みなさんの常識は世界の非常識

みなさんの常識は、世界の非常識Vol.22

鶴見俊輔と、「サブカルチャー神話解体」

2015/8/7

戦後の日本を代表する思想家、鶴見俊輔さんが7月20日、亡くなりました。93歳でした。鶴見さんは戦前にハーバード大学に留学し、戦後には丸山真男らとともに「思想の科学」を創刊して、日本の思想界を牽引しました。

またベトナム戦争反対の立場を貫き「ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)」を結成。2004年には日本国憲法擁護の立場から「9条の会」設立の呼びかけ人になるなど、市民運動にも積極的でした。

宮台さんから見て、鶴見さんが残してくれたものとはなんだったのでしょうか?

鶴見俊輔氏は大衆文化論の出発点

既に多くの方が鶴見さんの死を悼む追悼文を出しました。上野千鶴子さんの文章(朝日7月24日付)も涙を誘ったし、天皇主義の時代に天皇主義の優等生になり、民主主義の時代には民主主義の優等生になる「優等生病」への、嫌悪を紹介した小熊英二さんの文章(同夕刊)も良かった。

なので今日は繰り返しを避け、故人の業績を讃えるかわりに、彼の業績で今日継承されにくくなっている大衆文化論・社会意識論について、各種追悼文で触れられていない事実をお話します。キーワードは「社会心理学」です。後で触れるように言葉の意味が今日とは違います。

追悼記事は、鶴見さんが「べ平連」、最近では「9条の会」の創設メンバーだったこと、丸山眞男や都留重人と創刊した『思想の科学』(46-96)のことを紹介しています。この雑誌は、「八紘一宇」の如き「お守り言葉」を排し、「ひとびとの哲学」に寄り添うと宣言したことで知られます。

「大衆が生活しながら思ったり考えたりすること」です。この雑誌が大衆文化論や社会意識論の重要な媒体だとされてきた理由も、それです。どういうことかといえば、今はなき「社会心理学」の形態がそこに見られたのです。その前にまず、心理学と社会学の違いを話します。

心理学と社会学はどこが違うのか

心理学と社会学は帰属処理が違います。心理学は、現象をもたらす前提や原因を心理メカニズムに帰属します。「心がこうなっているからこういうことをした」という説明です。社会背景が探られることがあっても、「なぜアノ人ならぬコノ人がそうなったか」を説明するのですね。

これに対し、社会学は、現象をもたらす前提や原因を社会メカニズムに帰属します。たとえ一度は個別主体の心理に帰属することはあっても、「そうした心理的作用が働くのは社会がこうなっているからだ」という風に、最終的には社会を問題にします。一例をあげましょう。

93年に援助交際の存在を世に紹介した際、多くの大人は援交女子高生らを「特殊」と見做しましたが、僕は「一部だけれど、特殊じゃない」と論じました。女子高生らが、援交するか否かに関係なく、共通の社会的前提の上にあり、一部の子が「引き金を引かれる」だけという趣旨です。

一部の子に関わる「引き金」要因の一つとして心理学的要因が作用する場合もありますが、心理的要因やそれを条件づけるミクロな背景に注目しすぎると、偶然の契機があれば誰でも援交に乗り出し得る事実や、それを支えるマクロな社会的要因が存在する事実が、忘れられます。

心理学者の処方箋と社会学者の処方箋も対照的です。心理学者は、問題を改善すべく、薬理やカウンセリングで「症状」を改善します。でも社会学者は、「心の持ち方の改善」に注力することで、「心の持ち方」の背景にある「社会の在り方の是非」という問題が覆い隠されると見ます。

社会心理学の意味がかつて違った

さて、社会心理学です。今日では、噂やデマの発生・伝搬、評判の形成、それらを利用したマーケティングや政治的動員技法の研究といったアメリカンなイメージです。でも1970年の時点では、それは「心理学的な社会心理学」と呼ばれる一つの立場に過ぎなかったのですね。

日本でメジャーだったのはむしろ「社会学的な社会心理学」でした。これに道をつけたのがまさに鶴見俊輔さん。あるいは、その影響下で、南博さん(※)や、私のお師匠でもある社会学者の見田宗介先生や、数多くの方々が「社会心理学者」を自称しました。

※南博…京都大学やアメリカのコーネル大学で心理学を学び、帰国後は一橋大学で日本の国立大学初めての社会心理学講座を設ける。frustration(フラストレーション)の訳語に「欲求不満」という言葉をあてたことでも知られる。

この「社会学的な心理学」は何をやったのかというと、戦後のマルクス主義ブームを背景として、例えば「社会意識は社会構造によっていかに規定されるか」という具合に問題を立てました。これはマルクス主義の「上部構造は下部構造によっていかに規定されるか」の応用ですね。

そうした「マルクス的な問題設定」を前提として、「下部構造に規定されない上部構造はあるか」「経済的諸関係とは比較的無関係に動く観念形態とは何か」といった研究もなされてました。これらを特別に名指して、「マックス・ウェーバー的な問題設定」と呼んだりしました。

かつての社会心理学の具体的事例

具体的な例を挙げます。なぜ、戦間期から戦後にかけての重工業化=都市化の過程で望郷の歌が流行したか。なぜ、先進各国で高度経済成長時代に学生運動が噴出したか。なぜ、先進各国で1950年代半ばに「若者」が誕生したか。ちなみにそれまでは「若者」はいませんでした。

こうした物言いはフィリップ・アリエス『子供の誕生』に倣っています。それまで若者は、大人と同じ秩序貢献的な理想を抱く、しかしより純粋な存在であって、大人になるにつれて汚れていくのだ、と観念されました。「若者=より純粋な若年の大人」というイメージですね。

ところが1955年になると、大人からは伺い知れない内面を持つ不可解な「若者」という概念が出てきます。「暴走する若者」「無軌道な若者」「理由なく反抗する若者」というイメージです。アメリカならジェームズ・ディーンに象徴され、日本なら太陽族的なものに象徴されたものです。

こうして先進各国では、大人と区別される存在としての「若者」は当初、暴走・無軌道・反抗などのネガティブな存在でしたが、60年代半ば以降は、ラブ&ピース・性の解放・Tシャツ&ジーパン・長髪・エレキギターなど、オルタナティブな価値を掲げるポジティブな存在になります。

今申し上げたのは先進各国に共通する観念形態の新たな変化です。これとは別に日本独特の持続する観念形態もあります。鶴見さんがお好きだったことだけれど、なんで日本人は、ヤクザや流れ者といった「周辺的な存在」に好感を抱くのか、といったことが問題にされました。

当時として思えば、任侠映画もそう。漫画やアニメの『サイボーグ009』もそう。世界破壊のための最終兵器として開発されたサイボーグらが人知れず正義のために戦う話でした。古くは浄瑠璃の世話物(心中話)もそう。恋する二人が心中を決意した瞬間に光が降りる訳ですね。

こういう問いにマルクス主義的な図式だけでは答え切れないということで、そうした問題を研究しようというのが、「社会学的な社会心理学」を主導した鶴見さんでした。だから鶴見さんは漫画研究の重鎮でしたし、彼の影響を受けて、歌謡曲や映画を研究する人が続いたのです。

そうした人々の登竜門が『思想の科学』。映画でいえば、映画評論家の佐藤忠男さん。もともと「思想の科学」の投稿者で、後に編集に携わらせて貰ったという経歴からいって、鶴見さんが育てたといっても良い存在です。佐藤忠男さんからは僕も非常に影響を受けています。

鶴見的な流れを頓挫させたエビ厨

鶴見俊輔さんに続くこうした一連の流れが、1960年代に「社会心理学(的)」と呼ばれていたのですね。先に名前を出した僕の師匠の一人である見田宗介先生も、初期の本ではプロフィールで「社会心理学者」と自称しておられた。だから僕も「社会心理学者」になろうとしました。

こうした流れが存在したことを、今の若い人は研究者(の卵)を含めて知らないでしょう。鶴見さんは、僕らの集合的な観念形態——何を良い・悪いと思うのか、何を好き・嫌うのか——が、時代につれ、なぜ、どう変化していくのかを、深く理解しようとする流れを作ったのです。

その意味で、後代につながる大事な流れの一里塚を築いた人です。しかしこうした「社会学的な社会心理学」の流れは、残念なことに今日ではほぼ継承されていません。かわりに統計的に実証されたことだけを言おうとする頭の悪い「エビデンス厨」が跋扈するようになりました。

マートンが築いた実証的調査の礎

こうした頽落は学説史に対する無知ゆえの頭の悪さに由来します。実証的な社会調査に基づき、順機能・逆機能、顕在機能・潜在機能、所属集団・準拠集団、予期的社会化、予言の自己成就などの概念ボキャブラリーを今日に残したロバート・マートンは、以下のように言います。

実証的社会調査で通念を確認したり、通念を実証したりするのは愚昧だ。重要なのは、データを精査して見付かる、通念や仮説に矛盾する傾向である。こうした意外な傾向を説明するために仮説を含んだ概念を作り、それを実証する調査を行なって、更なる矛盾を発見していく。

そうして出来たのが先に紹介した一連の概念ボキャブラリーです。彼は同時代の少し先輩に当たる社会学者パーソンズの、一般理論構築に向けた試みを肯定しながらも、今はまだ概念ボキャブラリーか少なすぎるとして、実証調査で矛盾を発見しては概念を作ろうとしたのです。

ところで、鶴見さんの立場が継承されなくなったと申しましたが、93年に上梓した僕の共同プロジェクト『サブタルチャー神話解体』では鶴見さんの立場の継承を目差し、複雑な統計手法を用いているものの、マートンの教え通り概念構築のための社会調査を実践しました。

鶴見的方法の限界を見極める営み

鶴見さんや『思想の科学』派の影響がなければあり得ない本なのですが、だからこそ鶴見さんの方法では到達できないところはどこかを徹底的に追求しました。例えば、先に1955年頃に先進各国で「若者」が誕生した話をしましたが、この話にはそれに関連する続きがあります。

否定的な「若者」から肯定的な「若者」を経て、1973年に「若者」が消滅します。再び「純粋な大人」に戻ったんじゃない。「若者」だというだけで互いが何者であるか分かり合えるような共通感覚——ラブ&ピース・性の解放・Tシャツ&ジーパン・長髪・エレキギター——が消えたのです。

1970年11月に自決した三島由紀夫が直前に憂えたことですが、国民的共通前提はとっくに消えていました。三島が喝破したように、国民的共通前提が消えたから、埋め合わせとして世代的共通前提が登場しただけ。そして世代的共通前提が消えた。いったい何が残ったのか——。

国民的共通前提と言ってもピンと来ないでしょうね。昔はお茶の間で家族揃って同じ番組を見ました。だから「紅白」だけでなく「NHKニュース」の如き国民的番組があって、誰もが見ているという前提で、井戸端会議があり、「旦那、あのニュースだけど⋯」と床屋政談がありました。

さて、国民的共通前提が消え、埋め合わせの世代的共通前提も消えた後、果たして何が残ったか——。詳しくは『サブカル神話』に譲りますが、鶴見さんらの方法論は国民的共通前提の健在を前提としたものだから、もはや通用しない、別の方法が必要だ、と僕らは考えました。

乗り越えようと思うには、乗り越えられねばならない高い山が必要です。その意味で、鶴見さんの方法に準拠するか否かにかかわらず、鶴見さんは戦後の大衆文化研究・社会意識研究の礎を築きました。だけどその継承は危うい。なぜか⋯という思考が実は鶴見さん的なのです。

(構成:東郷正永)

<連載「みなさんの常識は、世界の非常識」概要>
社会学者の宮台真司氏がその週に起きたニュースの中から社会学的視点でその背景をわかりやすく解説します。本連載は、TBSラジオ「デイ・キャッチ」とのコラボ企画です。

■TBSラジオ「荒川強啓デイ・キャッチ!」

■月~金 15:30~17:46

■番組HP:http://www.tbs.co.jp/radio/dc/

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