mirai_150813_bnr

第19回 ヤフー チーフストラテジーオフィサー安宅和人氏(下)

人工知能との「賢い」付き合い方

2015/9/2
元陸上プロ選手の為末大氏が、科学・技術の各分野をリードする第一人者と対談し、5年から10年後の世界はどうなっているかを聞いている。今回、為末氏が対談しているのは、ヤフーでチーフストラテジーオフィサー(CSO)を務める安宅和人(あたかかずと)氏だ。東京大学大学院やイェール大学脳神経科学プログラムなどで脳科学の研究をするとともに、前職のマッキンゼー&カンパニーでは10年以上にわたり消費者マーケティングに従事。そして、2008年にヤフーに入社して経営戦略に携わるとともに、まだ社会的話題になっていない時期からビッグデータ解析をいち早く手がけてきた。幅広く、かつ深く、社会の物事を捉えてきた氏の眼に、近未来はどのように映っているのだろうか。最終回となる第3回。人工知能が人間に与えるものというテーマで対談が展開される。急速に発達する人工知能が社会で存在感を強める未来において、人間に求められる力とはどのようなものだろうか。

センサ、計算機、人工知能という史上最強の組み合わせ

為末:情報通信などの技術が進んでいるとよくいわれますが、具体的になにがどう進んでいるのか。安宅さんはどう捉えていらっしゃいますか。

安宅:センサがどんどん使われるようになった。それによりビッグデータがじゃんじゃん生まれている。そして、その膨大なデータを計算機が受け止めて、そこに実装された機械学習などの人工知能(AI)が処理するといった技術が劇的に高まっている。簡単にいうと、そんな状況だと捉えています。

産業革命のとき、内燃機関が生まれて、人間の肉体労働や手作業が減っていったように、データと計算機、それに人工知能で、人間がしてきた数値処理などの事務的な仕事は消えていく可能性は高いと思っています。

為末:人工知能については、最近、金融やスポーツの記事を書くようになったなんてニュースも見ました。

安宅:ありましたね。もう間もなく、がんがん使われていくと思います。人工知能で、長文を要約するサービスもすでに存在しています。

為末:作家のような仕事も人工知能がしていくようになる……。

安宅:そこにはもうひとつ段差があって、人工知能から村上春樹さんのような作家が生まれるかというと、生まれにくいと思います。

為末:そういう領域は、またちょっと違うんですね。

安宅:ええ。創作的な領域では、人間がするからこそ、人間の皮膚感覚を生かしてこその価値が残ると思います。でも、そうでない部分は人工知能などの機械が代わりをすることが進んでいくと思います。

産業革命のとき、ローマ時代から2000年かけて2倍くらいにしか上がらなかった生産性が、およそ150〜200年かけて突然100倍くらい上がったんですね。さらに今後、その生産性がもう一度、飛躍的に上がるんじゃないかと思っています。

安宅和人(あたか・かずと) ヤフー チーフストラテジーオフィサー(CSO) 1968年富山県生まれ。1993年、東京大学大学院生物化学専攻にて修士号取得後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。4年半の勤務後、イェール大学脳神経科学プログラムに入学し、平均7年弱かかるところ3年9カ月で学位取得(Ph.D.)。2001年、マッキンゼーに復帰し、マーケティング研究グループのアジア太平洋地域における中心メンバーの1人として、幅広い分野のブランドを立て直し、商品・事業開発に携わる。2008年、ヤフーに入社、COO室室長として、経営課題解決や提携案件の推進などに関わる。事業戦略統括本部長を経て、2012年より現職。著書に『イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」』(英治出版)がある

安宅和人(あたか・かずと)
ヤフー チーフストラテジーオフィサー(CSO)
1968年富山県生まれ。1993年、東京大学大学院生物化学専攻にて修士号取得後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。4年半の勤務後、イェール大学脳神経科学プログラムに入学し、平均7年弱かかるところ3年9カ月で学位取得(Ph.D.)。2001年、マッキンゼーに復帰し、マーケティング研究グループのアジア太平洋地域における中心メンバーの1人として、幅広い分野のブランドを立て直し、商品・事業開発に携わる。2008年、ヤフーに入社、COO室室長として、経営課題解決や提携案件の推進などに関わる。事業戦略統括本部長を経て、2012年より現職。著書に『イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」』(英治出版)がある

“箱”は体の気持ちよさを感じ得ない

為末:データや人工知能を駆使するという場合、それをすることができる人たちの持つ力が強くなりすぎる可能性もありますか。

安宅:あり得ますね。

為末:そうした人たちが、人工知能をコントロールできていればいいけれど……。

安宅:今、まだまったくわからないのは、人工知能が発達したとき、ある種のパーソナリティのようなものが自然に生まれるかどうかということです。もし、パーソナリティが生まれるとなると、厄介なことになります。

ジョニー・デップの『トランセンデンス』という映画は、人間の脳が人工頭脳となって膨大なデータを取り込んでいくというストーリーでした。人工頭脳がパーソナリティのようなものを持つのであれば、そういうことが起きかねません。

為末:コンピュータが人間っぽくなると厄介なことになるというのは、ぼんやり想像できるんですが、具体的にどのあたりが危うくなるんでしょうか。

安宅:コンピュータは目的を与えられると、データが十分にある限り最適解を出します。誰かが倫理的に間違った目的をあたえると、その最適解を出そうとします。

そこでコンピュータがパーソナリティのようなものを持っていて、人間のコントロールできない部分で問いを立てることまでしだすと、なにをやり始めるかわからないという気持ち悪さはありますね。

為末:やっぱりある種の従順さがあって、素直に計算をしてくれるほうがいい。

安宅:そうですね。「3カ月でこのくらいの体重まで落としたい」と言うと、箸が電気振動で震えて「もうこれ以上、箸を持ってはいけません」と止めてくれるくらいにとどまっていてほしい(笑)。そこに間違った意思が入ると、なにが起きるかわからない。

為末:人工知能が自分なりに「でも、この人はこうするほうが魅力的だから」と考えて、それを人にさせようとするとなるとよくない。

安宅:よくないですね。「そんなこと、頼んでないよ」となるわけですから(笑)。

為末:そのあたりの議論はされたりしているんですか。

安宅:私の近くの人の間ではしています。ある知人は、「そういうことになる可能性は低いだろう。顕在化する可能性がちらりと見えるまでは放っておいていいのではと思っている」と言っています。

でも、箱である人工知能は体を持った人間と同じように感じることは絶対ないわけで、だからこそ、もしパーソナリティのようなものが生まれたりすると、それがどうなっていくかは人間に理解できない部分があります。

為末:身体性はないけれど、認識のようなものはある。それがどうなるかは、なかなか想像がつかないんですね。

安宅:はい。人工知能を研究しているある著名な研究者は、「身体性と道徳については、コンピュータに無条件に叩き込んでおく必要がある。そうしないと人間の使う範囲を超えておかしくなるときがどこかでくるんじゃないか」とおっしゃっています。

為末:でも、身体性とかを叩き込むっていうのも難しそうですね。

安宅:十分な情報を与えないと難しいでしょうね。「こういうふうには体は動かないんだ」といったことを、たくさん叩き込む必要があると思います。温度や湿度によって、人間は気持ちよさを感じたり、耐えられなくなったりする。そういうことを片っ端から入れるわけです。

為末:そういうことも学習できる可能性はありますよね。時計と温度計があって、人間が気持ちよい状態にあるということがデータとして上がっていくと。

安宅:最初は情報を入れてあげないとなりませんが、フィードバックをかければ確実に学習しますね。

経験を結びつけられる「賢さ」こそ人間の強み

為末:人工知能が発達していった未来、たとえば10年後、僕らの「賢さ」っていうのも今のものとは変わっているようなことはありますか。

安宅:10年後くらいであれば、社会を生き延びるための基本的なスキルが変わる程度だと思っています。これまで、日本語力、英語力、問題解決力があれば十分でしたが、今後10年くらいでは、コンピュータに指示を出して人工知能をうまく利用するような、データリテラシーは必須になると思います。仕事の内容がコンピュータを使い倒すということに変わっていく部分が多いからです。

でも、「賢さ」についていえば、ごく少ないサンプル数からなにかを得るっていうのは、人間の卓越した能力であり、今後も残るはずです。人間のサバイバル本能ですから。それがあるから、先祖の人々は雷を避け、火事になっても逃げ延びてくることができたわけです。

コンピュータは似た事象を5回繰り返し経験しただけで学習するのは難しい。でも人間は5回繰り返す必要はないですから。

為末:過去になにかの経験をすると、似て非なるシチュエーションでも、過去の学習下経験を引っぱり出して対応するっていうことが得意そうですもんね。

安宅:すごく得意ですね。人間は、何千回何万回と細かい学習を日々しているので、それらのアナロジーとして、意味を捉えられるんですよね。ドラマや映画、小説までをひっくるめて、自分の経験にしているから、意味を深く読み取れる。そして、ざっくりと感覚的に意味を取って考える。これはわれわれの強みだと思います。 

為末大(ためすえ・だい) 1978年広島県生まれ。2001年エドモントン世界選手権および2005年ヘルシンキ世界選手権において、男子400メートルハードルで銅メダル。陸上トラック種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。シドニー、アテネ、北京と3度のオリンピックに出場。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2014年10月現在)。2003年、プロに転向。2012年、25年間の現役生生から引退。現在は、一般社団法人アスリート・ソサエティ(2010年設立)、為末大学(2012年開講)などを通じ、スポーツと社会、教育に関する活動を幅広く行っている。著書に『諦める力』(プレジデント社)『走る哲学』(扶桑社新書)などがある

為末大(ためすえ・だい)
1978年広島県生まれ。2001年エドモントン世界選手権および2005年ヘルシンキ世界選手権において、男子400メートルハードルで銅メダル。陸上トラック種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。シドニー、アテネ、北京と3度のオリンピックに出場。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2014年10月現在)。2003年、プロに転向。2012年、25年間の現役生生から引退。現在は、一般社団法人アスリート・ソサエティ(2010年設立)、為末大学(2012年開講)などを通じ、スポーツと社会、教育に関する活動を幅広く行っている。著書に『諦める力』(プレジデント社)『走る哲学』(扶桑社新書)などがある

危機に置かれているミドル層とマネジメント層

為末:10年後の、組織マネジメントや教育も在り方が変化しますか。

安宅:いずれも大きく変化すると思います。

為末:組織マネジメントでいうと、作業するような立場の人はなくなっていくような……。

安宅:管理する立場になっていくと思います。工場のラインでは、昔は機械を人間が手で組んでいましたが、今は機械が行い、人間は問題なく稼働しているかをチェックしています。

為末:それと同じようなことが、オフィスでの仕事にも起きてくるわけですね。

安宅:ええ。事務作業をやっているコンピュータに「大丈夫かな」と言って、軌道修正をかけたり、仕上げの部分をチェックしたり、そうした管理業務的なものになっていく可能性はあります。

でも、やっぱり最後の感性のような部分は人間の仕事のままだと思います。

為末:出てきた設計図を見て、「このカーブはもう少し、なめらかなほうがいいかもな」とか、感じたことをコンピュータに伝えるような。

安宅:そうです。「なんだかよくわからないけれどこう感じる」といったあたりのことは、人間にしかできませんから。

コンピュータはすでに、画像を与えられたら「2匹の犬が走ってます」といったことを判断する画像認識力を持つようになりました。ロゴデザインとかもコンピュータがつくるようなサービスがアメリカでは始まっています。

すると人間は、コンピュータが用意した20や30のデザインの中から、「これが一番いいので、もっとこうしよう」という仕上げの部分をすることになります。

為末:教育についてはどうですか。

安宅:そんな時代における教育はどうなっているのか、ですね。主に3つのスキルを伸ばすことが必要になると思っています。

為末:3つのスキル……。

安宅:はい。まず、情報処理や統計学などの情報科学系の知恵を理解して使う力。データサイエンスとかいいますが、これがまず必要になります。

それと、コンピュータにデータサイエンスを実装し指示をして実行させる、エンジニアリングの力。これも必要です。コンピュータ自体が気を利かせて動き始めることはありませんので(笑)。

でも、それだけだと、ただ好きなことをやるだけの「オタク」になってしまう。そこに、目的なり課題なりを与えられるよう、きちんと問題を設定するための力が必要になると思います。

そうすれば「オタク」でなく、世界を変える、あっと驚かせるといった意思を持った「ギーク」や「ハッカー」が誕生する可能性が出てくると思います。

為末:教育に対する期待みたいなものもありますか。

安宅:全般的な底上げに加えて、専門家をしっかりと養成するような教育を、大学、大学院などで行うことが日本では重要になってくると思います。

日本は90年代まではハイテク王国でしたが、世界でのビッグデータ、データ利活用方面での日本のプレーヤー(スタートアップを含む企業)の存在感は、現在、残念ながらとても低いです。

ITエンジニアの数はアメリカのみならず、中国、インドにも大きく負けています。理工系の大卒数も、人口が日本の半分以下しかいない韓国に比べ年間10万人以上少ない。そもそも理系の数自体が足りていないんです。

為末:なるほど。それと、大半の大人は、僕も含めてすでに従来の教育を受けて学校を卒業しているわけです。そういう人たちをどうするか、ということもありますよね。

安宅:その通りですね。日本に数千万人いる、ミドル層やマネジメント層の存在が問題になってきています。「ビッグウェーブが来ている」という時代の興奮が共有されていないという感があるんです。

世の中の課題をチャンスと捉えて、科学やコンピューティングと結びつけて解決していくということを考える人があまりいないんですよね。そう考えない人は、2025年ごろになると、仕事がなくなってしまう。過去の教育を受けた人を再度訓練し直すというのも、教育の大きな課題になると思っています。

為末:そうした層の人々は、どうすればいいんですかね。

安宅:単純に、学ぶということですね。前まで手で釣りをしていたけれど、これからは釣り竿を持って釣りをするといったように(笑)。人間は学習しますから、思うほど難しいことではないです。

為末:案じるより、実際に使ってみようとする、ということですね。

安宅:その通りですね。プログラミングの技術までは必要ないけれど、数字にちゃんと触れて、分析的に考えて、その状況がなにを意味しているのかといった生々しい感覚を持っているっていうことが大事なんだと思います。

対談を終えて──為末大

コンピュータが人のしてきたことをするっていう未来の世界は、僕自身は肯定的に捉えています。僕みたいな、面倒くさがり屋で、かつ疑問と直観で生きているような人間にとっては、有利な社会になっていくんじゃないかと。「なんでこうなんだろう」「もしかしたらこうなんじゃないか」と思うことばかりなので。

人間の感性というものは、これからもっと重要になりそうな気がしましたね。コミュニケーションでも直感的な要素は重要だと思います。その人に何度も会っているわけではないけれど、自分の似たような過去の経験からして「この人は信頼してもいい」と、感覚も生かして見極めるようなことは重要かなと思います。

「路面ソムリエ」の話が出てきましたが、僕の「足の裏」の感覚っていうのも、そのことを繰り返して考えてきた人だけが持つようなもののひとつなんだと思います。物書きは文章をパッと見た瞬間に違和感を覚えるとか、そういう類いのものなんだろう、と。それぞれの人がこだわってきた部分が、それなりに価値を生み出すような未来になっていくのではないかと思いました。

「賢さ」については、根本的な基準が、今のものからズレていくんじゃないかと思っています。個別のものを具体的に考えるよりも、全体を見渡して「大事なことはこれなんじゃないか」と見極めるようなことが、より大切な賢さになっていくような気がしましたね。

(構成:漆原次郎、撮影:風間仁一郎)