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さまざまな生き方を、許容する社会に

朝倉祐介「あるべき教育は、生徒個々人の自分らしい生き方の助けになるもの」

2015/10/29
カドカワが2016年4月を目指して、インターネットを利用した通信制高校「N高等学校」を開校すると発表し、大きな注目を集めている。10月14日に詳細が発表され、通常の学習とあわせて、各界のプロフェッショナルを講師に迎えた「dwango×プログラミング授業」「KADOKAWA×文芸小説創作授業」「電撃×エンタテインメント授業」などの「課外授業」が受けられることなども明らかになった。
今回、N高等学校の取り組みに対して、各界の著名人からメッセージが寄せられている。彼らは、自身の学生時代から現在に至るまでの経験を踏まえ、教育に対してどのような思いを持っているのだろうか。第2回は、スタンフォード大学客員研究員でミクシィ前社長の朝倉祐介氏に聞いた。

朝倉祐介の子ども時代

──初めに、ご家族について教えていただけますか。

朝倉:はい。私と両親、弟の4人家族ですね。

──朝倉さんはどんなお子さんだったんですか。

いまだに親に言われるのは、昔デパートに屋上遊園地がありましたよね。そこで子どもがゴーカートのような乗り物で遊んでいるとき、私はそれに乗らずに「ピピーッ!」って言いながら、彼らの交通整理をして遊ぶような子どもだったらしいです。

あとは、おもちゃ屋さんで、知らない子にいきなり話しかけていたみたいですね。今はすっかり人見知りなので、そんなこともないんですけども。

──ご両親の教育方針について教えてください。

あまり勉強しろと言われたことはなく、割と自由にしていましたね。父親は、自分で中小企業を営んでいて忙しかったですし、母も口やかましくはなかったので。

方針としては、「やりたいことがあるなら自分でやれ」というスタンスでした。幼いときでも、友達の家に行って遊びたいなら、自分で電話をかけて約束していきなさい、と言うような感じです。

──子どもの頃は、どんな遊びをしていたんですか。

小学生の頃は、当時、人気があったファミコンを買ってもらえませんでした。だから、友達がストリートファイター2やファイナルファンタジーの話で盛り上がっていても、会話についていけなかったのがさびしかったですね。

その代わり、小学校3〜4年生のときに、なぜか親がパソコンを買いました。フロッピーディスクのドライブが2つ付いているPC-9801です。

──その時期、家庭にパソコンがある子どもなんて、ほとんどいないですよね。

はい。パソコンのゲームは買ってもらえたので、「信長の野望」や「三国志」をよくやっていました。でも、武田信玄で上杉謙信倒したぜ! と周りに言っても、誰もわかってくれないじゃないですか。だから、もう、一人で遊んでいました。あとはニフティサーブ(パソコン通信サービス)などをやっていましたね。

──学校での勉強は好きでしたか。

取り立てて好きでもないですけど、割と自分からやっていたとは思います。成績は、普通か少しできる程度でしょうか。

──朝倉さんは、中学卒業後に高校に進学せず、騎手を目指されていますね。当時のお話をNewsPicksの連載でも書かれていますが、改めてそのきっかけを教えてください。

私の出身は兵庫県の西宮市なのですが、すぐ近所に阪神競馬場がありました。自分の勉強部屋から、競馬場の時計が見えるくらい近いところで育っていたんです。競馬や馬に関心を持ちやすい場所だったかもしれません。

実際、自分たちにとっては武豊さんがイチローさんみたいなカッコいいスポーツ選手として映っていました。そこで、自分も馬に乗りたいなと、思うようになったんです。実際に乗馬をやってみたところ、非常に楽しかったし、自分に向いているかもしれないなと感じました。

騎手を目指して中卒で渡豪

──どのタイミングで騎手になりたいと思ったのですか。

中学2年生の頃ですね。当時は、高校受験をしなきゃいけないので塾に通っていたのですが、竹刀片手に行われるスパルタ型の指導で、あんまり楽しくなかったんです。その中で、なんでこんな思いをしてまで良い高校に行かなきゃ駄目なのかな? と、考えたんです。

そのとき導き出した結論としては、結局は良い大学に行き、さらに良い会社に就職して、高い給与や社会的な名声を得るためなんだろうなということ。でも、それは自分にとって価値のあることじゃなかったんですよ。他人から見て価値があることでしかない。

だから、高校に進学することに対して「意味がないな」と思ったんです。その中で、当時私が興味を持っていたのは馬を扱うことだったので、「人にどう思われようが自分のやりたいことをやろう」と思い、競馬の騎手を目指しました。

ただ、私は赤と緑の色覚異常があるので、日本の競馬学校に入学ができませんでした。そのため、海外まで範囲を広げていろいろ調べた結果、オーストラリアに入学可能な学校があることを知りました。どうすれば入れるのか全然わからなかったので、学校側にFAXで質問して情報を集めましたね。両親もその様子を見て、「どうやら本気らしい」と思ったようです。

──ご両親に反対はされなかったんですか。

めちゃくちゃ反対されましたよ。せめて高校を卒業してから改めて考えてもいいじゃないかと。真っ当な反応ですよね。

当時は今すぐ行くべき理由を3つ挙げて説得しました。

1つ目は競馬の騎手に求められるのは特殊な身体的技能だから、なるべく若いうちに身につけたほうが良いということ。

2つ目は、図らずも海外に行くことになるので、早い段階で行ったほうが言葉も吸収しやすく、違う世界で働く柔軟性が高まるんじゃないかということ。

そして、3つ目に言っていたのは、中学を卒業してからすぐに行くほうが高校を卒業してから行くよりも、失敗したときの取り返しがつきやすいということです。

──いざ入学されてからは、騎手としての減量が大変だったと伺っています。

はい。その頃、一気に身長が伸びたこともあり、減量に苦しみました。食事制限やランニングをしていたのですが、適正体重とされていた47、8キロを保つことがどんどん難しくなったんです。

最終的には、体脂肪率を3%くらいまで落としていましたが、これ以上はどうしようもありませんでした。減量の過酷さよりも、騎手を諦めなければいけないという事実が、一番つらかったですね。

──騎手を目指した経験は、後悔ではなく、やってよかったという気持ちのほうが強いですか。

そうですね。やって駄目だったので、納得できますから。自分は挑戦して思いっきりバットを振って空振りした、それは仕方ないよねと。私は今も昔も、あのときああしておけばよかったという後悔を残すことだけは我慢ができないんです。やらなかったことの後悔ってずっと残ってしまいますから。

その後は、北海道の牧場で働いていたんですけれども、交通事故にあって4カ月弱くらい入院しました。左足の大腿骨と下腿骨を粉砕骨折して、足はめちゃくちゃ痛いし、毎日熱が40度以上出ました。17歳で大けがして、無職。もうどうしようもない状態です。

そこから、大学受験資格を得られる専門学校に行ったんですけれど、その頃は騎手を目指すほど一生懸命に打ち込むものがなかったので、暇を持て余していました。

大学時代から支えになっている言葉

──そんな状態から、東大を目指されたんですね。

はい。思い立って、ふと勉強を始めたら割とできたんですよ。海外にいたので英語はできましたし。そうやって勉強を続けていたら、東大を狙えるくらいの学力がついてきたことがわかりました。頑張った分だけちゃんと結果がついてくる、ということがうれしかったのを覚えています。

文系だったこともあって、東大の法学部に行くことは一番わかりやすい目標だなと思い、ゲーム感覚で取り組むことにしました。私がいた専門学校では、そもそも大学受験をする人もあまりいなかったので、誰も学習指導なんてしてくれません。

だから、自分でネットの受験掲示板を見て情報を集め、参考書や問題集を決めて、受験当日までのカリキュラムを自作して勉強し、東大に入学しました。

ただ、東大に入ったものの、今度は「これからどうするのかな?」という迷いが芽生えました。もうわかりやすい目標はなくなってしまいましたから。大学生の頃は、「腹の底からやりたいことは何か」と悩んでいましたね。その後、やはり自立して自分の腕で生きていきたいと考える中で、起業や経営に興味を持つようになりました。

──朝倉さんも、大学時代は将来について悩まれたことがあるんですね。その中で支えになった人や言葉はありますか? たとえば、インタビュー前に書いていただいたアンケートには「ジョニーは飛べるよ」という言葉があるのですが。

うーん、それを話すのはかなり恥ずかしいのですが……。大学時代に、海外のアートスクール出身の少し変わった友人がいたんです。彼女は私のことを「ジョニー」と呼んでいました。馬に乗っていたことを話したら、「なんかテキサスの大草原にいるジョニーって感じがする。だからジョニー!」と言われたことが、きっかけです。

私も「そうか、ジョニーか」と、特に突っ込まなかったのですが、良く考えたら意味がわからないですよね。普段からそんな感じで、いろいろと不思議なことを言う面白い人だったので、よく一緒にいたんです。

彼女とは、私が就職活動をしていた頃に、「これから、どうしようかな?」と飲みながら話すこともありました。そのとき、彼女が不意に「ジョニーは飛べるよ」と言ったんです。

なぜかその言葉に妙な重みを感じて、「そうか。飛べるのか」と素直に受けとめました。彼女はちょっとスピリチュアル気味の不思議な人で、預言者のような雰囲気もあったからなのかな。とても印象的だったことを覚えています。

その言葉を、社会人になってからも、いろいろとしんどいときに思い出すんですよね。そして、不思議と支えられているところがあります。「あいつがジョ二ーは飛べるよって言ったんだから、たぶん俺は飛べるんだろうな」って。まったく根拠のない思い込みなんですけれど。

個性を伸ばす教育を、実現させる社会に

──来年の4月に、カドカワが「ネットの高校」を開校する予定です。今はまだ、一般的な高校、大学に行き、良い会社に入る考えのほうが根強いと思います。そうした現在の教育の在り方について、どう思われているか聞かせてください。

別にそれでいいと思いますよ。当人がそうした生き方を選びたいと思うのであれば。ただ、それ以外の生き方をする人たちをちゃんと許容できる社会であってほしいなと思いますね。ともすると、高校に行っていない人に対して、「普通じゃない」と色眼鏡を介して捉えてしまいがちですが、それは固定観念ですから。

私は自分の経験からも、自分の価値観を他人に押し付けるような生き方をしたくありません。もっといろんな生き方や価値観が社会で理解されるようになるのが理想だと思います。

──教育において、変えたほうが良いと考える点はありますか。

もっと個人の特技を伸ばすことを許容する学びの在り方があってもいいと思います。5教科平均して良い点を取る人だけじゃなくて、算数だけ飛び抜けていたり、美術だけ頑張っていたりする人がもっと評価される教育の在り方があっていい。

もっと言えば、そもそも教科の話じゃなくて、学生が持っている夢や目標を後押しできるようにあってほしい。別に現行の学校教育制度を維持するために学生が存在するわけじゃないですから。

本来、教育は一人ひとりの個性を伸ばして、それぞれが自分らしく生きることを手助けするためにあるべきだと思います。

──今、社会人経験がない人がすぐ先生になっていることを問題視する声もあります。

企業や官公庁など、異分野の交流がもっとあってしかるべきだと思います。社会人経験のある人が、一時的に、教壇に立つ仕組みをつくっても良いかもしれない。もしくは学校で教えている先生方が、会社で働いてみるのもいい。

そうした他流試合を繰り返さないと、どんどん自分たちが見ている世界が当たり前のものだと思い込んでしまう。それは、教育に限った話ではなく、会社だって同じです。

世の中には、いろんな働き方や考え方があるのに、同じ環境の中で長らく過ごしていると、同質の環境内で受け入れられている考え方のみを是とするような教え方になりかねない。そうならないためにも、もっと流動性のあるなめらかな社会になっていったらいいなと思います。

──今の高校生に伝えたいことはありますか。

好きなようにやればいいと思うのですが、あえて言えば後悔を残さないということでしょうか。

──それは、今までのお話と、アンケートに「好きな言葉」として書いていただいた、マーク・トゥウェインの格言ともつながりますね。

はい。マーク・トゥウェインの警句とされる“Twenty years from now you will be more disappointed by the things that you didn’t do than by the ones you did do”。彼は、今から20年たったときに、あなたは自分がやったことよりも、やらなかったことに失望しますよと言っています。

ワシントンDCの博物館に行ったとき、入り口にこの言葉が書かれたパネルがどーんと立っていたんですよ。それを見た瞬間、自分がぼんやり思っていた考えをぴったりと言語化してもらった気がしました。そこで、当時持っていたiPhone 3Gで写真を撮って壁紙にしました。

今もその写真が壁紙です。6年くらいたっているので、いい加減ちょっと飽きますけどね。私にとって、変わらず大切な言葉です。

*本連載は毎週木曜日に掲載予定です。