米国から見た、高校野球の「異常」

2015/8/1
特集「100年目の高校野球を問う」は、さまざまな視点から甲子園を見直したうえで、今後、さらにいい大会にするべく考えようという企画趣旨だ。コメント欄に数多く寄せられた賛否両論を読むたび、「それだけ甲子園が日本に根づいた文化である」と改めて実感している。
では日本の「夏の風物詩」をアメリカから見ると、どう映っているのだろうか。英字新聞で働くジャーナリストの永塚和志が、「外から見た甲子園」をリポートする。  
日本で最高峰のアマチュアスポーツイベントの甲子園も、その認知度はアメリカではほとんどないのが実情のようだ。
ただ、2013年春の選抜で済美高校の安楽智大投手(現・楽天)が決勝戦までの9日間で772球もの球数を投じたことをきっかけに、ESPNやアメリカのヤフーなど大手も含めたいくつかのメディアが記事を打ち出し、いくばくかの関心を喚起した。
そのほとんどが、炎天下のグラウンドでひとりのティーンエージャーに過度な投球を強いることに否定的な見解を示している。
以来、アメリカでの甲子園の認識は「投手を酷使する場所」となっているのかもしれない。
投手20人のうち、19人が故障
もっとも、甲子園で多くの球を投じた投手は安楽が初めてではない。春の大会は通算87回、夏は今大会で97回目。これまでの長い歴史の中で数百球もの球を投げた投手は数え切れない。
第88回大会(2006年)に出場した早稲田実業高校の斎藤佑樹(現・日本ハム)は決勝再試合まで948球もの球数を記録しているし、第80回(1998年)の横浜高校・松坂大輔(現・ソフトバンク)も同様に多くの球を投げた。
アメリカのヤフーで野球コラムニストを務めるジェフ・パサン記者は、甲子園はアメリカ人にとっていまだに「知る人ぞ知る、カルト的な存在」だが、「安楽がメジャーリーグのプロスペクト(期待株)だったことが事を大きくした」と語る(もちろん松坂と安楽の高校生時代ではインターネットやSNSによる情報伝達の度合いや影響力がまったく異なるという背景もあるだろう)。
パサン記者は2014年、自著執筆のため夏の甲子園の取材で日本を訪れている。もっとも、台風の影響で大会開幕が2日間遅れたために1試合も観ることができなかったが、それでも安楽や故・上甲正典監督(済美高校)、その他周辺の十全な取材をすることができたと話す。その際、同記者はある整形外科を取材したという。
「だいたい20人ほどの高校球児(投手)が訪れてきたけれど、そのうち19人が腕(肘、肩)に故障を抱えていた。そしてそのほとんどが投球過多によるものだった」とパサン記者は振り返る。
「痛ましくてひどくて、そして悲しく思ったよ」
米国では高校生以下に球数制限導入
彼の甲子園に関してのいくつかの記事を読むと、パサン記者の日本の高校野球における投手の投球過多についてはおおむね批判的だ。野茂英雄氏などの代理人として有名な団野村氏は安楽投手の件を「Abuse(虐待)」と辛辣(しんらつ)に批判したが、同記者は団氏のその言葉を記事内でも紹介している。
昨今のメジャーリーグを見ているとトミー・ジョン手術(肘の靭帯断裂に対する移植修復手術)が横行しているが、その反動か、高校生以下の試合では投球数制限が神経質なまでに導入されている。
日本でも投球過多が投手におよぼす悪影響を唱える医学関係者は多いが、こと甲子園ではそうした声は事実上無視される。パサン記者も自身の記事の中で「日本では(数多くの投球をしても大丈夫だという)科学的根拠を提示できていない」と述べている。
高校野球はゴールか、通過点か
そのパサン記者が、一部のアメリカ人「甲子園ファン」(日本の野球びいきと表現してもいいだろう)と安楽の件で、SNS上でちょっとした交戦をしたことがあった。
同記者が「安楽のようなメジャーに行けるかもしれない選手がこのような使われ方をされるのはおかしい」といった主旨の発言をすれば、それに対してアメリカ人ファンたちは、「甲子園球児たちはそこで野球人生が終わっても構わないと思うほどこの大会に賭けているのだから、他人がとやかく言う問題ではない」と返す。
日本の甲子園をめぐってアメリカ人同士が激論を交わすのも不思議な感じがしたが、結局、議論は平行線に終わった。
確かにパサン記者の見方は、安楽のような有望な投手が将来プロに行くという前提があるように思われる。
つまり、「高校時代は勝ち負けや栄光を追い求めるのもいいが、本来はあくまで育成世代である高校時代に力を磨いておけば、プロに行ったときに成功を収めて大金を稼ぐ可能性がある」という考えが土台にあると言えるかもしれない。
元PL学園の桑田真澄氏などは、どちらかと言えばこの考え方に同調している。同氏は、日米の野球に造詣の深い作家ロバート・ホワイティング氏との食事の場で、「自分は身体も大きくなかったから、高校時代は腕を密かに温存することに苦心していた」と語っている。
たとえば監督から200〜300球の投げ込みを命じられた場合(それが頻繁にある)、スキを見て体育館の陰で休むなどしていたという。
数々の熱戦が繰り広げられてきた甲子園は選手たちにとってゴールか、通過点か。(撮影:武山智史)
優秀な選手のための「トラベルボール」
野球の母国アメリカでの高校野球事情は、日本とはかなりかけ離れている。
アメリカでは季節によってプレーするスポーツが異なり、ひとりが複数の競技を行うことが珍しくないが、同国での高校野球は春の競技となっている。
そして特別優れた選手たちは「トラベルボール」といって、夏の期間にほかの場所の選手と一緒にチームを編成し、各地を回ってトーナメントなどに参加するそうだ。そういった大会はメジャーリーグや強豪大学のスカウトも集う機会となっている。
だがこれはこれで、アメリカでも問題視する人たちが近年はいる。その理由として挙げられるのが、以下の3点だ。
(1)トラベルボールは学校外のクラブチームに入って旅費や、もろもろの費用がかかるため、経済力が問われること。
(2)トラベルボールに参加する選手は上述した通り、良い大学や、あわよくばメジャーリーグ球団と契約するための自身のプロモーションの機会であると捉えるために、チームプレーをおざなりにしてしまうこと。
(3)それに関連して本来の春の学校でのチーム活動が形骸化されてしまうこと。
こういった負の影響が一部で指摘されている。
ホワイティング氏は甲子園球児たちを“チェリーブラッサムメンタリティ”──桜の花びらのようにたとえ、一瞬でも咲き乱れられれば良しとする精神──と表現するが、一方でアメリカの能力ある高校球児たちは、大学やメジャーリーグといった未来に咲き乱れることを念頭に置いてプレーしている。
その意味では、この両国は対極にあると言えるだろう。
トミー・ジョン手術は増加傾向
1点補足しておきたいのが、こうしたトラベルボールのような、本来の学校チーム以外での活動のせいもあり、通常なら春にしかプレーしなかった選手たちが夏の間まで、より長期間野球をするようになっていることも指摘される。
これによって投手たちの肩肘により負担がかかるようになり、それがメジャーリーグでのトミー・ジョン手術の増加の一因となっているのではないかとさえ言われている(それでも文字通り「1年中」プレーする日本の高校球児よりは、はるかに短い期間ではあるが)。
誤解のないように記しておくが、アメリカの野球ファンで日本の高校野球を知る人たちは、こちらが思うほど甲子園に嫌悪感を抱いてはいない(というのが筆者の印象だ)。
投手の起用法については総じてネガティブな意見を述べる人もいるが、その点を除けば、約1世紀の間続いてきたその歴史と高校球児たちが灼熱(しゃくねつ)のグラウンドで全身全霊を賭す姿は、多くの日本人と同様に、彼らにとっても「美しいもの」と映るようだ。
日米で20年以上野球取材を重ねてきたバイリンガルジャーナリストのブラッド・レフトン氏は、1990年代半ばに日本に在住し、甲子園の取材も行ったという。そのときの経験は彼にとって「自分の日本滞在のハイライト」だと語る。
松井秀喜の5連続敬遠は「仕方ない」
日本の育成世代のスポーツは、しばしば「勝利至上すぎる」と揶揄される。しかしパサン記者にしてもレフトン氏にしても、「勝負で勝ちにいくのは当然」とそこについては寛容だ。
レフトン氏は、星稜高校の松井秀喜が第74回(1992年)の夏の甲子園で、明徳義塾高校戦で5度敬遠された試合をよく覚えているそうだが、試合が3対2(明徳義塾が勝利)と接戦だったこともあり、彼自身はとりたてて怒りを覚るようなことはなかったという。
「チームがより勝利の可能性が高まると判断してルールの範囲内でそうしたのだから、仕方がない。僕にとってはそんなエピソードすらも甲子園の独特な歴史の一部だと思っているよ」
日本のスポーツシーンは欧米のそれに影響を受けることが多々あるが、しかし甲子園に限ってはどうか。今後、投手の起用法は変わっていくのか。やがてはアメリカのような高校野球システムが導入される可能性もあるのか。
そういった日本の外からの視点で甲子園を見ても面白いかもしれない。