【第6回】父子鷹で進む、世界王者への道
世界一を目指す父と息子を強くする、「人生の矛盾」
2015/8/14
人生につまずき、道をそれそうになった子どもが必死に送っている危険信号にいち早く気づき、真剣に向かい合ってやれるのは親だけだ。一緒に悩み、ともに懸命に戦って、子どもに笑顔を取り戻させてやるのは親の務め。そのことを、この父子鷹は教えてくれる。
息子の名は松本圭佑。前回紹介した、2020年東京五輪で金メダル候補として期待される16歳、高校1年生のアマチュアボクサーだ。
父の名は松本好二。WBA世界フェザー級タイトルマッチのリングにも立った、元東洋太平洋フェザー級チャンピオン。引退後は大橋ジムに所属し、八重樫東や井上尚弥らを世界チャンピオンに育て上げた名トレーナーだ。
親の責任として始めさせたボクシング
祖父も日本ランカーというボクシング一家に生まれた圭佑は、幼稚園に通う頃からジムでお兄さんたちのマネをして縄跳びをしたり、サンドバックをたたいていたりしたが、本格的にボクシングを始めたのは小学校3年の夏休みから。きっかけは、「ダイエット」だった。
「それまでかけっこでは負けたことがなかったのに、ポッチャリしてきて足が遅くなってしまって。それで、夏休みの間だけ真面目にボクシングをやって、痩せようと始めました」
息子はそう教えてくれたが、父の話は違っていた。
「実は……小学校に入った頃から、髪の毛や眉毛が抜けるようになったんです。心配して病院に連れていきましたが、『ストレスです』と片づけられた。納得できないじゃないですか。もう片っ端からいろんな病院に行きましたけれど、どこも答えは同じ。そりゃあ生死に関わることじゃないけれど、『わからないからって何でもかんでもストレスって言うなよ。ふざけんな』と思いました」
「でも、思い当たることもあったんです。野球をやってもサッカーをやっても続かない。勉強もダメ。何でも『嫌だ』で、頑張り通したことがない。もしかしたら、人として弱いところがあるのかな。男として生きていく力が足りないんじゃないかなとね」
「迷っているとき、ちょうど夏休みになったので、本人には『ボクシングでもやって、ちょっと痩せろ。体を鍛えろ』と言ったんです。イチかバチか、俺がやるしかなかった。親の責任としてね。それで始めたんです。自分にはボクシングしかないですから」
子どもにケガをさせてはいけない。しかし、やるからには真剣にやるしかない。父親の葛藤が始まった。
練習も遊びも一切の妥協なし
練習は月曜日から土曜日まで毎日、決まった時間に1時間30分。規則正しい生活を身に付けさせることも狙いだった。ボクシングに関して一切妥協しない父の指導は厳しかったが、オンとオフの区別は徹底していた。
「ツラいことは『もっとやれ、やり通せ』と言うのに、楽しいことはすぐ終わり。そんなのおかしいでしょ。続きませんよ。何事も最後までやらせないと」
休日はよく、父子でゲームセンターに行った。父いわく、「キャバクラじゃないですけれど、もう“オープン・ラスト”でしたね」。息子が遊び疲れて「帰る」と言うまで、ゲーム機におカネをつぎ込んだ。お目当てのレアメタルが獲れるまで、何度もやらせた。
「女房には怒られましたけど。ボクシングって、人生とすごく似ていると思うんです。いいときもあれば、悪いときもある。それでも、両方ちゃんとやらないとダメ。しっかり練習したら、遊んで、また一生懸命やる。試合でも、勝てないヤツはいつもバタバタしています。ダメなときは、一回深呼吸して立て直せばいい。そうすれば崩れない」
息子が“不利な”右利きの理由
トレーナーとして最も名誉ある「エディ・タウンゼント賞」を獲得している父の教えで、圭佑は瞬く間に“ボクサー”になっていった。自分でも動きがスムーズになったことがわかり、パンチもきれいに当たるようになると、ボクシングが面白くなってきた。約束の夏休みは終わったが、父子はそのまま練習を続けた。暗黙の了解だった。
「それでも、まだボクサーにしようとは思わなかったですね。厳しさは、誰よりも知っていましたから。むしろ、止めたかったです」
「昔の仲間に言われるんです。『息子、ボクシング始めたんだって。サウスポーだろう?』ってね。俺もサウスポーだったし、ボクシングは左が断然有利ですから。でも、あいつは右。ボクサーにするつもりなら、サウスポーにしていました。ただ、自信をつけさせたくて始めただけだったから」
「男には負け方がある」
秋、自分から志願して小学生の大会に出場した圭佑は勝利を飾り、ますます自信をつけていった。父は勝った。息子は壁を乗り越えた。
次なる戦いへ向け、父は話した。
「世の中、ウサギもいればカメもいる。本当に強い、手ごわいのは努力できるカメの心を持ったウサギだ」
そして、自分が経験してきたことを教え込んでいる。
「現役時代、ほとんどは後悔したことばかりです。『ああしておけば、もう少しマシなボクサーになれたのに』とか。『あのときわかっていたら、違っていたのになあ』とか。初めての世界タイトルマッチで負けたとき、ヨネクラジムの米倉健司会長から『男には負け方がある』と言われたんです。最初は意味がわからず、『白星か黒星しかないだろう。このオッサン、何言ってんだ』としか思わなかった。負けた直後でしたからね」
「でも、だんだんわかってきた。世界チャンピオンを相手に、本気で勝とうと思って練習してこなかった。会長に怒られたことがようやく理解できたら、自分に愛想が尽きてね。勝負の世界、負けても仕方ないけれど、一生懸命やる。そんな単純なことをもっと早くわかっていれば、こんな自分でももっと世界に近づけたかもしれない」
「オヤジもボクサーでしたけど、僕に甘くてね。今になって思いますよ、もっと話を聞いておけばよかったと。あの頃は聞く耳を持たなかったからな。40歳、50歳まで現役でボクシングができればいいけど、その前に肉体の限界がくるでしょ。だから、頭のほうが追いついてこないと、もったいないじゃないですか。悔いが残らないようにね」
「アイツに一番言ってきたのは、『楽して勝つのがカッコイイんじゃない』ということ。いるでしょ、『俺、全然勉強なんかしてないよ』と言いながら成績のいいヤツ。息子ぐらいの年代だと、それがカッコイイと思ってしまうけど、そうじゃないんだとね」
成長する息子、葛藤を抱く父
中学生になった頃、練習が終わると圭佑が父に聞いてきたことがある。「みんな、練習が終わるとお父さんに『ありがとうございました』と言うけど、俺も言ったほうがいい?」と。父は「それは自分で考えろ」とだけ言った。
翌日、練習中はいつも通りタメ口だった圭佑が、最後に「ありがとうございます」と頭を下げた。
「あれはうれしかったですね、ひとつ試合で勝った以上に。チャンピオンたちのおかげです。みんながあいつを見守ってくれている。あいつも彼らを見て、素直にいろいろ学んでいるんですね」
ボクシングという心の支えを得た圭佑は、トレーナーでもある父に一度も反抗することもなく、順調に力を伸ばしてU-15の全国大会で5連覇を達成した。
ところが父はいまだに「勝て」と願うより、「どうかケガしませんように」と思うことのほうが多いという。
「殴られるくらいなら、『逃げて判定で負けたほうがマシ』なんていうのはしょっちゅうでね。やめさせたいと思うこともあります。人生、矛盾だらけですよ」
息子に本気のパンチを入れた真意
八重樫が「自分たちと同じような練習を小学校3年生から、当たり前のように黙々とやっているんですからね。強いはずです」と言えば、井上は「身体能力、ボクシングセンス、どれをとっても自分より上」と絶賛する。
だが、百戦錬磨の父には気がかりな点があった。
「あいつは何をやってもそつなくこなします。あの年では、ボクシングもよくわかっていて、言われたことを難なく実行できる。だから勝てていますが、今後、それがネックにならないか。何かが足りない」
心配した父は、練習中、息子のボディにパンチを入れてみた。中学1年生のときだった。本気で殴ったわけではないが、元世界ランカーのパンチを食らった息子はマットに沈んだ。
「殴ってこい!」
鬼の形相をした父から怒鳴られ、圭佑は泣きながら立ち上がり、パンチを繰り出してきた。だが、一発も当ててこなかった。
「殺されるかもしれない状況に追い込まれても、あいつは当ててきませんでした。わざとすべて外してきた。相手が父であり、トレーナーであるということを忘れず、理性を失わなかった。人と人が殴り合う格闘技でも、決して一線を超えなかった。あいつは優しすぎるんです。それが、ボクサーとして致命傷になるかもしれません」
「けど、もしかしたら、逆にそれがあいつの強さなのか。僕はそれがなかったから一流になれなかったけど、それがあいつの最大の武器になるのかもしれません。今後どう出るか、期待と不安でいっぱいです。やっぱり、人生は矛盾していますよ」
5年後、東京オリンピックのボクシング会場となる両国国技館で、あるいはその後の2020年代に日本武道館やラスベガスの豪華ホテルで、松本圭佑はどんなボクシングを見せているだろうか。これまでとはまったく異質の金メダリスト、もしくは世界チャンピオンを見ることができるかもしれない。(文中敬称略)