「未来を予見する」歴史学者E.トッドに聞く、難民問題、欧州経済、世界史の行方

2015/10/19
連載「世界の知性はいま、何を考えているのか」の第1回に登場するのは、『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』が日本で10万部のベストセラーになっている、フランスの人口歴史学者、エマニュエル・トッド。ソ連崩壊やアメリカの衰退を言い当てた「未来予測人」に、欧州社会を揺るがす難民問題やユーロの行方などをテーマにロングインタビューを敢行した。

エマニュエル・トッドとは何者か

フランスの人口学者、エマニュエル・トッド。人口統計と家族構造に基づく分析から、これまで数々の歴史的変化を予測してきた。現在、フランス国立人口学研究所に所属する彼に、なぜ世界が注目しているのか。インタビューに移る前に、彼の業績と思想について、簡単に振り返ろう。
トッドが世に出るきっかけとなったのは、1976年に出版された著作、『 最後の転落(La Chute finale)』だ。ここでは30年以内のソビエト連邦崩壊を、人口統計学的な手法で予想した。
当時のソ連は、ベトナム戦争で支援した北ベトナムの勝利に伴い、世界的に威信が高まっていた。これに対しトッドは、ソ連の経済成長率が1975年前後にゼロ成長に達していることや、乳児死亡率が1970年代から上がり始めていることを示し、統治体制に綻びが出ていることを指摘した。
同時に、西側諸国が経済成長を遂げ、ソ連周辺に位置する諸共和国が徐々に離脱していくことを示唆。実際、ポーランドやハンガリーの東欧の民主化革命に端を発する共産党国家の相次ぐ離脱により、最終的にはソ連そのものの崩壊につながった経緯から、同書は「予言の書」として注目を集めるようになった。
驚くべきことに、トッドがこれを書いたのは、わずか25歳のとき。しかも執筆時点でロシアを訪れたことはなく、一般的な公開情報を元に、純粋な思考実験として書いたというから、彼がいかに早熟な人間であったかがよくわかる。
その後、トッドは『第三惑星(La Troisième Planète、1983年)』、『世界の幼少期(L’Enfance du monde、1984年)』を出版。世界の家族制度を9つに分類し、世界の人々のイデオロギーは地域の家族制度に規定されているという仮説を提示した。
そのうえで、権威主義的で女性の地位が比較的高い家族システムを持つ社会の成長率が高く、反女性主義を取る社会の成長が阻害される、と結論づけた。家族構造によって経済を分析すべきであるという同書は、大きな論争を巻き起こした。
さらに1994年、『 移民の運命(Le Destin des immigrés)』において、西欧の四大国であるアメリカ、イギリス、フランス、ドイツにおける移民の状況を調べ、家族型が移民問題にも影響を与えていることを示した。
特に外婚率、すなわち、移民が受け入れ民族と結婚する比率に着目し、移民の隔離状況を定量化した。そのうえでイギリス、フランス、ドイツの移民に対する態度がまったく異なることから、欧州統合は失敗すると予測した。
今回のインタビューでも、シリア難民問題で改めてクローズアップされた、欧州の移民問題について見解を訪ねたが、「そこで書いたことは今でも当てはまる」と自信を持って述べている。
インタビューはフランス・パリのトッド氏の自宅で行われた。

アメリカの凋落、ドイツの台頭を予測

「予言の書」として再び世界にインパクトを与えたのが、2002年の『 帝国以後(Après l’empire – Essai sur la décomposition du système américain)』である。本書では2050年までにアメリカの覇権が崩壊すると予測。28カ国語に訳され、世界的なベストセラーとなった。
同書によれば、20世紀前半のアメリカは、民主主義の守護者と見なされ、高度に工業化された経済を持ち、世界にとって必要不可欠の存在であった。しかし後半には、所得格差の拡大によって民主主義は後退し、巨額の貿易赤字によって外国資本の流入を必要とするようになった。
つまり、「世界がアメリカに依存する」時代から、「アメリカが世界に依存する」時代への変化が起きた、と彼は言う。その後、アメリカがイラク戦争の泥沼化を経験し、リーマン・ショックによる経済的な破局を経て、「世界の警察」の地位を降りつつあることを見ると、本書の予言の正確さが浮き彫りとなる。
そして2015年、『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』が日本で出版され、10万部を超えるベストセラーになった。冷戦終結とEU統合によって生じた「ドイツ帝国」が、経済面のみならず政治面でも欧州を支配していると指摘。ウクライナ問題で緊張を高めているのも、ロシアではなくドイツであり、「ドイツ帝国」がこのまま拡大すれば、いずれアメリカとも衝突すると予測した。
同書が日本で読まれているのは、ドイツと欧州の関係から、中国とアジアの関係を読み解きたいという背景があることも一因だ。トッド自身は中国について「単独で覇権を握ることはない」と懐疑的な見方を示すが、経済的・政治的に地域への影響度を高まる「帝国」を前に、何をすべきかという点で、日本人への示唆は多い。
そんなトッドに今回、大きく3つのテーマで見解を聞いた。
1つ目は、シリア難民問題をどう見るか。2つ目は、依然として予断を許さない欧州経済、そしてユーロ圏の行方。3つ目は、世界における欧州の立ち位置である。
これら現在進行形の問題に対し、未来を見通す人口学者はどのような答えを示すのか。5回にわたり、ロングインタビューを掲載する。
(文・野村高文)