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政治の世界から物事を変えるのが一番近道

私がNTTドコモを辞めて政治家になった理由

2015/9/30
自由民主党・衆議院議員の小林史明氏が、NTTドコモから政治家に転身した理由や、自民党の内側などについて語る。第1回は、政治家に至るまでのキャリアなどについて振り返る。全3回。

もともと私は、政治家になろうという考えは持っていませんでした。実家が繊維を扱う商売をしていたことに加え、中学時代に読んだ『課長島耕作』の影響から、素材の良さがわかる営業マンになろうと考え、理系の大学に進学して化学を学んでいました。

大学に入学し、さまざまな物事に触れる中で「人の意識を変革する」ということに強い興味を持ち始め、まさにそれを起こすツールである携帯電話を扱うNTTドコモに入社を決めました。

携帯を通して生活スタイルに直接訴えかければ、人々の意識を変えていけるのではないか。そしていつか、社会そのものも変えていけるはずだと考えていたのです。

人事担当になって感じた大学生のポテンシャル

NTTドコモ入社後、最初の配属先は法人営業部門でした。運送業、製造業、スーパー、結婚式場などさまざまな業種に対してソリューションの提案に回った3年間は貴重な経験になりました。

その後、もともと入社後のキャリアとして法人営業を経験した後に新興国で働きたいと考えていたこともあり、インドへの異動を希望しました。

しかし、残念ながらこれはかなわず、人事部への異動を命じられ新卒・中途の採用を担当することになります。正直戸惑いましたが、実力のある人材を採用することでグローバルに活躍できるチームの下地づくりができると思えば良い機会だと、数日後にはその気になっていました。

この人事採用担当への異動が、今日につながる大きな転機となりました。

採用担当になったことから、毎年大勢の大学生と会うのですが、その中で多くの気づきがありました。

キャリア教育の不足や、経団連と政府によって就職活動時期を定めた倫理憲章の課題などさまざまありましたが、最も強い課題感を感じたのは、大学教育と企業が求める能力のギャップです。

教育機関が用意した試験をクリアし続けた若者が、社会では活躍できないという現実。なぜ、国が税を投じて育成した若者がその国の社会で活躍できる能力を身につけられないのか、次第に教育制度に疑問を抱くようになりました。

一方で、大学生に大きな可能性も感じました。当時、インターンシップの企画・運営も担当していたのですが、数日間で、多くの学生が目覚ましい成長を遂げたのです。

その経験から大学4年間の過ごし方をテコ入れすれば、社会に出てくる人材の質も大幅に向上させることができるのではないか──そう思うようになりました。

政治で教育を変えるのが、最も近道

しかし、大学4年間にアプローチしようにも、これは一般企業にはなかなか手が出せる領域ではありません。大学教授になることも検討しましたが、影響を与えられる範囲も限られているように思えました。

より影響力のあるやり方は何か。そう考えたとき、政治の世界から教育を変えるのが一番近道だということに気づいたのです。

こうした経緯を話すと、会社を辞めることに不安はなかったのか、成功する保証もないのにリスクは考えなかったのか。そういった質問をよくいただきます。しかし不思議なことに、当時さほど政治家への転身を不安視していませんでした。

もし失敗し、選挙区を追われたとしても、何をやっても食べていけるだろうという、根拠のない自信があったからです。ぜいたくさえ言わなければ再就職することは可能でしょうし、日本で食べていけなければ海外へ出てもいい。そう考えていました。

国会議員になるまでの道のり

政党の公認で国政に出馬する場合、大まかに分けてルートは2つです。

(1)地方議員や秘書、親族など前任の国会議員との縁から後継指名
 (2)政党の公募選考

それぞれ苦労があります。地方議員から国政へ出馬する場合、同僚からの嫉妬がありますし、秘書からとなると、長年下積みを経験し各方面から信頼を得る努力が必要です。

親族であれば最近は世襲批判もあります。公募の場合は前任者が不在でなければ基本的に実施されないので、なかなかチャンスはありません。

私の場合はタイミングよく地元で公認候補者の公募が行われており、論文と面接の審査を経て公認を受けて選挙活動を始めました。

政治活動のスタート

よく、政治の世界は特殊だから戸惑ったのでは? という質問を頂きます。確かに当初は、地方議員の方々との付き合い方、話を通す順序など頭を悩ませました。

ただ、結局は社内外への根回しとルールは同じだったのです。そこに気づいてからはスムーズに活動できるようになりました。

政策については法人営業時代同様、企業と地域の現場を回りながら本質的な課題を探し、解決策となる政策を訴えていきました。演説も人事時代の講演の経験が生きました。

当選を果たしたのは、29歳のとき。1度目の挑戦で当選できたのは、幸いというほかありません。勝因のひとつとして、政治に対する期待が薄れていたことも無関係ではないように感じています。

今のままでは何も変わらないのだから、若い人材に任せたい、人々のそんな思いを感じることが、選挙活動中には多々ありました。

その2年後、2度目の衆議院議員総選挙に再選し、現在、政治家としてのキャリアは3年目に入りました。国会議員になって感じるのは、政治と国民の距離が離れていることの「もったいなさ」です。

より多くの方に政治との関わり方を知っていただければ、フェアで迅速かつ効率的に日本の課題解決を進めることができると考えています。

次回以降、政治家の日々の活動や意思決定プロセスなどをつづらせていただきますが、政治との関わり方を考えていただくきっかけになればと思います。

(文:友清 哲)
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*続きは来週水曜日に掲載予定です。