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海外の規制と比較、課題も見える

ドローン規制はビジネスの妨げになるか

2015/8/27
これまで、ドローンによる配送の可能性や監視ビジネス、建設業界における活用について紹介してきた。農業や建設業など、人手不足の問題を抱える業界では、「空飛ぶロボット」たるドローンは大きな力を発揮するだろう。ただどのような用途であれ、ドローンの価値を実現するためには、それが抱えるリスクの認識と対策が必要になる。最終回となる今回は、活用と表裏の存在ともいえる、規制について見ていこう。

首相官邸ドローン侵入事件とその余波

2015年4月22日。首相官邸の屋上ヘリポート付近に、ドローン(DJIのPhantom2)が落ちているのを官邸職員が発見した。夜間飛行を目立たなくするためか、白い機体は黒く塗り直されており、小さなプラスチック製容器を搭載。その後の調査で、中から微量のセシウム134と137が検出された。

ドローンが確認された2日後の24日、男が自ら警察に出頭したことで事件はあっさり解決する。しかし彼の供述やブログから、ドローンが侵入したのが同月9日で、発見までに2週間近く経過していたことが判明。さらに容器に入れられていたのが「福島の砂100グラム」で、政府の原発政策に対する抗議の意味があったことも明らかになった。

小型のラジコン機がテロなどの示威的行為に使われる可能性について、まったく考えられていなかったわけではない。たとえばすでに2002年版の警察白書において、「小型航空機や無人ヘリコプター等を利用して上空から化学剤等を不法に散布する形態や、これらに爆発物を搭載して上空から対象に突入させる形態等で敢行されるいわゆる経空テロ」という文言が登場しており、早くから危険性が認識されていたことがわかる。

官邸ドローン事件は、小型で誰でも飛ばすのが容易というドローンの特性が改めて証明したことで、「規制を早急に進めなければならない」という意識を喚起することとなった。

事件から3カ月後の7月9日には、官邸や国会、原子力発電所など重要施設付近でドローンを飛行させることを禁じる議員立法が衆議院を通過。さらに同月14日には、ドローンの飛行を有視界内に制限することや、爆発物などの危険物の搭載を禁止することなど、さらなる規制を盛り込んだ航空法改正案が閣議決定された。また5月には東京都が都立公園内におけるドローン飛行を禁止するなど、自治体レベルでの規制の動きも進んでいる。

首相官邸にドローンが墜落した事件をきっかけに、規制の検討が加速した(ロイター/アフロ)

首相官邸にドローンが墜落した事件をきっかけに、規制の検討が加速した(ロイター/アフロ)

ドローンのビジネス利用に関わる法律

こうした規制の動きについて、「過剰反応ではないか」という声もある。ただ、現在検討されているドローンの飛行制限に関して言えば、諸外国と比べて過度に厳しいものではない。

たとえば現在の航空法には、小型の無人飛行機に対する明確な定義はない。そもそも航空法が、航空機の安全運行を目的としてつくられた法律であるためだ(ただ航空法第99条の2に、一般の飛行機の「飛行に影響を及ぼすおそれのある行為」に対する規制があり、小型無人機もこの一部に含まれている)。

現状では、高度250メートル以上(航空路内は150メートル以上)を飛行する場合には、通報が必要になる。しかしこれ未満であれば、航空法上規制がないと解釈され、法律上は飛行に関するルールが抜け落ちた状態となっている。ドローン規制をめぐる議論の際、「日本は諸外国に比べて規制が緩い」という指摘があったのは、これが理由だ。

ドローンが物理的な機体を伴う存在であり、空を飛ぶ旅客機やヘリコプター、さらに地上の人間や建物に深刻なダメージを与える可能性がある以上、一定の飛行制限が加えられるのはやむを得ないだろう。ただ、「何に使って良いか」というルールに関しては、大きな議論の余地が残されている。

たとえば民法では、土地の所有権はその土地の上空にも及ぶと定められている。旅客機など高い高度を飛行するものについては、この規定の範囲外であると解釈されているが、地上から数十~数百メートルの高さを飛ぶドローンについては明確な例外規定が存在しているわけではない。つまり近くの道路でドローンを飛ばし、隣家を飛び越えて自宅に帰投させたなどという場合、隣人の了承を得ていなければ不法侵入に問われる可能性があるわけだ。

これは特に、ドローン配送のようなサービスを検討する企業にとって、頭の痛い問題となる。もちろん道路などの公共空間を移動していけば問題にはならないが、空という障害物のない空間を突っ切ることで、短時間で配送が行えるのがドローン配送のメリットのひとつだ。

だからといって、配送ルートとして考えられるエリアのすべての住民から、上空を飛行する許可を得るというのは現実的ではない。民法は決して、ドローンのビジネス活用を制限しようとしてつくられた法律ではないが、そこに規定されている「過去の最適解」が、ドローンを始めとした最先端の技術の活用に対して障壁となるのだ。

こうした障壁は、ほかの法律にも見られる。たとえば本連載の第4回において、ドローンを使って老朽化したインフラの点検を行おうという動きがあることを紹介した。

一方で2014年に改正された道路法では、橋梁(きょうりょう)・トンネルなどの点検に関して、国が定める統一的な基準により、5年に1回の頻度で「近接目視により」点検を行うこととされている。「遠望目視による点検」は認められていないのだ。このような規定がある中で、ドローンや画像解析技術などを利用した効率的・自動的な点検がどこまで認められるのか、法律を変える必要があるのか、議論が続けられている。

ドローンという技術自体が進化すれば、さらに過去の法律の現状認識との間にギャップが生じることになる。現在、飛行機を使って運送事業を手がける会社に対しては、貨物利用運送事業法などによって関連ルールが定められている。

ドローン技術が進歩して、ちょっとした荷物を個人間でドローンに運ばせることができるようになったら、こうしたルールの適応範囲内に入るのかどうか議論になるだろう。

もちろん、個人的にドローンを飛ばして荷物を運べる距離は限られているが、バケツリレー方式で遠くまでドローン配送できるようにすることを計画している人々もいる。不特定多数のドローン所有者が配送ネットワークを形成し、意外な活用を始めるようになるかもしれない。

赤旗法の過ちを超えて

こうした革新的な技術の活用と、安心・安全や現状維持を目的とした各種規制とのバランスをどう取るべきなのか。技術規制の難しさを示すエピソードとして、よく引用される「赤旗法」の例を紹介して、本連載を終えることにしよう。

自動車のルーツとされるもののひとつに、フランス陸軍の技師を務めたニコラ・ジョゼフ・キュニョーが1769年に発明した「蒸気自動車」がある。蒸気機関で動く自動車で、砲兵部隊のために大砲をけん引する目的で開発された。時速は4キロメートル弱しか出なかったそうだが、構造が原始的で操縦が難しく、1771年には試験走行中に壁に激突するという事故を起こしている。世界初の自動車事故というわけだ。

そんな頼りない蒸気自動車だったが、その後順調に改善が進められ、19世紀には実用化されて欧州諸国の街中を走るようになっていた。

当時、蒸気自動車技術の発展をリードし、また車両の普及台数でも世界に先んじていたのが英国である。1836年には、ロンドンとその南85キロメートルの位置にあるブライトンの間を結ぶルートにおいて、1年間で1万3000人もの乗客を蒸気自動車で運んだそうである。

ところが期待の新技術であるはずの蒸気自動車に対して、その発展を阻害するような規制が次第に英国内で成立していく。機械の力で走る車という、見慣れぬ存在に対する人々の恐れから、また自分たちの仕事が奪われかねないという、鉄道会社や馬車業者など既存事業者の切実な問題意識から、法外な通行税などの理不尽なルールが押しつけられていったのである。

その最たるものが、1865年に導入された「赤旗法」だ。これは蒸気自動車を走らせる場合の最高速度を、市外で時速約6.4キロメートル、市内で時速約3.2キロメートルにするという厳しいもので、さらに蒸気自動車が進む先に、赤い旗(夜は赤いランプ)を持った人間を歩かせることを定めていた。蒸気自動車が事故を引き起こすリスクを抑えるためという建前だったが、ある意味ではこれを成立させた人々の狙い通り、赤旗法の成立後から英国での自動車産業は他国に後れを取るようになっていく。

厳しい規制に嫌気がさした技術者たちが、フランスやドイツ、アメリカなどに移っていったのである。しかし一度成立した法律は、弊害が表面化してもなかなか変更されず、廃止されたのは成立から実に30年以上後の1896年のことであった。この際に撤廃を祝うレースが行われ、そして世界初の自動車保険が登場したなどという逸話まである。

赤旗法が完全に理不尽なものであった、と断言することはできない。実際に蒸気自動車に驚いた馬が暴れ、大事故を起こすというリスクが存在していたのだろう。しかし安全技術の進化や社会的状況の変化があったにもかかわらず、その後数十年にわたり、惰性的に規制が続けられたというのは愚行と言うしかない。

ドローンについても、一時的な世論の不振や危機意識などから、過度に厳しい規制が敷かれるかもしれない。しかし現実の変化に即して、柔軟に規制を変えていく取り組みを続けることで、安心・安全を守りながら技術革新のメリットを享受することができるだろう。

(取材・文:小林啓倫)

<著者プロフィール>
小林啓倫(こばやし・あきひと)
日立コンサルティング 経営コンサルタント。1973年東京都生まれ。獨協大学卒、筑波大学大学院修士課程修了。システムエンジニアとしてキャリアを積んだ後、米バブソン大学にてMBAを取得。その後外資系コンサルティングファーム、国内ベンチャー企業を経て、2005年から現職。著者に『災害とソーシャルメディア』(マイナビ)、訳書に『ウェブはグループで進化する』(日経BP)など。