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第1回:スタンフォードから見る日本スポーツ

日米の五輪メダル数の差は「スポーツにお金が集まる仕組み」の差だ

2015/8/2
名門スタンフォード大学アメリカンフットボール部に日本人コーチがいる。日本時代に選手として4回、コーチとして1回日本一になった河田剛だ。商業的にも成功しているアメリカの大学スポーツの人間からすると、日本スポーツには多くの改善点がある。スタンフォードにおける日常を通して、新たなスポーツのカタチを提言する。
河田剛(かわた・つよし) 1972年7月9日埼玉県生まれ。1991年、城西大学入学と同時にアメリカンフットボールを始める。1995年、リクルートの関連会社入社と同時にオービック・シーガルズ入部(当時はリクルート・シーガルズ)。選手として4回、コーチとして1回、日本一に。1999年、第一回アメリカンフットボール・ワールドカップ優勝。2007年 に渡米。スタンフォード大学アメリカンフットボール部でボランティアコーチとして活動開始。2011年、正式に採用され、Offensive Assistantに就任。現在に至る(写真:著者提供)

河田剛(かわた・つよし)
1972年7月9日埼玉県生まれ。1991年、城西大学入学と同時にアメリカンフットボールを始める。1995年、リクルートの関連会社入社と同時にオービック・シーガルズ入部(当時はリクルート・シーガルズ)。選手として4回、コーチとして1回、日本一に。1999年、第一回アメリカンフットボール・ワールドカップ優勝。2007年 に渡米。スタンフォード大学アメリカンフットボール部でボランティアコーチとして活動開始。2011年、正式に採用され、Offensive Assistantに就任。現在に至る(写真:著者提供)

ボランティアコーチからプロコーチへ

2007年夏のある日、私は【Stanford Football】の門を叩いていた。

あえて「門を叩いた」と表現したのには理由がある。その日本語の表現の通り、具体的なアポイントもなく、ひとりのコーチとの細い細いコネをたどって、そのフロントドアにたどり着き、文字通りドアをノックして、(先方にしてみれば)突然、そのコーチを訪ねていたからだ。

その数週間後、私はそのオフィスで、つまりフットボールチームで「ボランティア・スタッフ・アシスタント」という、なんとも微妙なタイトルの職を得た。この仕事を得たのには、いくつかの理由とタイミングの良さがあるわけだが、それはこの本題ではないので割愛させていただきたい。

国に肩を並べる大学発のメダル数

2008年夏、スタンフォードのキャンパスでは、北京オリンピックが話題となっていた。

キャンパス全体と言うよりは、キャンパスの一角にある、「Athletic Department」(あえて日本語に訳すのなら「体育会」と言うべきであろうか…)では、スタンフォード大学在学中のアスリートと卒業生達のオリンピックでの活躍が大きな話題となっていた。

そのオリンピックが終焉をむかえたある日、オフィスでひとりの男に呼び止められた、アスレチックディレクター(Athletic Departmentのトップ)のボブだ。

「TK(筆者のニックネーム)、元気か? オリンピックは見てたか?」

「Yes, sir. スタンフォード・アスリートの活躍はすごかったですね」

「このキャンパス(卒業生・現役学生)から出たメダル数知ってるか?」

「わかりません。20を超えたところまで、覚えています」

(満面の笑みで)「結局、25個で終わったよ~」

(憎たらしいほど、ニヤニヤして)「日本が取ったメダル数と一緒だったよ~」

「嬉しいですが、寂しい限りです」

世界で2番目の広さを誇るキャンパスとはいえ、OB・OGを含めたメダル数とはいえ、米国籍以外(スタンフォード卒・在学中)のメダル数を含むとはいえ……。

わが母国、一国の獲得メダル数と同じとは……。

アポイントもなく飛び込んだ情熱が、名門の扉を開いた(写真:著者提供)

アポイントもなく飛び込んだ情熱が、名門の扉を開いた(写真:著者提供)

アメリカでは勉強との両立が当たり前

すでに、約1年間をこのキャンパスで過ごしていた私は、生徒たち、つまりプレーヤー達が、どれだけ勉強しているかを、そして、いかに勉強とスポーツを両立させているかを目の当たりにしてきた。

つまり、自分の経験・見聞してきた日本の学生スポーツの在り方との違いに驚愕(きょうがく)していた。

その矢先に、結果として、そして具体的な数字として、その違いを思い知らされたのだ。

何も、これはスタンフォードに限ったことではない。アメリカのトップレベルの大学で活躍するアスリートは、ある程度の成績を取らないと、練習にも試合にも参加できないし、(主観の域を出ないが)日本の学生のそれとは比にならないほど、勉強している。そして、それが社会に出た後に、ビジネスの現場で役に立っている。

元来「ひとつのことをやり遂げる」ことが美学であるとされがちの日本では、すべてのアスリートが必ずしもそうであるとは言えないが、スポーツ選手はスポーツに集中して「勉強や仕事は二の次・三の次」というケースが多い。ましてやオリンピック・アスリートとなると、いろいろな意味で(競技に集中できるよう)優遇をされるような場面を見聞きしてきた。

そのオリンピックの後に私が受けたショックをひとつの文にまとめると、

「複数の事を高いレベルで行っている(アスリートが所属する)ひとつの学校と、それだけをやっている(アスリートが多い)ひとつの国の獲得メダル数が同じなのか!?」

スタンフォードの経験をシェアしたい

その後も、アメリカでスポーツに関わる、そして、スポーツの現場で働いていると、驚く、いや驚かされる事が多い。特にカレッジのアスリートを扱う現場には、奇妙奇天烈でありながらも合理的な、日本人からすると想像もできないルールが存在し、学ぶことが多い。

日本人として悔しいのは、それらの事が、ことごとく(スポーツに関して言えば)良い結果につながっている事である。オリンピックや世界選手権でのメダル数、スポーツビジネス、社会との関わり、挙げればきりがないぐらい、日本のそれを上回る事が多いのである。

2008年の北京オリンピックでの悔しい思いを境に、私にはある思いと使命感が生まれてしまった。それは私がここアメリカで、特にスポーツの現場において、経験したことを日本の皆さんに伝えていく事である。

アメリカのNo.1スポーツであるアメリカンフットボール、そして世界有数のアカデミック・スクールであり、世界で最も寄付金を集めるここスタンフォード大学を中心に、私がいつも「日本のスポーツもこうすればいいのに、こうすべきだ」と感じている事を読者の皆さまにシェアしていきたいと思う。

もちろん、私はプロのライターでもなければ、スポーツビジネスのエキスパートでもない。ただのフットボール・コーチである。だが、カレッジスポーツでありながらも、(アメリカでは)ビッグビジネスである、カレッジフットボールに携わっている数少ない日本人の一人として、いろいろな情報の提供と、時にはそれに基づいた提案等もさせて頂きたい。

名門スタンフォード大学アメリカンフットボール部にいるとおのずと人脈が広がる。プロゴルファーのミシェル・ウィーは友人のひとり(写真:著者提供)

名門スタンフォード大学アメリカンフットボール部にいるとおのずと人脈が広がる。プロゴルファーのミシェル・ウィーは友人のひとり(写真:著者提供)

アメリカが好きなのではない

最後になるが、私は日本人であり、それを誇りに思う。特にこの良くも悪くも「いいかげん」な国に暮らしていると、「日本だったら……」とストレスが溜まることが多い。

いつも使う私のフレーズだが、「私はアメリカが好きなのではない、アメリカンフットボールが好きなのだ!」。

何も「すべてアメリカのようにすれば良い」という乱暴なことを言うつもりはない。「スポーツ大国に学ぼう」と言っているのである。両国のオリンピックメダル獲得数の違いは、国土と人口の差ではない。断じてない。「スポーツにお金が集まる仕組み」の差である。

2020年の東京オリンピックとその10年後、20年後に向けて、「日本のスポーツを少しでも良くしたい」という決意を表したところで、最初の寄稿の結びとさせていただきたい。読者の皆さん、今後ともよろしくお願いします。

*本連載は隔週日曜日に掲載予定です。