Voice朝鮮半島バナー.001

中朝韓の危ない未来・前編

【Voice】前編:急速に進む中韓接近。朴槿惠大統領は何を計算しているのか

2015/10/22
中国の「抗日勝利70周年」行事への朴槿惠大統領の出席は、何を意味するのか。朝鮮半島緊迫化後の停戦合意には、両国のどのような思惑があったのか。今後の中国・北朝鮮・韓国の出方とは。来月1日に予定される日中韓首脳会談を前に、朝鮮半島の専門家、武貞秀士・拓殖大学特任教授が東アジア情勢を読み解く。

中国軍事パレードに出席した朴槿惠大統領

韓国の朴槿惠大統領が9月2日から3日間、中国を訪問し、習近平国家主席と首脳会談を行なった。9月3日、天安門の壇上に、習近平国家主席、プーチン大統領、朴槿惠大統領が勢ぞろいし、人民解放軍の軍事パレードを観閲した。

日本の歴史認識の転換を訴える国連の潘基文事務総長の姿もそこにあった。抗日戦争に勝ったという経験を中国、ロシアとともに韓国が共有しているような映像だった。軍事パレードでは、航空母艦を攻撃するミサイル、東風-21Dのほか、米東部を破壊するための大陸間弾道ミサイル、東風-31Aが行進した。その気になれば中国が米東部を破壊できる装備品の数々が行進した。

米国の同盟国である韓国の大統領が、日本との戦争に勝ったとする中国の行事に出席したことで話題になった。国民党軍ではなく、共産党軍が日本軍との戦闘をしたのだろうか。韓国は戦勝国だったのか、という問いかけは当然だろう。

日本国籍をもった朝鮮半島の人びとは、1941年以降、朝鮮民族としての自負をもって日本の勝利に懸けたのではなかったか。それを山本七平は『洪思翊(こう・しよく)中将の処刑』で描いた。高倉健が主演した映画『ホタル』では、朝鮮半島出身の特攻隊員が、「朝鮮民族として特攻隊員の任務を立派に果たす。大日本帝国のためにではない」といって散った。

朴正熙は日本の士官学校を志願したときに、日本の軍人になって朝鮮半島出身者の意地を示そうとした。北朝鮮出身であることを語ろうとしなかった力道山は、「戦後、気力をなくした日本人を元気づけたいと思い、リング上でアメリカ人を叩きのめしたかった」と語った。

ここには「日本人に強制労働させられた」「日本の植民地支配に苦しんだので朝鮮半島は戦勝国の待遇を」という言葉とは違うものがある。朝鮮半島の人びとは、日清戦争以降の日本の国力上昇に懸けた。そうすれば朝鮮半島は安泰だと思っていたのではなかったか。

だから1945年8月15日、敗北した日本を前にして、何の葛藤もなく、1日で南半分はアメリカ、北半分はソ連との友好関係に転換することができた。しかし、「1910年から1945年までの日本による統治の歴史は削除すべき歴史」との声しか聞いたことがない。

「戦勝国入りしたい」という野望

朴槿惠大統領が中国での抗日戦争勝利70周年行事に、正式の賓客として出席し、中国人民解放軍の行進を観閲したことは、19世紀以降の歴史の流れのなかで考えると、やはり突出している印象がある。金日成と毛沢東が語った「抗日革命闘争に勝った」という建国の理念に基づいて行なわれた70周年記念行事で、壇上にいる韓国大統領の姿に世界は驚いたのである。

「韓国を戦勝国として認めてほしい」という要望は、最近始まったものではない。1949年3月、韓国政府が「対日賠償要求調書」を作成したとき、当時の李承晩大統領は、根拠として韓国が35年の間、統治されたので、戦勝国待遇を受ける資格があると説明している。

1951年、韓国はサンフランシスコ講和会議の直前に戦勝国として連合国に入れてほしいと嘆願したが、米国が拒否した。

1965年に発効した日韓基本条約のやりとりで、韓国は日本に対して戦勝国に相当する賠償金額の支払いを求めたが、果たせなかった。朴槿惠大統領が抗日戦争勝利70周年行事に参加したとき、韓国が戦勝国の一員となることができる三度目の正直との思いがあったのだろう。

韓国が中国と抗日戦争勝利を祝うことは、リスクを伴う。日本との関係はさらに冷え込むし、同盟国の米国は韓国の思いを支持してくれそうにない。抗日革命闘争グループの一員となると、北朝鮮の建国理念と同じになってしまう。

しかし、韓国にとっては建国のときから追求してきた戦勝国入りを中国がバックアップしてくれる機会である。朴槿惠政権発足以降、日本の歴史認識を糺す発言で中韓は同じスタンスを取ってきたという流れもあった。

朝鮮半島の独立運動である1919年の「三・一運動」を建国の理念とする韓国と、中国大陸で国民党軍と戦ったあと「抗日革命闘争」を建国の基盤にした中国は、「日本に対する独立運動をした」という点で共通項があると韓国は判断した。

イデオロギーで強まる中韓関係

朴槿惠政権下で「中韓共闘」がここまで来たことに、「起伏の激しい韓国人の感情のなせるワザ」といってはいけない。

2012年8月、李明博大統領が竹島に上陸したとき、大統領の竹島上陸という荒業への批判に対して、李大統領は「日本の影響力はいままでほどではない」と述べた。韓国にとって頼りにならない日本の退潮が明白になったとき、「勝ち馬」としての中国が登場したと李明博大統領は判断したのである。

2013年2月に発足した朴槿惠政権が、中国との関係強化で韓国の明るい未来を拓くと考えたのは自然だった。朴槿惠氏が大統領選挙当選後、各国大使のお祝いの挨拶を受けたとき、1948年以降の韓国史上、初めて米国、中国、日本の大使の順に懇談したのは時代を先取りしたものだった。

朴大統領は、大統領就任後、訪米の翌月に中国を国賓として訪問して、経済、政治の関係強化を約束し、中韓戦略的協力パートナーシップを確認した。朴槿惠大統領は緻密に計算をし、冷静に判断して中国との関係強化を優先したのである。

朴槿惠政権発足後の中韓関係は順調だった。中韓貿易は、2013年までは、年平均20%で成長し、13年の貿易総額(輸出と輸入の合計)は、2742億ドルに達していた。日韓貿易高は、947億ドルにすぎなかった。14年9月、青島市では、中韓貿易協力区の運用が始まった。韓国経済に対する圧倒的な中国経済の影響力を考えると、韓国の選択は不思議ではない。

朴槿惠政権は、中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)への参加を決め、中韓自由貿易協定(FTA)の調印を行ない、12月から発効する運びとなっている。米国主導のTPP加盟の議論は後回しだ。

9月に訪中した朴槿惠大統領には156人の韓国財界人が同行して、経済使節団の様相を呈していた。韓国経済の苦境、中国の経済成長の減速を前に、韓国は中韓の貿易、投資を活性化することを重視していたからだった。

ところで、「経済は中国と、外交・統一問題は韓中米で」という韓国の方針は、どうしてもイデオロギー問題が絡んでしまう。中韓の経済関係強化を加速するときには、「日本に苦労させられた」という共通の話題が効力を発揮する。「日本に抵抗した経験を建国の基礎にした」と中韓が話し合うとき、中韓の大胆な経済一体化のエネルギーが生まれるのだろう。

日本に勝利した記念日の行事を中国が主催するとき、韓国が欠席する選択など初めからなかったのである。天安門の壇上の風景は、韓国民の気持ちを高揚させた。3人の指導者が並ぶ姿を見て、韓中露時代の到来を予感する韓国人も多かっただろう。

韓国メディアは朴槿惠大統領の訪中を賞賛し、朴槿惠大統領支持率は、旅客船沈没とMARS対策の遅れで、6月には29%となっていたが、54%に倍増し、大統領府の強い指導力が復活しつつある。

*続きは明日掲載します。