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要約で読む『気仙沼ニッティング物語』

初年度から黒字。「ほぼ日」発の会社、気仙沼ニッティングはなぜ成功したか

2015/10/26
時代を切り取る新刊本をさまざまな角度から紹介する「Book Picks」。毎週月曜日は「10分で読めるビジネス書要約」と題して、今、読むべきビジネス書の要約を紹介する。
今回取り上げるのは『気仙沼ニッティング物語』。震災翌年の2012年、糸井重里氏が主宰するウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」のプロジェクトとして、気仙沼で編み物の会社を立ち上げる「気仙沼ニッティング」がスタートした。その代表を務める御手洗瑞子氏は、マッキンゼーのコンサルタント、ブータンの公務員というキャリアを持つ変わり種。そんな彼女が、震災によって経済が壊滅した気仙沼で、これまでにない企業を立ち上げる様子を描いたのが本書だ。
ハーバード・ビジネススクールの視察も受け、復興の先進事例としてテキストに紹介された「気仙沼ニッティング」の事業だが、経営の要諦はどこにあるのか。起業、地方創生、ものづくり、女性の働き方など、さまざまなキーワードで学びが得られるだろう。

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編み物の会社を立ち上げよう

気仙沼へ

東日本大震災が起きたとき、著者はブータン政府での産業育成の仕事に従事していた。すさまじい被害の様子を知るにつれ、「いまは、日本人として、日本のために働くべきときではないか」という思いが募り、帰国を決めたという。

東北の自治体で産業復興に関わる仕事をしたりするうち、現場で事業や産業を育てなければ、何も生まれないと著者は痛感した。そこへ、親交のあった糸井重里氏から、思いがけない提案を受ける。

「気仙沼で編み物の会社をやりたいんだけどさ。たまちゃん、社長やんない?」

その言葉がきっかけとなり、気仙沼で下宿をしながら、編み物の会社を起ち上げるという、新しい挑戦が始まった。

なぜ編み物か

震災の翌年の2012年、気仙沼ニッティングは糸井重里氏が主宰するウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」(ほぼ日)のプロジェクトとしてスタートした。なぜ「編み物」だったのか。

まず、編み物なら工場がなくても、仮設住宅に住んでいても、「とにかく始められる」から。

次に、「着たくなる」デザインを生み出せる、編み物作家の三國万里子さんとご縁があったから。

3つ目には、漁師町である気仙沼には「編む」文化が根づいていたから。海に出る漁師のために、家族は無事の祈りを込めてセーターを編んだ。手先が器用な漁師も、暇つぶしに海で編み物をしたのだという。このことは、編み手確保という実践的な点からも、編み物は自分たちの産業だと気仙沼の人に思ってもらえるという点からも、意義深かった。

最後の理由は、編み物ならば「服」をつくれるし、「服」ならば採算のとれる価格設定にしやすいからだった。ファッションの世界では、高くつく手間も反映した売値をつけられるということは重要なポイントだった。

4着からのスタート

プロジェクトをスタートすると同時に、著者らはアイルランドのアラン諸島に向かった。アラン諸島は、かつて世界中で流行した手編みセーターの産地である。まずは「本場」を把握し、目指すことや努力すべきことを見通したいという思いがあった。

アラン諸島もまた、港町であり、セーターに航海安全の祈りを編みこんだ土地であった。そして、アラン諸島の編み物産業は、もとをたどれば外部から持ち込まれた産業であったのだという。気仙沼での試みは、アラン諸島の跡を継ぐもののように、著者らには感じられた。

アラン諸島最終日、「世界で一番かっこいい」「白いフィッシャーマンズのカーディガン」を、「オーダーメイドで編み上げる」と、最初のプロダクトが決まった。

帰国後、毛糸の研究を重ね、地域で編み物ワークショップを催して熟練の編み手をスカウトした。手間がかかる商品を事業として成立させるために、価格は1着15万円。この価格は、編み手の「一生ものを編むのだ」という仕事の誇りにもなった。

編み手1人につき1着のカーディガンを受注することにしたので、2012年の冬に受注するのは4着となった。小さなスタートだった。

「MM01」と名づけられた商品は続々と完成し、編み手からの手紙と一緒に、注文者の元へ届けられた。そして続々と、注文者からの便りが届いた。羽織ってみると編み手さんのぬくもりに包まれているようだ、いつか家族と気仙沼へ遊びに行きたい、という手紙に、涙する編み手もいた。

株式会社気仙沼ニッティング

気仙沼ニッティングが目指すこと

気仙沼ニッティングは、プロジェクトとしてのスタートから1年後、株式会社として独立することになった。

目指す会社の姿は、働く人が誇りを持って仕事をし、編むことのうれしさをプロダクトで伝え、気仙沼で稼げる会社になることだ。そして、気仙沼の素敵で高品質なニット商品を世界中へ発信し、気仙沼を世界のKesennumaにする、という大きな夢を描いている。

編み手たち

気仙沼ニッティングで働く編み手たちは、地域の女性たちだ。50~60代の年代が中心である。普段は自宅で作業しているが、毎週水曜日は事務所に集まって練習をする。

編み手たちのプロ意識は高い。あるとき、互いに編んだものを見せ合っていたとき、編み上がったカーディガンの後ろ身頃に、一目だけの間違いが発見された。表目で編むところが裏目になっているが、毛糸の色の効果もあって、見た目にはまず、わからない。けれど、編み手は指摘されるやいなや、しゅるしゅると後ろ身頃のほとんどをほどいてしまった。

「お客さまが気づかなくても、自分の心には引っかかる。それにそういうことをすると信頼されない」

編み手たちの「お客さまの一生もの」を預かるという気持ちが、誠実な仕事ぶりを支えている。

エルメスと虎屋さん

著者は、虎屋の黒川光博社長とエルメス本社の斎藤峰明副社長の対談から、気仙沼ニッティングにとっての大きな学びを得たという。

虎屋では、変えていけないものを決めているわけではなく、時代に合った「いいもの」をつくることを追究しているという。ただ、もっとおいしくなるなら変えてもいいと研究を重ねているようかんの味は、結果としてあまり変わっていないということなのだ。

また、エルメスは売れ筋を狙わないという。そうでなく、「こういうものがあったらいいな」というものをひたすら追い求めているのだ。

今のお客さまが喜ぶ「いいもの」を考え、挑戦するという姿勢が、2つの老舗ブランドに共通する姿勢だった。妥協なく考え抜いた「いいもの」が、結果として時を越え、国境も越える。気仙沼ニッティングが「いいものをつくる会社」としてあるための理想がそこにはあった。

決算黒字

初年度を終え、編み手は4人から15人に増え、セカンドモデルのプロダクトであるセーターも、順調に販売されていた。

そして、気仙沼ニッティングは黒字で決算を迎えた。気仙沼市に納税も果たした。このことは、地域に利益を還元することを目標の一つにしている気仙沼ニッティングにとっては、うれしい出来事だった。何より、編み手たちの喜びようは、会社が利益を出し、地域に貢献することを含めたすべてが「働くこと」であり「誇り」であることを表していた。

決算黒字は、事業規模が小さくとも成立することを確信できる結果でもあった。

気仙沼で起業するということ

現場は明るく、メディアは難しい

被災地で起業することで難しかったことの一つは、メディアとの付き合い方だったという。

気仙沼ニッティングを全国に紹介したい、ということで受けたテレビ番組の取材は、違和感のあるものだった。

ディレクターは編み手に、津波のあった自宅近くでぼうぜんと立つ姿を撮りたい、仮設住宅で編んでいる姿を映したいと要求し、はりきって編み物をしていた編み手たちは困惑した。テレビがつくりたかった番組は、「かわいそうな被災者が立ち上がっていく物語」だったのだ。

気仙沼の人たちにとって、「震災後」は目の前にある現実で、その現実を生きるためにたくましく生きている。仮設住宅の暮らしにも工夫を凝らし、いいセーターを編もうと腕まくりしている。

現場は報道よりもよっぽど明るくたくましい。報道につくられた悲しいものを東北の姿だと思わないでほしい、と著者は語る。人々が東北を気軽に訪れ、おいしいものや面白い人に出会い、自然な交流が生まれてこそ東北は元気になる。

メリットやデメリット

気仙沼での起業は、条件が極めてよくないところでチャレンジしているようにみえるかもしれない。しかし、結果として、「気仙沼だからこそできた」と思うことが多いという。

気仙沼で感じたビジネス上のメリットには、賃料の安さや、気仙沼という土地が日本人の多くにとって未知の場所なので興味を持ってもらいやすいということがある。

さらに、土地柄か、親身になって助けてくれる人が街中にいることも大きい。何か相談するとすぐ人を紹介してくれるし、編み手たちも社員やインターンの生活を気遣ってくれる。

また、気仙沼では新しい会社の存在がすぐに知れ渡るということもメリットだ。気仙沼の場合は「三陸新報」という地元紙が他紙よりも圧倒的に読まれ、地域の情報がしっかりと共有されている。

デメリットの一つは、大消費地から遠いということだが、インターネットがそれを解決してくれる。ただ、地方に目がゆきすぎて市場感覚をなくすという「地方発商品の落とし穴」に陥らないよう、敏感にお客の目線を意識することは必要だ。

もう一つのデメリットは、地方は働き手が少ないということだ。しかし、フレキシブルな働き方を提供すれば、人は集まる。小さな街だからこそ、働き手のほうもなかなか勤務形態が合う場所が見つけられず、困っているのだ。

つまり、気仙沼で起業することのデメリットは、努力でどうにかなることだ。かたや、メリットの多くは努力しても得られないことばかりなのである。

種をまき、木を育て、森をつくるような仕事

生態系をつくる

著者は起業する前に何度が気仙沼を訪れていたが、二度目に訪れたとき、あることに気がついた。街中に地元の人の姿はまばらで、唯一車が集まっていたのはパチンコ屋の駐車場だったのだ。

住まいは仮設住宅で、生活費は雇用保険の失業手当で賄われ、暮らしは成り立つ状態であったが、そこには循環がなかった。暮らしや会社の取引が絡み合って、互いに便益をもたらす生態系は、壊れてしまっていたのだ。壊れた家や道路の修復は行政でできる。

しかし、暮らしのサイクルは、草が生えてやがて豊かな森になっていくようなプロセスを経ずして取り戻せない。誰かが種をまかねばならないのだ。

気仙沼ニッティングの仕事はまさに種をまき、水をやり、木を育てるような仕事である。ある雑誌の取材のとき、気仙沼ニッティングに望むことは何か、という質問が編み手に投げかけられた。

編み手たちは、この仕事がずっと続けられることだと口をそろえて答えたのだという。一方、気仙沼ニッティングのプロダクトは、一生ものとして次の代まで引き継ぎたいと考えているお客も多い。働く人にとっても、お客にとっても、会社が末永く続くことが大切だ、と著者は言う。

老舗の経営

「続く会社」にするために著者がお手本にしているのは、前述の虎屋やエルメスのような、老舗のものづくりの会社だ。

一気に大きな利益を生み出せるようなやり方を勧めてくる人もいるが、気仙沼ニッティングを100年続く事業に育ててゆくために、長期的な経営の視点を持つことを大切にしたいという。

エルメスの人気のバッグ「バーキン」は、よく品切れや品薄の状態になる。もっとつくればもっと売れるはずだが、エルメスはそうしない。バーキン専業の職人を雇えば、バーキンの売れ行きが落ちたときは彼らを解雇しなくてはならないからだ。

ものづくりの会社として職人を大切にするというエルメスの在り方に、著者は共感している。

一つの会社にできることには限りがあり、仕事で人の気持ちのすべてを救えるわけでもないが、気仙沼ニッティングのお客も働く人も、みんなが幸せになるようにしたい、というのが著者の願いだ。
 一読のススメ

ここで紹介しているのは本書の一部分にすぎない。

妥協のない毛糸づくりや、新築の店舗を通して生まれたお客とのやりとり、編み手との経営意識の共有など、魅力的かつビジネスの参考にできるエピソードは数多い。ぜひ本書を手に取り、気仙沼ニッティングという意欲的な試みから刺激を受けてほしい。

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本の要約サイトflier(フライヤー)
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