IOC・河村裕美インタビュー(前編)
文科省官僚からIOC職員に。日本人女性派遣の舞台裏
2015/10/4
今年からIOC(国際オリンピック委員会)で働く、一人の日本人女性がいる。
大学卒業後に入省した文部科学省では、国際関係の仕事に長らく従事。ここ数年は、留学促進キャンペーン「トビタテ! 留学JAPAN」と、海外で活躍できる若者を育てる「スーパーグローバルハイスクール」の立ち上げに携わるなど、グローバル人材の育成に尽力してきた。
着実にキャリアを積み重ねてきた彼女は、いかにしてIOCへの派遣に至ったのか──。
2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向け、アジア・パシフィック&中東・北アフリカでチャンピオンズリーグの放映権とスポンサー権利を販売する岡部恭英が話を聞いた。
大学卒業後に旧・文部省に入省
岡部:河村さんは現在、IOCで働かれていますが、これまでの経歴を教えていただけますか。
河村:私は大阪大学卒業後に旧・文部省に入省しました。
岡部:現在の文部科学省ですね。
河村:「入省したらすぐにでもバリバリ政策をつくる」という夢を見ていましたが、実際はコピー取りなどの下積みの仕事ばかり。5年目ぐらいにアメリカのコロンビア大学への留学も経験し、帰国後にさまざまな業務をこなしてきました。
そして、2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催が決定したとき、「どういう社会にしたいか」ということでアイデアを出していくチームが組まれて、そこのチームに入りました。
岡部:それは文科省内ですか。
河村:そうです。下村(博文)大臣のすごかったところは、2020年に幹部になるであろう若手職員を集め、「自由にアイデアを出してビジョンをつくりなさい」と指示されて大臣自ら推進する姿勢をみせたことです。
日本には「支えるスポーツ」がない
河村:そこで、私は、初めてスポーツの世界に触れることができました。いろんな方々に話を聞いているうちに、日本のスポーツ文化は、「するスポーツ」と「観るスポーツ」は、成熟しつつあるけれど、「支えるスポーツ」がこれから必要だと指摘していただきました。
岡部:「支えるスポーツ」とは?
河村:乙武(洋匡)さんの言葉になりますが、「感動のただ乗りをしている人が多い」ということです。日本はサッカーのW杯になると、青いユニフォームを買って、すごく応援しますよね。
岡部:そうですね。
河村:テレビも高い視聴率になり、関連グッズが飛ぶように売れる。けれど、それはW杯の瞬間だけ。W杯に出る選手たちは、その前に高校サッカーや中学サッカー、アマチュア時代があり、いきなりW杯に出られるわけではありません。それなのにそういう部分の支えがまだまだ足りないのです。
オリンピック選手でも、シンクロナイズドスイミングやフィギュアスケートでは、コスチュームも体の一部なのでスポンサーのロゴを入れられない。そうなると、スポンサー企業からすれば、おカネを出しにくいので、選手の家族が長年支えていることが多い。アマチュア時代から、応援する方々がいれば、アスリートも頑張れて、息を長く続けられると思います。
この提言がきっかけで、超党派の議員連盟の「1000万人スポーツドナー推進議員連盟」というスポーツを支える文化をつくるためのプロジェクトが立ち上がりました。「面白いヤツがいる」という話になり、そこからIOCの話が出てきました。
東京オリンピックの準備を進めるうえで「IOCから情報が入ってこないため肌感覚がわからない。誰か行ったほうがいい」というニーズがあり、留学経験のある私に声がかかったんです。
IOCでやりたいこと
岡部:IOCの派遣前のインタビューでは、どのようなことを聞かれましたか。
河村:「IOCで何をしたいのか」ということです。ちょうどIOCがオリンピック・アジェンダ2020という40項目のオリンピック改革を出したときで、「アジェンダ2020で何かイノベーションを起こしたい」と。
アジェンダ2020はさまざまな改革案があり、2020年をきっかけに新しいスポーツのビジネスモデルをつくろうという提案です。そこで、私の心に一番響いたものがスポーツと文化の融合でした。
岡部:一番好きなところですね。
河村:オリンピックは“スポーツ”と“平和”の祭典と言われますが、一つ抜けていて、本来は“スポーツ”と“文化”と“平和”の祭典になります。昔のオリンピックは彫刻の金メダルなど、文化も競っていました。
正直に言って、私の中でスポーツと文化は、結び付いていませんでしたが、話を聞き、勉強していくと両方とも人間の最高の能力を極めるという点で一致していました。スポーツはより速く、より正確に、より強くを求める。文化芸術活動も表現における究極を求める。だから、非常に似ているわけです。
アジェンダ2020の中にも、「スポーツと文化の融合を促進する」ということが入っていました。私はスポーツビジネスのド素人ですが、スポーツと文化の融合で何かできるかもしれないと考えました。
東京オリンピック・パラリンピックによって、日本でいかにイノベーションを起こすのか。日本の肌感覚が私にはあって、IOCの方も日本がどのような国で、アジアは何を大事にしているかが私を通してわかります。そこが私の強みになるということと、そしてアジェンダ2020で何かイノベーションを起こしたいと思い、IOCに入りました。
ロンドンオリンピックで感じた事
岡部:なるほど。河村さんとオリンピックの接点は、開催決定後だったのでしょうか。
河村:あらためて私の経歴をさかのぼると、アメリカでの留学から帰国し、世界遺産の担当や海外のファンディングエージェンシーとの協定締結の仕事などを経て、文科省全体の国際窓口を担当することになりました。
当時、文科省で東京オリンピック・パラリンピックの招致も行っていましたから、大臣や副大臣が海外で招致活動を行うときに同行させていただくことになり、それがオリンピックとの初めての接点になりました。
岡部:そのときは、大臣官房国際課ですよね。
河村:そうです。ロンドンオリンピックにも行かせていただきました。オリンピックのときのロンドンは、非常に印象的でした。経済的にも成功したと言われ、オリンピックは成熟した大都市でもイノベーションを起こして、大きく成長するきっかけを与えことができると。
当時はIOCで働くことは想像もしておらず、オリンピック以外でも社会変革をする仕組みをつくり出せたらいいなとは感じていました。
岡部:どんなかたちでも、プラットフォームを日本につくりたいと。
河村:そうです。社会を良くする文化をつくりたいと思いましたね。
岡部:ロンドンオリンピック後はいかがですか。
河村:そこから、国内でグローバル人材育成に関わる文科省の初等中等教育局の国際教育課に配属されました。
そこで、2つのプロジェクトを立ち上げました。1つは日本で留学を当たり前にする社会文化を起こす。もう1つがグローバル人材に特化した学校を集中的に支援する。
岡部:それが「トビタテ! 留学JAPAN」と「スーパーグローバルハイスクール」ですね。
河村:そうです。いかに社会的なムーブメントをつくるかを、プロジェクトを通して学びました。
(構成:小谷紘友、写真:著者提供)
*インタビューの後編は10月6日(火)に掲載する予定です。