100年目の甲子園への提言。「変革の時が来ている」

2015/8/6

グラウンドは戦場、勝利最優先  

昨夏の甲子園でのことだ。
例年より複数投手を起用するチームが多く感じたから、時代の変化でも起きたのだろうか、試合後の監督たちに聞いて回った。
表現に違いこそあるが、おおよそ、山形中央・庄司秀幸監督の言葉で一致していた。
庄司監督の言葉を借りるとこういうことである。
「学校のグラウンドにいるときは、選手の健康面を考えて、目を光らせるようにしています。しかし、公式戦は勝負に入っているわけですから、勝つための起用を考えてピッチャーは選んでいます。うちが2人の投手を登板させているのは、勝つためです。健康面を配慮してではありません。勝つことでしか学べませんから」
試合が始まったら、そこは戦場、勝たなければいけない。そんな風潮が今の高校野球界にあり、庄司監督の言葉は、高校野球の指導者の模範解答と言える。
しかし、過去、どれほどの投手たちが、甲子園の舞台で傷ついてきたことか。

甲子園で傷ついてきたエースたち

1986年夏、天理のエース・本橋雅央はボールを投げるたびに苦悶(くもん)の表情を浮かべ、それでも粘投し、全国制覇を果たした。テレビ画面に何度も映された彼の表情は人々の心を打った。
1991年夏、準優勝した沖縄水産のエース・大野倫は、大会後に疲労骨折が判明。決勝戦は骨折を患いながら投げていたと後に報道された。
2000年夏、中津工業のエース・長谷川敬は、8回1死1塁の場面で、マウンドにうずくまった。両足がけいれんして動けなくなったのだ。それでも治療の後、マウンドに登ったが、痛打を浴びて降板。左翼の守備についた。試合後、長谷川は病院に搬送された。
2008年夏の決勝戦では常葉菊川のエース・戸狩聡希(現ヤマハ)が、左肘の痛みを押して登板するも、3回で降板。しかし、後続の投手が相手の大阪桐蔭打線を抑え切れずに、9回に再登板。左肘を抑えてうずくまっても、彼に手を差し伸べる人はいなかった。
2013年の夏には、木更津総合の2年生エース・千葉貴央が右肩痛で、投球練習でスローカーブしか投げられなかった。しかし、それでもプレイボール。一人の打者に全球スローカーブを投じた後に降板。「捕手が代えてくれと訴えてきたので交代させた」と言った木更津総合の指揮官・五島卓道の言葉には、あぜんとするしかなかった。
2013年春のセンバツ大会では、済美の安楽智大投手が2回戦の広陵戦で、延長13回を一人で投げ切り、232球の熱投。大会を通しても、722球を投じ、日米のメディアを巻き込んでの大騒動となった。後に安楽は右肘の怪我を患った。
2014年には、大会前の連盟の審査で異常なしと診断された盛岡大附属の松本裕樹投手が右肘炎症をチームが隠して2試合に登板。大会後、数カ月ノースローと診断を受けたという報道があった。

意識の低い指導者たち

これらの問題を引き起こしている原因は何か。
ひとつは上記のコメントにあるように、指導者の意識の低さにほかならない。今年から各地区でタイブレーク制度の導入が検討されるようになったが、これは、再試合などが起こり、大会の日程が詰まらないようにするための措置として日本高等学校野球連盟が動き出したものである。
再試合になっても同じ投手が登板している昨今の現状において、指導者が登板過多を抑えられないなら、日本高野連がルールで打開策を見つけるしかなかった。
この事実は、変わることのない指導者の意識の低さを明らかにしたものだ。日本高野連にとっては苦肉の策だっただろうけれども、タイブレークに反対する声が高校野球の指導者から多く聞こえてくるのだから、指導者の意識レベルは、これからも変わりそうにない。

部活の枠を超え、肥大した高校野球

とはいえ、そうした指導者たちの気持ちがわからないわけでもない。
彼らの置かれた状況を理解できなくもないからだ。
戦後復興の灯となって、勇気や元気を与えたのが高校野球。その後に平和な時代が訪れ、スポーツを楽しむ余裕ができてきた。野球の技術革新は進み、野球留学に代表されるように、さまざまなところで高校野球は影響を与えるようになった。女子校が共学化する際には、野球部を創部して宣伝広告としようとしたケースは少なくなく、高校野球は多くの人々に感動を与えたのと同じくして、学校経営に大きく影響するようになったのだ。
いわば高校野球は、クラブ活動という概念から、大きく飛び出てしまっている。
勝つために──、甲子園に行くために──、学校の価値を上げるために──。
指導者たちは、そこに頭を悩まさなければならなかったのだ。
だから彼らは常に、勝てる確率の高い選択肢を選んできた。それがエースの連投だったし、たとえ試合に負けたとしても、エースを起用し続けることで、勝負を挑んだと面目を保とうとしたのだ。
「勝利至上主義」が加速してしまったことが諸悪の根源だ。
肥大した甲子園、高校野球の看板を下ろすべき時期に来ているのかもしれない。

提言1:年間スケジュールを改善しよう

改善していくべき問題のひとつとして考えられるのが、高校野球の年間スケジュールである。ここを変えるだけでも、勝利至上主義の助長は抑えられると筆者はみている。
昨年、最後まで勝ち残り、甲子園の決勝を戦ったのが大阪桐蔭と三重だった。彼らが決勝戦を戦った日付が8月25日で、新チームが最初の公式戦を行ったのは9月14日(三重は地区予選の順位決定戦は9月7日)である。
つまり、新チームに完全移行後、2、3週間で秋季大会に臨まなければいけなかった。彼らは、身体を休めてリセットする時間や鍛え直す期間を与えられることがないまま、翌春のセンバツ大会の選考資料にあたる大会に突入している。
この2チームが最短だが、地区予選敗退のチームにしても、7月末に大会が終わって、遅い地区でも9月の1週目に秋季大会が始まる。1カ月強の期間を長いとみる向きがあるようだが、それでも筆者は短いと思う。
先にも書いたように、秋季大会は、翌春のセンバツ大会切符が懸かっている。身体が未成熟の段階にある高校生が、十分な時間を与えられる間もなく、「負けられない」大会に挑むというのは、いびつを生む。さらに、高校野球は秋、春、夏の大会すべてがトーナメント方式で戦われていることの弊害も危惧しなければいけない。
※秋、春の大会において、敗者復活戦を採用している地区やリーグ戦方式を取っている地区もあるにはあるが、それは地域別の予選段階にとどまっており、県レベルの本大会はトーナメントを採用。すべてをリーグ戦にしている地区は皆無だ。
たとえば、問題となっている投手の起用について。
トーナメント方式の一発勝負の大会では、エースを優先的に選択せざるを得ない。2番手投手の育成をしたくても、夏の大会が終わって間髪も入れずに秋季大会が始まってしまっては、投手を育成する時間の余裕が持てない。「絶対勝利」を前に、投手の起用が偏ってしまうのは避けられないのだ。春季大会にしても、地区によってはシード権を懸けているところもあるから、「負けられない」戦いが続く。
日本高野連は複数投手制を推奨しているが、大会の多くがトーナメントになってしまえば、その場を奪っているということに気づかなければならない。

提言2:トーナメント制の弊害に目を向けよう

また、トーナメント制の弊害は指導の手法にも大きく影響してくる。
一発勝負の戦いに勝つためには、ある程度、指導者が教え込んだチームづくりを優先しなければならない。選手が主体性を持って取り組むには多くの時間を要するため、勝利を前提とすると、その時間が待てない。
子どもたちの主体性よりも、指導者のいいなりにコントロールするチームづくりをするほうが、早く勝てるチームができあがる。ミスが起きれば怒鳴りつけ、選手を思うようにコントロールする。だが一方で、選手は監督の指示を待っているだけの人格が形成され、自ら進んでつかもうとするチャレンジ精神や創造力は磨けなくなる。
昨今は、バッテリーのサインを盗み見て、それを打者に伝達することを“戦術”とするチームも増えている。これも「負けられない戦い」のトーナメント制の弊害と言えるだろう。
高校時代は「強打者」と騒がれた選手がプロになると「守備の人」に変わるケースが散見される。ある甲子園常連校に共通してみられる現象だが、そのチームはサイン伝達の力を使って打っているだけで、真の意味での育成はなされていない。チームは「強豪」と呼ばれ、甲子園で勝てたからそれで良いが、選手の未来はどうなってしまうのか。
本連載の2回に登場した大阪桐蔭がサイン伝達をしないチームの代表例で、打者の育成に定評がある。

「自分で考える時間」の重要性

今の高校野球が非常にタイトなスケジュールで、勝利に偏った育成を余儀なくされていることを直視しなければならない。
3回に登場した、明秀学園日立の金沢成奉監督は「『ボーダレスな人格形成、多様なものに耐える力』を育むことができるのが野球留学の長所だ」と話していた。
だが、一方で「自ら行動して、責任を取ることに欠けている集団」とも話している。その言葉には、勝利を求められ、子どもたちの主体性を持たせる時間がない指導者の苦悩を映し出しているように聞こえる。時間が解決すれば、金沢監督の指導はもっといいかたちで生かされるはずである。
4回に取り上げた渋谷教育学園幕張は、選手の言葉を聞いてもわかる通り、自身の考えを明確に持っている。中には、「彼らは頭が良いから、そういう発想になる」と感じた人もいただろうが、決してそうではない。
彼らは時間の制約の中で、できる限りのことに取り組んでいる。渋幕の選手たちは、勝利だけを求められた中での育成環境ではなく、考える時間を多く与えられているのだ。野球以外に時間をかけたことで、さまざまな発想が生まれ、勉強にも野球にも生かすことができている。
それは7回の立田将太の言葉にも表れている。登板過多を避けようとした彼は、その中で生まれたひとつの要素として「自分で考える力が身についた」と話している。勝利とは別のところに身を置き、公立校という練習時間に緩さのある中で過ごした彼は「考える時間」と余裕を持ち、成長の後押しとなった。

提言3:春のセンバツ、秋の神宮大会の位置付けを見直そう

年間スケジュールを見直すことで、高校野球界全体の1試合に対する「勝利」が良い意味で薄れ、それが高校野球界の風潮を大きく変える潮流になるのではないだろうか。
高校野球のスケジュールがタイトになる理由は、秋の日本一を決める神宮大会、春のセンバツ大会があるため、すべての日程を前倒しに開催せざるを得なくなっている。これらの大会の廃止、あるいは、両大会の位置付けを変えることで、改善の兆しに一役買うのではないか。
「甲子園の大会を1回にすればいい」と書けば、多くの批判を受けるだろうが、今のスケジュールが、どれほど指導者たちから余裕を奪い、高校生の身体をいじめ、青少年の健全育成の足かせになっているか。一度、見直すべきだ。
サッカー界では、日本サッカー協会が小学生のレベルまでリーグ戦を推奨していると、聞いたことがある。高校野球界も、最後の夏の大会を除いては、年間スケジュールのリーグ戦に意向するのがいいのかもしれない。
「負けること」に“寛容”な公式戦が増えることで、試合の起用に余裕ができ、2番手以降の投手を育てる時間がつくれるし、たくさんのチャレンジができる。また、トーナメント戦では、年間3試合前後しか公式戦を戦えなかった常時1回戦負けの学校でも、複数の公式戦が経験できることも、プラス要素になるはずだ。

提言4:一大会の日程緩和を行おう

当然、一大会の日程緩和は考えなければいけない。投手への負担は、年々、増している印象を受ける。この夏の地区大会決勝戦を見ても、ビッグイニングになる試合が多く、投手への負担は計り知れないものがあると感じた。高校生が1日に100球以上を投じたときに、どれだけの休息を取らなければいけないかを調査したうえで、日程調整を考えるべきだろう。当然、連投は避けるべきだ。
朝日新聞のセンター長の高蔵哲也氏に「一番守りたいものは何ですか? (1)高校野球の伝統や歴史。(2)甲子園大会の人気。(3)高校生の未来(身体)に順位を付けてほしい」と質問したところ、「てんびんにかけるものではない」と言った。質問する前から予測できた回答だったが、最優先にすべきは、高校生の健全な育成であることを再確認してほしい。

次なる未来の創造は、今の人間の役目

「高校野球100年」という数字は偉大だと思う。
この数字に至る背景には、さまざまな感動の歴史が高校野球には詰まっていて、それに関わったたくさんの人たちのおかげで、今日の高校野球があるのは紛れもない事実である。
しかし、次なる未来を創造することは、今を生きる人間にとって、当然の役目である。
今回の特集ではさまざまなことを取り上げて提言してきたつもりだが、多くの読者や野球に関わる人たちに考えてほしい、というのが真の狙いだった。
高校野球、甲子園をビジネスのツールとしてさまざまな企画をすることを、否定はしない。しかし、高校野球を愛しているのなら、甲子園をこれからも大事なものとして考えているのなら、次なる100年をどう創造していくか、考えていくべきなのではないだろうか。
感動におざなりにされてきたこの「100年の現実」を美化してはいけない。