要をぜひつかんでほしい。

グリーンスクールの成り立ち

GSのファウンダーは、ジョン・ハーディーとシンシア夫妻だ。1980年代にバリで出会った2人は、デザイナーでもある彼の名を冠したジュエリーブランドを立ち上げ大成功した。
しかし、2006年に映画『不都合な真実』を観た2人は強い衝撃を受け、教育の力で未来を変えていこうとまったく新しいコンセプトによる学校の建設を決意。2008年、私財を投じてGSを開校した。
もっとも、使命感にまかせて学校をつくったはいいが、生徒も教師も、そしてコンセプトに血を通わすノウハウも資金も何もない。
そこで夫妻は世界を周り、能力と情熱あふれる教師やスタッフたちをヘッドハンティングし、TEDなどのプレゼンイベントに登壇しては、人々に理解を訴え、支援を求め続けた。
ジョン・ハーディーTED講演映像
こうして、ハーディーの想いに共感した人々が世界中から続々と集まり、ようやくGSは動き始めた。

世界を驚かせた建築群

1階の広いスペースでは給食を食べたり、ライブやパーティーなどさまざまなイベントを行ったりする。
GSを一躍有名にしたのは、やはりその驚異的な建築群だろう。竹を使ってこれだけのものをつくりあげてしまったことには、ただ驚くとしか言いようがない。
この竹建築のインパクトがなかったら、GSがここまで注目を集めることも、短期間のうちにここまで大きくなることもなかっただろう。
学校のシンボルでもあるHeart of Schoolは、螺旋状の屋根をもつ3つの巨大バンブーハウスが連なる構造で、それぞれが3階建てになっている。竹の聖堂(バンブー・カテドラル)の異名がまさに相応しい。
黄色い布がかかっているのはPC。2階右手と3階はハイスクールの教室。
1階はアートルームや食堂、多目的スペースとして使われ、2~3階には図書室やPC室、ハイスクールの教室などが入っている。
まるで子どもの頃に思い描いた秘密基地がそのまま巨大化したようなつくりで、ここを訪れる大人たちは皆、しばらく少年時代に戻ってしまう。
力強さとしなやかさを併せ持つ竹の個性と、幾何学的な美しいデザインは、この空間にいる者の心を和ませ、知的好奇心を刺激する。建築もまた、大きな教育資源だ。
GSの採光技術は、光の芸術と言える。
校舎には壁がない。風が自由に空間を横切り、さまざまな音や匂いが流れる。
照明も最小限しかない。というより、ほとんど必要がない。天窓から注がれる熱帯特有の強い日差しも、無数に組まれた竹柱で拡散され、温かみのある間接照明となって降り注ぐ。この学校の校舎にいると、どんどん五感が研ぎ澄まされていくのがわかる。

GSの教育理念とカリキュラム

ハーディー夫妻がGSをつくった目的はただ一つ。人間社会が抱えるさまざまな問題、特に環境問題に対し“環境保護”だけを訴えるのではなく、社会的・経済的に持続可能なやり方で取り組み、それを現実的に解決していく人間の育成だ。
つまりは、口だけではなく行動する人。そして実社会で強く影響力を持つ人を育てることにある。
学校の存在意義が極めて明確なので、教育方針もそれに沿ってしっかりデザインされている。学年は3歳児クラスから12年生まで。全15学年で450人ほどの生徒が在籍している。学費は年間120~200万円ほどで、生徒の約20%は地元インドネシア人の奨学生だ。
1クラス15~20人で、年少・年中組と高校以外の学年が2クラス制となっているクラスには担任と副担任が付き、幼稚園ではさらにサブの教師が2人ほど付く。

幼稚園からソーシャルワークを体験

年少クラスの教室。最高に風通しがよく、昼寝にはもってこいの環境。
幼稚園からGSの教育哲学はしっかりと実施されている。幼児期において重要視されるのは、自分の身の回りの環境への理解と調和する能力の獲得だ。
自分を囲む自然環境がどういうものなのか。そして、小さな自分の周りを取り囲んでいる小さな社会に対して、どのように接するべきなのか。そんなことをゆっくりと、じっくりと学んでゆく。
大自然の中につくられたGSはキャンパス全体が“教室”であり、あらゆるところに“学び”がある。そしてGSは、さまざまな人たちが日々行き交う場所でもある。教師、保護者、上級生、近隣集落からやって来る農業・調理スタッフ、校内でのプロジェクトに関わる人々、世界各地からやって来る特別ゲストや旅行者たち……。
それらすべての人々が、幼い彼ら彼女らにとっての“先生”となるのだ。小さな彼らは、ここで人生において初めてのソーシャルワークを体験する。至って簡単なものだが、彼らにとってそれは貴重な経験となるだろう。
自分の呼びかけや行動で道行く人を笑顔にさせたり、そこからさまざまな連鎖反応が起きるということを学ぶ意義は大きい。
4歳児たちによる「FREE HUG」運動。キャンパス内で出会う人すべてにハグを求めた。© Green School Bali
また、アクティングの授業もこの頃から毎週行われる。お芝居を通して他者の存在やさまざまな感情の意味を理解し、小学校から始まるディスカッション形式の授業に向けて、他人をリスペクトの姿勢やロールプレイの基礎などを学ぶ。
毎週末、金曜の放課後に保護者やゲストも交えて盛大に開かれるアセンブリでは、3歳から18歳まで全学年が交互にテーマを発表し、個人やグループのプレゼンテーションも行われる。
人前での振る舞い方、人を惹きつける技術、多数を巻き込んで大きなうねりを起こす魔法などを学ぶ土台づくりが、この頃から着々と進んでゆく。

6歳の子どもたちがプロジェクトを推進

小学生になると、徐々にそれが本格化する。1年生では全校を巻き込むソーシャルワークに挑戦。2014年度の生徒たちは、ペーパータオル撲滅運動「Shake Off The Water」を自らの手で展開した。
“エコ”が売りのGSであったが、トイレやクラスルームには手拭き用の使い捨てペーパータオルがたくさん置いてあった。それを校内からなくそうということが彼らの狙いだ。
1年生のソーシャルワーク「水を振り払え!」
クラス内でアイデアを出し合い議論を重ね、校内に貼るポスターを一枚一枚手作業で製作。「水を振り払え!」と毎朝の集会や週末の全校集会であのヒット曲に合わせにプレゼンを行い、学校関係者すべてに協力を訴え続けた。
周りもただ協力するだけではなく、さまざまな意見や疑問を投げかけ、プロジェクトをブラッシュアップさせてゆく。まだ6歳の子どもたちであるが、この体験を通じて多くのことを学んだはずだ。
3年生までは学びの土台づくりに重点を置いた、ゆったりとしたカリキュラムが組まれている。4年生以降はガラリと変わり、勉強もソーシャルワークも本格化する。
学校での授業と家庭でのオンライン学習、課題図書によるリポートが両輪となったスタイルだ。オンライン学習では主にカーン・アカデミー(サルマン・カーンによって設立された非営利の教育ウェブサイト)を使い、生徒は各自のペースで学習を進める。教師は各生徒の進捗具合や学習におけるつまずきはないかを常時チェックし、クラスでの進捗別授業に対応させる。
課題リポートを使ったディスカッション中心の授業も重要な位置付けとなる。これを繰り返すことで、生徒たちはプレゼンテーション技術と議論を進める能力を磨いてゆく。
小学校の教室。
また、ソーシャルワークも外部NPO団体や企業とコラボした本格的なものが始まる。
約半年間かけてクラスが決めた課題に取り組み、ただ参加するだけでなく、それが事業として成立するかどうかも問われるのだ。
2014時に4年生だった生徒たちは、バリ島の野犬・野良猫保護支援団体BARKとタッグを組み、学校近隣や居住地域での保護活動に従事。学校内でキャンペーンを行い、チャリティーイベントも重ね約700万円もの収益を計上。それを全額寄付した。

NPOを起業する中学生も

ミドルスクールになると、ソーシャルワークは年間を通した正式なカリキュラムとなり、各自がテーマを決めて活動することになる。
自分たちでNPOを起業したり、興味のある活動にいろいろ参加してみたり、外部の団体の活動に参加することもできる。
中学校の教室。
中学生になると、日々の学習の量も増え、宿題もたっぷりと出される。特に、小論文などのリポートの提出は毎日のように宿題として出され、教師は生徒たちからの質問に深夜遅くまでメールで答えるなどサポートする。次の日の授業でそれらを使って議論するためだ。
課題図書も大人向けの重厚なものが毎週のように出される。2週間ほどの春休みの間、7年生は、ジャレド・ダイアモンド著『銃・病原菌・鉄』の上下巻(約1000ページ)が課題として出された。その年に日本の公立校から来たばかりの生徒は、辞書を片手に毎晩遅くまで“泣きながら”読み、リポートにまとめたそうだ。
ミドルスクールから卒業時に卒論が課せられ、最後に全校生徒や保護者たちの前でプレゼンテーションの機会が設けられる。持ち時間は10分間で、生徒たちは趣向を照らした研究テーマを発表する。

高校生になってすぐ告げられる、“子ども時代”の終わり

卒業プレゼンテーション「green stone」の様子。
ハイスクールは9年生から始まり、まず通過儀礼のイベントから高校生活はスタートする。
15歳の生徒たちは、男女別で教師やメンターとともに山にこもる。彼らは出発時に母からの、最後の夜に父からの手紙を読む。そうして“子ども時代”の終わりを迎えたことを各自の中で折り合いをつける。その旅を経た日から、彼らは一人の人間としての自覚が求められ、さまざまな責任も負う。