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高校から「ディベート教育」を

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    近畿大学 情報学研究所長 特別招聘教授

    ディベート教育は本当に必要。議論や摩擦があるからこそ、それを乗り越えるためにイノベーションが生まれる。日本の組織は議論や摩擦を避けるから予定調和的になり、イノベーションが生まれにくい。また議論すると個人的な怨嗟や恨みに繋がりやすい。これではイノベーションは生まれない。今こそディベート教育を必須に。


  • ユーザベース SPEEDAアナリスト

    自分は、大学からの英語ディベート経験者。ディベート(論破ではない)大好きなのだが、個人的には「部活」レベルがもっと広がることが必須と思うので、ディベート甲子園とか、一部の高校のESSである英語ディベートがもっと広がればいいと思う。
    ディベート教育において重要なのは、ちゃんとした教育と審判の体制。大学ディベートにおいて、一部の学校が強い。その中でいわゆる偏差値から比べると異様に強い大学があり、それはOBから大体教育体制がしっかりしていることが多い(それ以外の強い大学も教育は体系的かスパルタかの色はあっても必須)。逆に強い大学が没落していくパターンも、人数が減って、教育がされないパターンが多い。
    ディベートは、論理と表現の掛け算。ただ、個人的には論理のほうが前提で、そこを強化した後に表現を考えるべきだと思う。そうしないと、「しゃべりは達者だが強いところと戦うと勝てない」となる。教育的にも、言語が違うなかだと論理が前提となって、そのなかで相手を説得する表現が追加的に身につけないといけない部分。
    ただ、正直、事実と推測の仕分け、表現の勢い・美しさだけでなく根拠付けを実践できる人は、経験者でも少ない。さらに教育するのは実践する以上に難しい(自分が出来る≠教えた人が出来る)。そこが出来る人口を増やしてからじゃないと、中途半端な教育になる。だからこそ、部活などで楽しさを感じ、その経験が実務で役立つことを感じ、そして広げていくことに意義を感じる陣構想の拡大が、幅広く教育する前の前提となると思う。
    論理という観点では、ディベートというスタイルの前に、もっとレポートをしっかりやらせるなど、相対的に簡単に教育できる部分も多く、そっちを注力すべきだと思う。

    ※追記。もし導入するなら、賛成否定両側を、一つの論題で経験することは必須。感情・好き嫌いではなく論理で物事両面の長短考えることが、建設的な議論の前提。それができると、自分と違う意見への反論吸収して議論するスキルがつく。あとは小さいチーム(できれば2-3人)、みんなでやっても全体を見るようになれないし、他人任せになら。


  • グロービス経営大学院 学長 グロービス・キャピタル 代表パートナー

    僕は、個人的にはディベートはあまり好きじゃない。ディベートで相手を論理と表現力で打ち負かす事よりも、Win-Winを考えるコミュニケーション力(例。模擬国連)の方が、日本には合うと思う。

    なお、「ディベート教育」の前に論理思考(クリティカル・シンキング)とプレゼンテーションが必要だと思う。その基礎能力なくして、ディベート教育を導入しても、収拾つかないと思う。


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