スポーツ・イノベーション特別編
横浜F・マリノスとSAPが挑む「スタジアム革命」
2015/10/20
世界のスポーツ業界を席巻しているテクノロジーが、ついに日本サッカーに本格上陸する。
渦の中心にいるのが、ドイツ発のソフトウェア会社SAPだ。同社は、昨年のブラジルW杯で分析システム「マッチ・インサイト」を提供してドイツ代表の優勝をサポート。ブンデスリーガのホッフェンハイムの育成システムやNFLの49ersのソフトウェア主導型スタジアム、NBAの公式サイトでのスタッツ提供サービスなど、種目や分野を超えてスポーツ業界に数々のイノベーションを生み出している。
そのSAPが今年7月に「シティ・フットボールグループ」とグローバルパートナーシップを締結したことで、グループの一員である横浜F・マリノスにも同社のノウハウが導入されることになった(シティ・フットボールグループはUAEの投資会社が出資。マンチェスター・シティ、ニューヨーク・シティ、メルボルン・シティを所有して、横浜F・マリノスの少数株主となっている)。
契約発表から約3カ月を経た今月17日、日産スタジアムで行われた会見で、パートナーシップがファンエンゲージメントからビジネスオペレーション、チームのパフォーマンス、選手やコーチの人材管理システムまで多岐にわたることを発表。横浜F・マリノス社長の嘉悦朗氏も、「SAPのノウハウを十分に活用して、マリノスがアジアや世界で戦えるきっかけになれば」と期待を込める提携となった。
SAPのテクノロジーは、日本サッカー界にもデジタル革命を巻き起こすのか──。
発表会見にも出席したSAP SE グローバルスポンサーシップ担当バイスプレジデントのクリス・バートン氏に話を聞いた。
投資するのはファンのため
──はじめに横浜F・マリノスとの取り組みについて詳しく教えていただけますか。
バートン:ドイツのソフトウェア会社が、なぜマリノスのパートナーになるのか疑問を持っている人がいるかもしれません。もちろん理由はひとつではありませんが、その一つはファンのためです。
現在はデジタルによるイノベーションが世界中で起こっています。スポーツ界も例外ではなく、すでにアメリカではバスケットボールやアメリカンフットボールの観戦にフル活用されています。それをマリノスを通じて、ぜひ日本のサッカーファンにも提供したい。
──なるほど。
また、今はデジタルデバイスに慣れ親しんだ「デジタルネイティブ」という世代が生まれてきています。
テクノロジーについて非常に詳しく、彼らの文化や生活の一部になっている。その世代に対してわれわれの技術を使い、彼らの望むことを提供することを考えています。
テクノロジーによって“狂うほどハッピー”になれる
──実際にはまず何から手をつけるのでしょう。
実際にスタジアムに来るファンをどれだけ増やせるか。それに取り組みたいと考えています。
SAPの技術を使って、情報をファンにリアルタイムで提供し、最新の技術やデジタルの変革でスタジアム全体を変えたいですね。アメリカ的な言い回しになりますが、皆さんを“狂うほどハッピー”にしたい。
──スタジアムに足を運ぼうとするファンの背中を押すために、どんな施策を考えていますか。
私見ですが、特別なモバイルアプリがあれば、スタジアムにおける観戦体験を変えることができます。
好きなプレーヤーの情報をチェックしたり、ファンが試合についてどんな意見を言っているのかを見たり。今までにない体験をできるようになれば、スタジアムに足を運んでくれる人が増えると思います。
NBAは会場の席数が限られ、チケットが高額です。それゆえにファンに魔法のような体験をしてもらい、チケット代に見合う価値を提供しようという意識が強い。そして、スタジアムに来られるのはファン全体の2%なので、それ以外の98%の人たちに向けてウェブサイトにおけるスタッツと動画提供に非常に力を入れています。
──これからマリノス向けのアプリをつくるうえで、サッカー特有の取り組みが必要と考えていますか。
もちろんサッカーはほかのスポーツとは違う部分がありますし、クラブごとに違うところもあるでしょう。
横浜F・マリノスでは何が特有なのか、ファンの皆さんが試合前に何をして試合中にどう楽しんでいるのか。まずはそれを理解しなければなりません。
──ファンの試合当日の行動をどう調べるのですか。
スタンフォード大学が開発したファンの体験を評価するデザインシンキングという手法を使い、ファンをタイプ別にわけていきます。
毎回チケットを購入する熱烈なファン、子どものいる家族、それから、まったくサッカーファンではない人々。それぞれに対して、どのようにアプローチをすれば効果があるかを洗い出していきます。
──リピーターを呼び込むことと、新規の開拓のどちらを重視していますか。
さまざまなスポーツのファンエンゲージメントでわかってきたことがあります。それは、既存のファンが、外交官や大使のような存在を果たすということ。つまり、既存のファンの力で新しいファンを獲得するケースが、非常に多いのです。
アメリカのスポーツビジネス界には、こんな言葉があります。「今、来ている魚に釣りのやり方を教えよう。そうすれば自動的に新しい魚を釣ってきてくれる」。
まず最初のステップとして、スタジアムの観戦経験にイノベーションを起こして、既存のファンに「どれだけスタジアムでいい経験をしているか」を周囲に語ってもらう。次のステップが、現在ファンではない人たちをターゲットにして、マーケティングテクニックを用いて来場してもらうことだと思います。
──そういう意味では、7万人以上を収容できる日産スタジアムの可能性は非常に大きいと思います。
まだ時期尚早なので何とも言えませんが、シティ・フットボールグループと話しているのは、どのようなマーケティングキャンペーンによって、スタンドをファンで埋められるかということ。そのディスカッションの優先順位は常に高いです。
モバイルデバイスを使いながら観戦する時代へ
──現在は日本にいながらにして、ヨーロッパのチャンピオンズリーグやアメリカのMLBを日本でリアルタイムで見ることができます。先ほども少し話に出ましたが、そういうデジタルネイティブ世代は観戦に求めることも変わってきているでしょうか。
おっしゃる通りです。アメリカには、コードカッターという言い方があります。テレビのようにコードがつながっているものを、若者はあまり必要としていない、という意味です。その代わりにモバイルデバイスを利用する。それがデジタルネイティブ世代の特徴の一つだと思います。
となると、デジタルネイティブたちはスタジアムで観戦しながら、同じようにモバイルデバイスを使いたいと考えるようになる。彼らをスタジアムに呼び込むうえで、それが肝になるはずです。
ニューヨーク・シティでは、すでに次のようなアプリのプロトタイプが運用段階に入っています。
たとえば、スタジアムの自分の席の近くに、ランパードの背番号8のユニフォームを着た人がいたとしましょう。その人の背中を携帯のカメラで撮影すると、ランパードのユニフォームが席に届けられる。そんなサービスを提供するアプリです。ツイッターのタイムラインの中に「購入」ボタンがあって、ワンクリックでその商品を注文でき、家に届けてくれる、というサービスもあります。
今までのようにじっと試合を観ているだけとは違う体験をもたらす。それによって、デジタルネイティブ世代をスタジアムに引き寄せたいと考えています。
──そういうサービスは、将来的にマリノスにも導入される可能性はありますか。
可能性は高いですよ。スタジアムを埋めるために、SAPのテクノロジーを全力で提供したい。
ただ、われわれの力だけではイノベーションは起こせません。当然、クラブからの協力が必要になります。力を合わせて取り組みを進めて、来年インタビューを受けたときに「こんなにイノベーションを起こせた」と言えるように頑張りたいと思います。
「できると思った以上のもの」を実現させる
──SAPと提携すれば、自動的にスタンドが埋まると期待してしまいますが、そんなに甘くはないわけですね。
相当なハードワークが必要です。ただし、これまでに実績を上げてきた確かな技術があります。今は本当にワクワクしていますよ。
「できると思った以上のもの」を実現させる。横浜F・マリノスとSAPのパートナーシップによって、それができると確信しています。
効率的に技術を使うことが、日本人のDNAに刻まれている。すでに日々の生活にテクノロジーが組み込まれているわけですから、スポーツに応用できないわけがありません。
──すでにSAPのスポーツ用のアプリはありますか。
もちろん。1番人気はクリケットのワールドカップ用のアプリですね。次はテニスのマイアミオープン用のアプリ。機能としては試合速報や結果、過去に行われた試合の再現などがあります。マイアミオープンのアプリは日本でもダウンロードできますよ。
(立体的にプレーが再現されるので)アプリはファンとしても楽しめますが、コーチならばパフォーマンス向上のためにも使えます。私がコーチをしていたら、アプリを見てアドバイスを考えます。ちなみに見る角度も変えられます。
──何種目ぐらいのアプリがあるのでしょうか。
テニス、ゴルフ、F1、ホッケー、NBAなどがありますね。最近はNFLのスーパーボウルのボランティアのスケジューリングアプリもつくりました。7000人から1万人のボランティアがいるので、何時に誰が来られるのかというスケジュール管理のアプリです。
──それはぜひ東京オリンピックにも欲しいですね。
非常にいい考えですね!
(文・写真:小谷紘友)