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Multi sportsのすゝめ(第1回)

スポーツ界ではアメリカ人のほうがよほど器用。複数スポーツのすすめ

2015/10/18
名門スタンフォード大学アメリカンフットボール部に日本人コーチがいる。選手として4回、コーチとして1回日本一になった河田剛だ。2007年、河田はスタンフォードの門を叩き、ボランティアのスタッフになることに成功した(のちに正式にコーチに昇格)。そこで見えてきた日米の違いとは? 今回から数回に渡り、アメリカにおけるマルチ・スポーツ文化を紹介する。

「multi sports」、辞書で調べても出てこない言葉である。

「multi」正しくは「multiple」であり、「複数の・多数の・多様な」というような和訳が適当であると言えよう。

ここアメリカでは、小学校入学前から大学まで、シーズンごとに、複数のスポーツをすることが珍しくない、いや、当たり前である。当たり前であるがゆえ、「multi sports」という造語が生まれて、一般的に使われているのであろう。今回から数回は、この言葉をキーワードに、日本のスポーツ界が進むべき道について、私なりの意見を読者の皆さまにシェアさせていただきたい。

サラリーマン社会で培った能力

まずは、2007年に私に起きた2つの出来事をご紹介したい。

ひとつはStanford Footballで、ボランティアとはいえ、仕事を得たことである。私がここで仕事をもらえた理由は、いくつかあるのだが、最も大きな要因を簡潔に表現すると「細かい仕事を器用かつ丁寧にすることができた」からである。

当時の私は「彼らは大雑把であり、不器用だから、そこにチャンスがある」と思っていたのである。今から考えれば、アメリカ人は優先順位をつけて仕事を進めることに長けていて、私はその優先順位の低いものを、日本のサラリーマン社会で培った、彼らとは一風変わった方法でこなしていた。それが、彼らには新鮮に映っただけなのであろう。今、思えば、恥ずかしいかぎりである。

河田剛(かわた・つよし)1972年7月9日埼玉県生まれ。1991年、城西大学入学と同時にアメリカンフットボールを始める。1995年、リクルートの関連会社入社と同時にオービック・シーガルズ入部(当時はリクルート・シーガルズ)。選手として4回、コーチとして1回、日本一に。1999年、第一回アメリカンフットボール・ワールドカップ優勝。2007年 に渡米。スタンフォード大学アメリカンフットボール部でボランティアコーチとして活動開始。2011年、正式に採用され、Offensive Assistantに就任。現在に至る(写真:著者提供)

河田剛(かわた・つよし)
1972年7月9日埼玉県生まれ。1991年、城西大学入学と同時にアメリカンフットボールを始める。1995年、リクルートの関連会社入社と同時にオービック・シーガルズ入部(当時はリクルート・シーガルズ)。選手として4回、コーチとして1回、日本一に。1999年、第1回アメリカンフットボール・ワールドカップ優勝。2007年に渡米。スタンフォード大学アメリカンフットボール部でボランティアコーチとして活動開始。2011年、正式に採用され、Offensive Assistantに就任。現在に至る

清宮幸太郎はアメリカで先に話題になっていた

さて、もうひとつのエピソードは、LLWS(Little League World Series)である。

少年野球の世界大会であるが、この時期、アメリカでは平日の昼間をメインとするスポーツコンテンツが手薄なため、アメリカのスポーツ専門テレビ局ESPNで全試合を生中継をする。

文字通り、世界中からリトルリーグの代表チームが一堂に会する世界的なイベントである。夏の甲子園で話題となった清宮幸太郎選手も、日本よりも数年前に、この大会で話題となっていた。

2007年夏、毎日が新しい経験、一向に理解できないアメリカンジョーク、コミュニケーションや生活に不安を抱えていた私を勇気づけてくれたのが、日本のリトルリーグ選手達の活躍だった。

アメリカやほかの国の選手に比べて、体格に劣る日本の子どもたちが異国の地で頑張っている、またそれがテレビに映るたびに、同僚のみんなとのコミュニケーションにつながる。これほど、同じ日本人の活躍を誇りに思い、それに感謝したことはない。

試合前に選手が練習。スタンフォード大学のキャンパス内には、5万人収容のスタジアムがある

試合前に選手が練習。スタンフォード大学のキャンパス内には、5万人収容のスタジアムがある

アメフト選手が野球界からスカウト

過去4年に2人──。

スタンフォード大のフットボールプレーヤーがドラフトされた数である。

しかし、これはNFL、つまりフットボールのプロチームにドラフトされた数ではない。メジャーリーグ・ベースボールからドラフト指名を受けた選手の数である。

つまり、彼らは、2つのスポーツを同時に高いレベルでこなし、最終的にプロ野球選手になることを選んだのである。レギュラーかつチームの中心選手だった彼らを失うのは、チームとしては痛みを伴うものであったが、これは彼らの決断であり、なによりも彼らの人生である。

優秀なアスリートはマルチに活躍し続ける

アメリカでは子どものときから、シーズンによって、違うスポーツを競技することが一般的であるのを、ご存じの読者も多いのではないか。

小学校から、中学・高校・大学と進んでいくにあたり、選手として試合に出場するための要求値は、高くなっていく。それを満たし続け、試合に出場し、好成績を上げ続けているアスリートは、高校や大学まで複数の、つまりマルチ・スポーツをプレーし続けるケースが多い。

そして、その中でも優秀なアスリートは、複数の競技で、プロから注目を浴びるような選手に成長するのである。これは、アスリートとしての能力だけでは入学できないスタンフォード大で現在進行形で起こっている話であるので、全米各地の大学で、このようなケースが多く起こっているのは、推して知るべしである。

オフシーズンに他競技をやるメリット

スポーツの指導者としても、あらゆるスポーツを授業や遊びではなく実際の競技として経験しているアスリートのほうが、魅力的である。

共有できるスキルやテクニックは多いだろうし、ゲームでしか経験できないプレッシャーを跳ね除ける精神力は、「競技の数だけ強くなる」という理解もできる。

なにより、NCAA規定により、練習やコーチとの接触が制限されるオフシーズンに、ほかの競技でアスリートとしての能力を上げてくれることは、NCAA規定のもとにStudent Athleteを育てるわれわれにとって好都合である。

2年前に新調された4Kのジャンボトロン

2年前に新調された4Kのジャンボトロン

アメリカ人は器用に複数の事をこなす

冒頭に紹介した2007年の夏に起きた、2つの喜ばしい出来事。8年に渡るアメリカでの、特にスポーツに深く関わる私の生活は、その喜ばしい出来事を、100%ポジティブになれない思い出に変えてしまった。

「アメリカ人は大雑把で不器用」、何をおっしゃいますやら……?

スポーツの社会では、アメリカ人のほうがよっぽど器用に複数のことをこなしているし、大雑把であると見えるのは、(もちろん、これには個人差があるが)優先順位の付け方が、日本人と比べ、桁違いに優れているだけである。

マルチ・アスリート相手に、日本は決勝で負けた

2007年、LLWSの決勝、アメリカ代表チームに、一歩も退かぬ戦いを見せたのは、日本代表である東京北砂リトルリーグだった。惜しくも敗れはしたが、その勇姿は、私に大きなパワーを与えてくれた。

しかし、この日本の少年(少女)たちは、ほかのスポーツを競技する機会が与えられているのか? と考えると、少し憂鬱になる。私が日本の子どもたちのスポーツとの関わり方について持っている認識が正しいものであれば、恐らく彼らは野球以外のスポーツは、真剣には競技してないはずだ。

いや、競技する機会を与えられてないはずだ、と言うべきである。誤解を恐れず言うなら、野球しかやっていない子どもたちと、いくつものスポーツを競技している中、たまたまそのシーズンに野球をやっていた子どもたちが、世界の頂点で戦い、前者が負けたのである。

2020年東京五輪を意識改革の契機に

「システム憎んで、人を憎まず」

私が日本のスポーツ関係者と話をする際に、必ずと言っていいほど用いるフレーズがある。

「社会のシステムや慣習が、日本のアスリートが成長する機会と、アスリートがベストスポーツを選ぶ機会を奪っている」

「ひとつのことを諦めずに、やりきること」が美学・美談となってしまっているわが国では、子どもの頃から、複数のスポーツを本気でやってきたアスリートの人口は多くないはずだ。ましてや、それを平行してやることなど、(ありもしない)社会のルールが許さない。

何度でも言おう。私は日本という国が大好きだ。自分がやりたい仕事が、ここにあるだけで、これが日本でできるなら、明日にでも荷物をまとめて帰国の途につきたい。愛すべき国の国民や文化、その慣習を否定するつもりは、1ミリもない。それがあるから、好きなのだ。

しかし、スポーツに関して言うと、その愛すべき文化や慣習が上記のように負の方向に働いてしまっているのである。しかし、これは誰が悪いわけでもない。社会のシステムが、歴史や文化を背景にそのようにできあがってしまっただけである。

福沢諭吉は『学問のすゝめ』の中で、明治維新直後、封建社会と儒教思想しか知らなかった国民に向け、欧米の近代的政治思想や民主主義、市民国家等の概念を紹介し、無知な民衆から近代民主主義国家の自覚ある市民に意識改革することを説いたそうである。

ここまで大それた話ではないが、今後も2020年の東京オリンピック、その先に向けて、スポーツに関わる日本の方々に、意識改革または、そのヒントとなる素材を共有していきたいと思う。

次回以降は、「マルチ・スポーツ」について、アメリカではどのような背景で、どのように運営・運用されているのかなどを数回にわたり、お伝えしていきたい。

(文・写真:河田剛)

*本連載は隔週で日曜日に掲載する予定です。