Asia-Pacific Economic Cooperation (APEC) Summit

日中関係の「失われた20年」(第5回)

日中関係において、メディアが果たすべき役割は何か

2015/10/16
日本と中国。世界第2位と第3位の経済大国である両国の関係は、世界全体に大きな影響を及ぼす。しかし、日中関係は長らく停滞し、改善の機運は高まっていない。なぜ日中関係はここまで壊れてしまったのか。どのような地政学的な要因があったのか。そして、関係改善のために両国は何をすべきなのか。ハーバード大学のエズラ・ボーゲル名誉教授、船橋洋一・日本再建イニシアティブ代表理事、東郷和彦・京都産業大学教授がハーバード大学のケネディスクールで行ったシンポジウムで、「日中関係」の失われた20年について語った(全6回)。今回は、会場からの質問にゲスト3名が回答する。
第1回:過去20年、なぜ「日中関係」はこれほど悪化したのか
第2回:慰安婦問題の解決策はある。和解のための2つのポイント
第3回:エズラ・ボーゲルが語る、「日中関係」が崩壊した3つの理由
第4回:日本は「木を見て森を見ず」、中国は「森を見て木を見ず」

メディアは両国の橋渡し役を担うべき

会場からの質問:私からは、日本と中国の関係の仲裁役として、今後のメディアにはどのような役割があると思うのか、もう少し詳しくお話しいただきたく思います。

中国のメディア検閲についてももちろんですが、日本の、政府の意向に反した情報を扱うメディアに対する安倍政権の干渉や圧力に対しての意見もお聞きしたいです。

船橋:私は、メディアは両国の緊張を和らげる役割をもっと積極的に引き受けるべきで、両国民がお互いを受け入れやすい環境づくりを担うべきだとも思っています。

Barak Kushner先生が編集した「新聞と『昭和』(朝日新聞出版、2010年)」は、朝日新聞の1925年から1989年の昭和時代に対する批評レビューです。軍隊が海外に派遣されると、いかにメディアがそれまでの立場や意見を翻し、軍を応援し、政府を支持するようになるかが描かれています。

軍隊が派遣されてからも戦争に反対する立場を保持することがいかに難しいか。ジャーナリズムは権力の監視が仕事です。その中でも最も大切なことは、政府が軍を使うことの是非についてしっかり監視することだと思います。

中国のメディアについては、確かに現在でも政府によって非常に厳しく規制されていることは否めません。ですが、インターネットのブログで、またシンクタンク系のブロガーたちによる対等な意見が交わされる言論空間が生まれつつあるのも事実です。中国のメディアは今まさに芽吹き始めたばかり、いわば胎児のような状態なのではないでしょうか。

1年半前、われわれのシンクタンク(一般財団法人日本再建イニシアティブ)で中国のメディア関係者や起業家を集めてランチョンを開催しました。中国の代表団のリーダーは億万長者であり教育サービスの立役者でしたが、彼は独自にシンクタンクを設立し、著名なブロガーを引き抜いてきてシンクタンクのブログに投稿させていました。サイトには一日に500万のアクセスがあるそうです。

彼によると、中国での改革や開放を本気で考えている人々は日本と中国の国交の安定を願っているとのことです。中国の内政改革の反対派にとって、日本は愛国心をあおるための格好の餌食であり、国民の関心を反日的な愛国心に集中させることによって、改革や開放から目をそむけさせるように仕向けている。だから、中国の改革や開放への反対理由をなくすためにも、日本との関係を良好にすることが重要であるとのことでした。

このことは私にとって新しい視点であり、非常に興味深い意見でした。このような考えを実際ブログに掲載するのかどうか聞いたところ、彼はブログそのものを見せてくれました。中国でも、今はこのようなブログの世界ではさまざまな新しい意見が出てきており、それが将来は中国の国としての考え方にも影響を及ぼしていくのではないかと思います。

「空気を読む」ではいけない

東郷:日本には、最近「空気を読む」「KY」という行動があるのはご存じのことと思います。皆がそれぞれ、お互いの空気を読むことに注意を払っており、ときにはそれがびっくりするような結果を生むこともあります。

空気を読むことをやめることは難しい。ですが、私が気づいた最近の2つの現象を見るに、この空気を読むという行動があまりにも行きすぎているのではないかと感じることがあります。

その一つは昨年8月5日に朝日新聞が報道した内容についての反応です。朝日新聞は独自検証の結果、1980年代に掲載した吉田証言の証拠が見つからず、虚偽と認定したことを発表しました。この件について、ほかのすべてのメディアは朝日新聞に対して批判的でした。ですが、従軍慰安婦の問題についての吉田氏の証言は、その時すでに特段問題視されるものではなかったのです。

1990年代の終わりには、すでにこの件に携わっていた多くの研究者たちは吉田氏の証言が虚偽であると知っており、また公言していました。私も、同様に理解していました。ところが、この事実を朝日新聞が明言したことで、朝日新聞を批判する「空気」ができ上がり、朝日新聞を毛嫌いする産経新聞や他紙がこの話題に飛びついて取り上げたのではないかと思います。

2つ目ですが、今の自民党にも安倍首相にも、真っ向からの批判を嫌う傾向があることは事実ではないかと思います。自民党の主だった人々、外務省の人々にもそのような傾向があるような気がします。特に安倍首相の周囲には、批判を受け付けないような空気が存在します。

その例として、あるドイツの東京特派員の記事があります。もうずいぶん有名になっているので皆さんもご存じだと思います。

彼が安倍首相の歴史認識について問題があるという記事を書いたことに対し、日本外務省から「中国のプロパガンダに利用されている」と言われたり、ドイツにあるこの新聞社の本社の編集事務局を訪ねてきた在独日本総領事に、「中国から金を受け取っているのでは」と批判されたりしたということです。

政府はこの件を完全に否定しているようですが、ドイツの特派員がこのような出来事をでっち上げたとは考えにくいと思います。これはメディアの問題ではなく、ある一定の空気が自民党内や外務省に存在し、それは安倍首相とその周辺がどのように考えているかを読みとることに非常に重きを置いていて、その推測に従った行動をとっているのではないかと思います。これは空気の読み過ぎと言えるかもしれません。

元外務省で勤務した者として、このドイツでの「出来事」として報道されたことには非常に驚いており、一体自分は部下たちに何を教えてきたのだろうか、とすら思いました。

中国ジャーナリストのもどかしさ

ボーゲル:まず、中国のプロパガンダに対する努力について述べたいと思います。

多くの日本人がなぜ、中国の言うことにいちいち反応するのかというと、中国の発言の多くは厳密な調査のうえで確認された事実とは異なる場合が多いからです。それなのに、中国のプロパガンダを事実としてうのみにして信じてしまう外国人がいることに対して日本人が強い危惧を抱く、これはよくわかります。

たとえば、南京事件では30万もの人々が死亡したと発表されていますが、実際に南京事件を調査した人たちは誰も、そこまで大勢の人が亡くなったという事実を確認できていません。ですが、中国のプロパガンダは非常にインパクトが強く、事件をよく知らない外国人がプロパガンダの影響を受けてきました。

また中国のプロパガンダを製作する人たちはかなり高度な技術を持って製作するようになってきています。外国向けのプロパガンダについては、彼らはCCTVに多大な投資を行い、BBCやNHKを凌ぐ勢いで資本も資材も投入しています。BBCの仕事を失った経験者たちを雇うなどして人材の確保にも余念がありません。

ただ、もちろん重要なのは信ぴょう性であり、その点について彼らはほんの少し、国への批判を混ぜ込むことによって信ぴょう性を高めるように努力しています。ですが、彼らには大っぴらに国を批判することはできません。その自由がない彼らは、決して外国に向けたプロパガンダに成功することはないと思います。

多くの中国人報道関係者は、事実を自由にありのままに述べることができる外国人リポーターをうらやましく感じていると思います。私は中国人リポーターにインタビューを受けることが多いのですが、彼らは自分たちでは到底言えない意見を、私の名前を借りて報道したいのだな、と感じることがあります。

若いリポーターの中には、かなりきわどい、ギリギリのところでの発言を大胆に行う者もいて、彼らはブログのかたちをとって友人知人に意見を述べることもしますが、それでも限界があるようです。でも以前に比べて、中国もずいぶん変化してきていると思います。

日中関係においての問題の一部は、日本の戦時中のメディアに対する考えが現在の中国のメディアをコントロールする姿勢と似たところがあったことです。

当時の日本政府は事実上メディアを支配しており、国民は紙面やラジオで日本の状況を知らされてはいたものの、その情報は限られた一部にとどめられており全体像が見えなかったことに問題が起因すると思われます。

日本の軍隊が中国や韓国で行ったさまざまなことについても、結局当時事実を知らされることがなかったためにそれをはっきりと事実として捉えにくいことが現在の問題にもつながっているのではないでしょうか。

1950年にはメディアの自由化が認められ、現在は安倍首相が政府に対して友好的なリポーターやNHK責任者を置くなどして多少の情報の制限を行う、朝日新聞に対して攻撃することをちゅうちょしないような傾向が見られますが、それでも言論の自由はおおむね守られており、中国よりも自由で民主的であることは確かです。

ですが近頃では日本在住の外国人リポーターや日本のリポーターにしても束縛されていると感じることがあるようで、空気を読むことがより求められ、言論に制限がされることには多少の不安を覚えます。われわれのように外国人リポーターに取材される機会を持つ者は、日本人リポーターに制限されていることを伝える機会と責任があると思います。

*続きは明日掲載します。

(写真:Kim Kyung-Hoon-Pool/Getty Images)