5K4A9618 のコピー_w600px

スポーツ界の女性「管理職」に聞く女性マネジメント

山﨑浩子は新体操・フェアリー ジャパンをいかに強くしたのか(前編)

2015/10/7

凱旋記者会見のために、ホテルの大広間ではなく、簡素な会議室に並んだフェアリー(妖精)たちは、皆、腰高で、均整のとれた美しいプロポーションを誇る。上質な筋肉をうっすらとまとい、薄化粧が若さをさらに輝かせている。

大仕事を果たし、長時間のフライトから会見に直行しているのに、疲れた表情なんて一切見せないフェアリーたちの隙のない美しさは、美に無縁の報道陣さえ魅了してしまうかのようだった。

9月上旬、ドイツ・シュツットガルトで行われた新体操の世界選手権で、日本代表「フェアリー ジャパン POLA」(愛称)は団体総合で5位となり、北京から3大会連続となる来年のリオデジャネイロ五輪の団体(5人)出場権を獲得し、さらに団体種目別のリボンでは40年ぶりとなる銅メダルを手にする大躍進を遂げた。

世界選手権で種目別で銅メダルを勝ち取ったリボンの演技のクライマックス。4本のリボンをキャプテンの杉本早裕吏がリボンでキャッチして宙に放ち、4人の仲間が受け止める

世界選手権で種目別で銅メダルを勝ち取ったリボンの演技のクライマックス。4本のリボンをキャプテンの杉本早裕吏がリボンでキャッチして宙に放ち、4人の仲間が受け止める

また新体操王国・ロシアで鍛えてきた個人総合でも、皆川夏穂(イオン)が15位に入って実に3大会ぶりの個人出場枠をも手にし、2005年以降、厳しいセレクションと通年合宿、共同生活を3本柱に、思い切って転換してきた強化策を10年目にして結実させた。

2004年、アテネ五輪の団体出場枠を失った後、新体操界の大改革をリードしてきたのは、選手としても1984年のロサンゼルス五輪大会で8位に入賞した山﨑浩子(55)新体操強化本部長である。

ロシアをはじめとする世界の強豪国は、常にナショナルチームで一貫、集中した強化を行う。日本は、決して遅れているわけではないが、底上げを図るクラブチーム単位での強化が主流で、国内選手権の上位チームが代表となる方式だった。2004年アテネを逸した後、山﨑は同じ時期に改革にあたっていた日本体操協会の支援を受けながら、「世界基準の強化策」に挑む。

それは、新体操界のみならず日本スポーツ界、代表チームの強化においても新たな挑戦だった。

1. 環境を整備する(拠点づくり)

2. タレントを全国から集め、セレクションによって厳しく選抜

3. 通年合宿と海外合宿の豊富な練習量をこなす

フェアリー ジャパンの選手たちは、強化本部長の山崎浩子ら指導者と共同生活。選手も指導者も、すべてを新体操に捧げている

フェアリー ジャパンの選手たちは、強化本部長の山﨑浩子ら指導者と共同生活。選手も指導者も、すべてを新体操に捧げている

当初は団体に特化した態勢整備に、いわばマネジメントの立場にいる本部長自身も「自分が中途半端ではいけない。人任せにはできない」と共同生活を決断。

今でも毎日、高校生、大学生と東京・北区で暮らしをともにする。ただでさえデリケートな思春期の、しかも親元を離れた15歳から21歳の女性たちを、山﨑はいかに国際的にも高く評価される「美の集団」にまとめあげたのだろう。

答えは、笑顔の凱旋会見の翌日に判明する。いつもと同じように、まるで出場権獲得などなかったかのように翌朝、彼女たちと山﨑、スタッフは北区の国立スポーツ科学センター(通称JISS)のトレーング場に朝10時、集合していたからだ。休みは基本的に週1回。リオへの準備はもう始まっていた。

厳しいトレーニング前にも、化粧品メーカーのスポンサードを受けるにふさわしい薄く、上品なメイクを丁寧に施し、どんなに苦しくても笑顔で演技を続ける。新体操場に、常に漂う張りつめた空気は、山﨑ら関係者が10年間、心血を注いで生み出したフェアリーたちの命の源なのかもしれない。

レギュラー選手が舞うフロアと、サブが演技するフロアの中間に椅子を置き、自らの背筋を伸ばして練習を凝視する。2時間の練習中、本当にたった1度だけサブのフロアに「2度、同じ失敗をした理由は?」と、短く、静かな声をかけた。

「特別な指導なんてありません。意識のプロフェッショナルとして自分を律していける人しか、このマットには立ってはいけません、そう言うだけなんです」

10月18日には、五輪出場権を獲得したばかりのチームで、また新たなメンバー獲得を目指してセレクションが行われる。世界基準で、世界と戦うために、選手自身が「スイッチ」を入れなければならない。誰かが、どこかで入れてくれるものではない。

山﨑の、女性リーダーとしての信念である。

山﨑浩子(やまさき・ひろこ) 1960年1月3日鹿児島県出身。高校から新体操を始め、1979年から83年に新体操全日本選手権5連覇。1984年ロサンゼルス五輪で個人総合8位に入賞。引退後はスポーツライターやリポーターとして活躍。新体操団体がアテネ五輪の出場権を逃したことを受け、2004年に強化本部長に抜てきされ、独自の視点でセレクションを行って2006年から選手との共同生活を開始。2008年北京五輪への出場権を獲得して見事に再生させた。2012年ロンドン五輪では7位入賞。9月の世界選手権で、新体操は個人、団体ともにリオデジャネイロ五輪出場権を獲得した。

山﨑浩子(やまさき・ひろこ)
1960年1月3日鹿児島県出身。高校から新体操を始め、1979年から83年に新体操全日本選手権5連覇。1984年ロサンゼルス五輪で個人総合8位に入賞。引退後はスポーツライターやリポーターとして活躍。新体操団体がアテネ五輪の出場権を逃したことを受け、2004年に強化本部長に抜てきされ、独自の視点でセレクションを行って2006年から選手との共同生活を開始。2008年北京五輪への出場権を獲得して見事に再生させた。2012年ロンドン五輪では7位入賞。9月の世界選手権で、新体操は個人、団体ともにリオデジャネイロ五輪出場権を獲得した

異例の365日合宿を支えた世界基準という意識

──五輪開催の前年の成果としては最高ではないでしょうか。10年間の苦労が実りましたね。

山﨑:アテネ(2004年)の出場権を逃がした後、世界基準で団体に特化した強化をすると決め、05年冬にオーディションをして06年からスタートしました。私は監督ではありませんでしたが、一致団結して挑戦するのに人任せにはできなかった。まずは一緒に住もうと最初の拠点だった千葉に引っ越しました。

──強化本部長が自ら住み込み。覚悟が要りますね。

ロシアのように、基本はどこの地域でも完成していて誰を選抜しても大丈夫といったシステムと違い、日本にはクラブは多いのに、公民館や体育館を抽選で待って1日2時間ほどの練習しかできない。そういう環境で団体を強化するのは難しいですよね。

集めた当初は技術も意識もバラバラでした。衣食住を整えれば練習時間も増え、何よりも休養ができる。休めないとケガも多くなりますから。海外の強豪が若手を集めて同じメンバーで集中的に強化をするなら、自分が強化部長としてやらなければ、と。

すべてを世界基準にする、それが目標で指針でした。団体に特化するために、選手は3人部屋で共同生活をし、練習場所、食事と環境を整備し、豊富な練習量で鍛えて、高い意識を育てていく。シンプルな方法だったと思います。

選抜はプロポーションと柔軟性を最優先

──選抜はどのように? 環境も技も皆、異なり、難しかったのでは?

セレクションを実施しましたが、転校までして通年合宿なんて本当に大丈夫なのか、と選手を出してくださるクラブも不安だったでしょう。選抜には公正さを維持するため正確なポイントを設定しました。

たとえば、見た目の美しさを、身長と座高、股下の比率を測って点数化する。座高が高ければバランスで低くなり、5センチ刻みで点を設けました。筋肉や身体つきは後の練習で変化しますので、第一にプロポーションです。

──一般のファンはなかなか目にする機会がないのですが、フェアリー ジャパンのプロポーションは、欧米よりも美しいほどですね。

外国の選手のほうが少しぽっちゃりしていますね。プロポーションと各関節の可動域も数値化しました。腰、股関節が主ですが、身体が柔らかくなければどうにもならないんです。脚線美で“おおっ”と思わせる選手、柔軟性の高い選手を選びました。

セレクションの時点で完成した選手ではなく、未知でも体型と柔軟性を重視し、数値化した部分と、ポテンシャルといった、どちらかといえば「勘」のようなものと、両方で。

中心選手の畠山愛理は、2012年ロンドン五輪に出場。団体7位入賞を果たした

中心選手の畠山愛理は、松原梨恵らとともに2012年ロンドン五輪に出場。団体7位入賞を果たした

──目を見てピンと来たとか、精神力のようなものは評価しませんでしたか。

そこまでは正直わかりませんでした。指導者だから才能を見抜けるなんて、私は思いません。やってみないとわからないし、やはり離脱者も出るだろうと予想して10人と多く選んだのです。サボりがちだったのに急に変わった、とか、反対に能力が高くても自己管理が続かなかった選手もいる。

「意識の低い人は帰っていい」と伝える

──未知のタレントの力を伸ばすには何が必要でしょう。

意識でしょうね。オーディションのときに、世界を目指す意識のある者、という項目があります。最初に千葉の宿舎に集まったときから「ここは通常の場所ではありません。本当に新体操を一番に考え、行動し、意識のプロとして自分を律してやれる人しかやってはいけません」と言い続けています。

──ティーンエージャーにプロ意識ですか。

ええ、わからないとは思います。普通の女の子のように、遊びたい、おいしいものを食べたいと少しでも思うならば、今ここを出て行って構いません、と言う。誰も出て行きませんでしたが。意識レベルによって行動レベルは変わる。身体をつくるのは練習や食事より意識なんですね。実は、就寝時間も起床時間も決めていません。

ルールで縛らず、自発的な思考を促す

──細かく決まっていると想像しますね。

いつ起きてもいつ寝ても良い。だけど……です。最高の練習をし、最高のパフォーマンスをするために何時に寝て、何時に起きればいいか。そのために正しい栄養を取る。オリンピックのメダル獲得を目指す集団であり、最高峰の日本代表であり続ける、そして、他人と生活をしている。この3点を思って生活をしなさいとだけ伝えます。

サッカーや野球のプロとは違いますしとても若い。けれどもスポンサーや協会の支援を受けて不自由なく新体操に専念できるのですから、理解できようができまいが、意識のプロフェッショナルであるべきだと私は思います。

(文:増島みどり、写真:福田俊介)

*山﨑浩子強化本部長のインタビュー後編は今週の金曜日に掲載する予定です。
 5K4A0097 のコピー_w600px