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これはエンジニアが直面している課題でもあるわけです。自動運転のアルゴリズム設計を行う際に、どういう状況でどちらを優先するかをプログラムする必要があるため、その設計者がこのジレンマに対して答えを出す人間になる。

 ただ、おそらく経営的には答えはもっとシンプル。これはまさに文理融合的な問題で、企業の立場にたてば、法的に事件事故の負担が小さくなるほうを優先するべくプログラムするのが少なくとも当面が最適になるかと。

 出来るだけ賠償金が少なく、できるだけ法的責任がこじれず、できるだけ自分への責任追及が長引かない方向性に設定する誘引が働きます。倫理的には答えは簡単に出なくとも、法律や判例からは少なくとも人間社会とそに判断基準がどちらを重く見ているかは統計的にある程度は推察できるはずですし、説明責任も果たせる。
というか、既にゆりかもめとか鉄道は自動運転されてますけど、それはどうプログラミングされてるのかしら?
自動運転でよく語られるトロッコ問題。でも、実際は2択で犠牲者の数まで明確に分かって選択を迫られるという事態はあまり起きないのではないでしょうか。何となくアカデミアの議論の為の議論という匂いがします。

それよりも、今と同じく乗車している人の安全を最優先にする形で技術が進んでいけば、どこかで人が運転するより通行人も含めてはるかに安全であるという認識が広まって、一気に普及すると思います。
危機時の行動をあらかじめどうプログラミングしておくかは極めて難しいですね。ここに書かれている1人と5人ならというだけならまだ人数の差があるが、まっすぐ行くと子供にぶつかりそうなだが大きくハンドルを切れば老人にぶつかるように回避できるときに、大きくハンドルを切ることをプログラミングすべきか。そしてこれは「自動運転の事故の責任をだれが負うのか」という議論とも裏表になります。人間が運転してれば良くも悪くもその人の「過失」となりますが、自動運転は車メーカーなのか、プログラムを作った会社なのか、はたまた包括的に保険でカバーする仕組みを新たに作るのか
将来的に全部が自動になれば事故が大きく減る方向にいくと思いますが、そこに至るまでの過渡期をどう設計していくかが難しいですね
5人か1人かの選択問題にすると、倫理的な解がなくなる。刑法は緊急避難理論でこの問題をかわすが倫理的解ではない。だから、この選択問題に直面しないように、事前に問題状況に遭遇するおそれを回避することが解になる。全自動車に期待するのは、現実の危険を回避するだけでなく、恐怖感による人の直観的判断を越える、3手先、5手先を読み、危険のおそれ、おそれのおそれを回避する予測機能だ。「君子危うきに近寄らず」ということ。「平均」や「中央値」に基づく理論ではなく、「はずれ値」に対処する理論が望まれる。安全保障についての議論にも同じ課題がある。
サンデル先生!
でたー、トロッコの議論。そもそも自動運転で自分が死ぬプログラムが仕込まれた車なんて誰も買わないよね。普及してこそPDCAが回ってトータル死者数も減るのよ。どこまでいってもそいういう順番。とは言いつつ、自分の家族がもし自動運転に殺されたら恨みの持って行きどころがなくなって苦しむんだろうなぁ。
道徳的問題はどのようにプログラムされるべきか。これは考えさせられる問題。通行人、友人、家族、自分、命に優先順位をつける事にも繋がる。自分の道徳心に照らし合わせて最初にプログラムを設定できると良いですね。
自動運転車における事故は会社側が持つと思うので、会社の利益を最大化する方にプログラムされると思います。運転手を犠牲にすると、利用する人が減る。一方、歩行者を犠牲にすると、賠償額が増える。事故が起きないように頑張るのが一番です。
基本的には情報は完全じゃない。だから結局、運転者の命に関わらないレベルで自動運転で最大限の回避運動を意図したと言うことになるのだろうけど、それによって鞭打ちになった運転者が出てきて裁判みたいなリスクはある。

だから、それを避けるためにも衝突安全基準みたいな技術が基準としている最大遠心力などが公表されるのかもしれない。
時価総額
42.3 兆円

業績