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【第10回】金メダリストの創り方

最低身長が最大の武器。発想転換し、金メダル有力の“ミニ”レスラー

2015/10/9

「この2人が同じ階級?」

2014年3月16日、東京・小豆沢体育館で行われた女子レスリング・ワールドカップ国別団体対抗戦。ロシアとの決勝戦69キロ級の試合に登場した両選手を見て、会場に詰めかけた多くの観客がそう思っただろう。

身長159センチ、国内でも全日本クラスの同級選手の中では最も小さい土性沙羅(至学館大学)の対戦相手は、ロンドン五輪72キロ級金メダリスト、ナタリア・ボロベア。試合開始前、2人が握手を交わす場面では、身長差は歴然としていた。その差はなんと20センチだ。

しかも、差は背だけではなかった。レスリングでは試合前日に計量が行われるため、体の大きな選手は数日間で体重をリミットまで落とし、計量後は食べまくる。

さらに、チャンピオンシップではないワールドカップはプラス2キロ計量という、訳のわからないルールまである。普段から70キロそこそこの土性に対して、前年の階級変更で72キロ級から69キロ級に落としてきた敵はマットに上がった時点で80キロ近くあっただろう。まるで、大人と子どもだ。

リオ五輪の金メダル候補に浮上

この一戦は、軽・中量級の活躍ですでに日本の団体戦優勝が決まった後の“消化試合”だった。土性が負けることを予想した者は少なくなかったに違いない。

序盤、ディフェンスの甘さを突かれ、土性はリードを奪われた。だが、そこからの反撃がすさまじかった。

土性は立て続けにタックルに入り、必死に追い上げる。試合時間の経過とともに、何度もタックルに入られその都度ディフェンスをせねばならない敵はもうバテバテ。ついに、スタミナでも負けない土性の4点タックルがさく裂した。大逆転だ。

大学1年生、19歳でオリンピックチャンピオンを破った土性は一気に世界ランキング4位に躍進すると、その後も順調に力を伸ばし、今年9月の世界選手権で1年後に迫ったリオデジャネイロ五輪出場権を獲得した。

前回登場した名将・栄和人(日本レスリング協会強化本部長、至学館大学監督)は「リオでの金メダルは間違いない」と太鼓判を押し、さらには吉田沙保里や伊調馨(ともにALSOK)を超える“東京オリンピックの星”と期待する。

土性(右)は2015年世界選手権で銅メダルを獲得。各国選手と並ぶと身長差が歴然(写真:保高幸子/アフロ)

土性(右)は2015年世界選手権で銅メダルを獲得。各国選手と並ぶと身長差が歴然(写真:保高幸子/アフロ)

“スパルタ式”で得点力アップ

栄が土性について絶対的に評価するのは、重量級離れした得点能力の高さである。女子レスリングは48キロ級、53キロ級、58キロ級、63キロ級、69キロ級、75キロ級がオリンピックで実施されるが、土性が戦う69キロ級以上の重量級で彼女ほど機敏にタックルに入れる選手はいない。東京のワールドカップで見せたタックルの連続は、重量級ではありえない試合展開だった。

教え込んだのは、吉田沙保里の父、栄勝である。「タックルを制する者がレスリングを制する」の信念のもと、栄勝は娘・沙保里と同様に現在、世界選手権3連覇中の登坂絵莉(至学館大学)を、そして土性を鍛え上げた。

その練習は今では死語となった、まさに“スパルタ式”。厳しさは、3人のまな弟子をオリンピックへ送り込むことからも想像できるだろう。

「やめたい」と言うのも怖かった

土性は7歳から、父親が高校時代に指導を受けた栄勝が開く「一志ジュニアレスリング教室」へ通い始めた。

しかし、日々の練習はつらくてついていけず、母親に「やめたい」と言い出したが、返事は「好きにしていいよ。でも、ここまでお世話になったんだから、自分できちんと『やめさせてください』と言いなさい」だった。

「でも、『やめたい』と言うのも怖くて、言えませんでした。そのくらい練習中の吉田先生は怖かったです。仕方ないから、もう毎日泣きながら我慢して続けていたら、小学校4年生からは全国大会で優勝できるようになり、レスリングが楽しくなってここまできました」

判断基準は「自分から攻めたか」

栄勝はタックルという武器を授けると同時に、“攻める気持ち”をたたき込んだ。子どもたちが勝っても負けても、問題は自分から攻めたかどうか。攻めのレスリングができなければ、試合に勝っても怒鳴りつけた。

だが、たとえ負けても攻め続けていたら、「よくやった。次、またがんばろうな」と子どもの頭を優しくなでる指導者だった。

「吉田先生に怒られたら本当に怖いから、勝ち負けよりもとにかく試合では攻める。何がなんでも攻める。子どものころからずっとそうやってきて、それは今も変わりません」

何点リードしていても、試合終了のホイッスルが鳴るまで攻め続ける。逆に、どんなにリードされていても、あきらめずに攻める。

だが、それだけではない。土性は栄の世界一厳しい練習で鍛えられ、体格で勝る外国人選手にも負けないパワーを身につけた。

栄はもちろん、土性本人もテクニックやスピードだけでは世界で勝てないことがわかっていた。体力があるからこそ、上背のある敵が上から押さえつけにかかっても、力負けせずにしっかり攻撃を受け止めることができる。

そして、ガラ空きになった敵の足元にタックルを突き刺す。

「背が低いことは不利ではない」

土性に、「相手との身長差」について聞いてみた。おそらく、これまで何度も同じ質問をされてきただろう。

いつもはおっとりとしている土性も顔をこわばらせ、「またか」という感じで答えるかと思いきや、優しい表情は変わらず、「背が低いことは不利ではありません」と言い切った。世界で戦う中で自信を持ち、今では確信を得ているのだろう。

「私の階級で自分より背の低い選手はいません。だから、私は常に自分より大きな選手と戦っていますが、ほかの選手は私との試合以外では150センチ台の相手と戦うことはないはずです。相手のほうがやりにくいと思います」

そのうえ、足元へのタックルに入るには、むしろ有利だということだろうか。土性は、重量級にはこれまでなかった新しいレスリングを切り開こうとしているのだ。

常識にとらわれ、凝り固まった発想からは不利に見える状況でも、努力すれば克服できる。それどころか、その状況を最大限に生かす武器を磨いていけば、有利にさえなる。

来年のリオで、そして5年後の東京で、一番背の低い女子アスリートが表彰台のテッペンに立ち、そのことを証明する。

(取材・文:宮崎俊哉)

*本連載はリニューアルし、11月上旬に再開予定です。

<連載「金メダリストの創り方」概要>
4年に1度行われるオリンピックは、スポーツ界で最も過酷な大会の一つだ。国中の期待を背負う重圧は壮絶極まりなく、目の前の相手はもちろん、自分との戦いに勝って初めて金メダルを獲得することができる。選ばれし者の舞台に立つまでにアスリートは自身をいかに鍛え、また各競技団体はどうやって世界一になれる選手を創り上げているのか。隔週金曜日にリポートする。