偏差値75の渋谷幕張が体現する、「文武両道」の本当の意味

2015/7/30
野球漬けの高校に阪神・マートンが提言  
2014年、朝日新聞に掲載されたマット・マートン選手(阪神)のインタビュー記事が興味深かった。その記事には、マートン選手が学生時代のことに触れ、文武両道の大切さを訴えていた。
「ひとつのことに没頭する日本人は、野球の練習を8時間することもある。半面、人生において大切な教育がおろそかになってしまいませんか。スポーツだけを続け20代後半から30代でやめたら、どうやって生きていくのでしょうか。僕も野球を終えたあとの人生でやりたいことがたくさんある。少し残っている単位を取るためにまた大学に戻って勉強をしたい。残りの人生を豊かにしたいのです」
勉強とクラブ活動の両立。学生の本分が勉強であると鑑みれば、このようなことが取りざたされること自体、異常なのだが、日夜、野球ばかりしている学校がたくさんあるというのが高校野球における現状である。
東大に30人輩出し、野球で千葉ベスト16進出
その中で今回、焦点を当てたいのが千葉県にある渋谷教育学園幕張(渋幕)である。
毎年、東大合格者30人ほどを輩出している超進学校の渋幕は、2014年夏、激戦区の千葉県大会でベスト16に入り、今年春の大会でも2試合に勝ち、県大会に進出した。2015年の夏の大会は1回戦を突破したあと、2回戦でシード校の東京学館船橋に敗れたが、勉強とクラブ活動の両立を高い水準で実践しようとしている学校なのである。
まず、そんな渋幕の練習時間から見てほしい。 
 ※1週間の練習スケジュール
月曜 17:10~18:10 個人練習、18:10~19:20 全体練習
火曜 17:10~18:10 個人練習、18:10~19:20 全体練習
水曜 16:10~17:10 全体練習
木曜 休日
金曜 16:10~17:10 個人練習、17:10~19:10 全体練習
土曜 休日
日曜 1日練習 or 練習試合
日曜日こそ、学校から離れたところにある野球専用グラウンドを使用できるが、平日は他クラブと併用の学内にある全面人工芝グラウンドで活動している。学内での練習時間は2時間強。割り当ての制限があり、全面を使えるのはたったの1時間。20時には完全下校という学校のルールがある。テスト1週間前は、当然、練習禁止だ。
これだけの限られた時間・環境で、甲子園未出場とはいえ結果を出しているのだから、驚くほかない。
ちなみに、渋幕には強豪私学がうらやむような「逸材」が入部してくることはない。彼らに特筆したものがあるとすれば、進学校という勉強のハードルが高い中、それでも高校野球で甲子園を目指そうという志の持ち主である、ということくらいだろうか。
丹念にウォーミングアップを行う渋谷教育学園幕張高校野球部の選手たち。
「野球に飢えた状態で取り組むと力になる」
このチームをどのようなスタンスで指導しているのか。指導歴30年を超える沼誠司監督に尋ねた。
「うちの生徒は自分で勉強して渋谷幕張に入学し、野球部に入部してきました。そして、甲子園を目指すと言っています。彼らに言うのは、『お前たちは自分たちで二兎を得ようと選んだ。どちらかに比重を置いたらダメになる。勉強時間を確保し、県大会に出て甲子園を目指そう。二兎を追うのはお前たちにしかできないのだから』ということです」
「周囲からは、練習時間の短さをよく指摘されます。練習をしなくては、うまくなるわけないと。でも、そうじゃないんです。野球に飢えさせることが大事。長い時間の練習は、やらされた中でのものになってしまうでしょう」
「一方、短い時間の練習では制限がありますから、練習をやりたいという気持ちが向上し、短い時間の中でも濃い練習をやるようになります。野球に飢えた状態で取り組むと力になるのです」
指導者歴30年以上の沼誠司監督は、高校生たちの将来を考えながら文武両道を実現させる。
勉強での優秀さは、野球でも強みになる
グラウンドでの集中力が、ひと味もふた味も違うのだ。
限られた時間・環境であっても、自分らで課題を見つけ、そこにまい進していく。目標を立て、おのおのがその中でできることを明確にして進んでいくことができる。
普段、彼らが勉強を通して実践しているように、グラウンドでも集中力を高く保ち、目標を追いかけている。「彼らは勉強する中で集中力を持っていますから、それが強みであると思います」と沼監督。勉強で机に向かっているときと、練習でグラウンドに向かっているときの彼らの精神性は、同じ状態にあるということだ。
東大を目指す選手の高い意識
実際の選手たちは勉強とクラブ活動の両立にどのように取り組み、気持ちの切り替えを行っているのだろうか。数人に話を聞いてみることにした。
まずは、東京大学を目指しているという大江遼(はるか)君。普段の成績より模試の成績が良く、本番に強いタイプだ。
「ほかの学校とは違い、(チームとして)勉強と野球の両方をやっていこうと取り組んでいます。(私学の強豪校のように)野球だけに打ち込むのも、素晴らしいことだと思います。ただしプラスアルファとして勉強するのはレベルの高いことだけど、将来にとって大事なことだと思いますし、時間の使い方とか有意義な面がたくさんあります」
「野球をやっていると勉強の時間がなくなりますけど、その少ない時間を工夫することで、野球も勉強も短い時間で集中してできる。1日1時間でも積み重ねていくことが成功につながると、信じてやっています」
野球と勉強の両立を目指すことで、相乗効果があるという大江遼君。
短い時間で「集中」を使い分け
将来の夢は「外務省に入りたい」という控え投手の太田湧人君は、クラブと勉強の気持ちの切り替えを上手に行っている。
「野球の練習はグラウンドに入った瞬間から切り替えなくちゃいけないので、『よしやるぞ』という気持ちでグラウンドに入ります。勉強の場合は机に座ったときに、机の回りを整理してから教材を置いて取り組みます。僕は夜型なので、練習が終わって家に帰って、食事をして、21~24時の間で3時間くらい勉強をするようにしています」
グラウンドでの練習が17時すぎに始まって19時20分までだというから、おおよそ似たような時間幅だ。「渋幕生の悪いところで、長い時間があるとダラけてしまう。僕もその1人」と太田君は話したが、勉強もクラブ活動も、短い時間の中で集中的にやることが習慣づいているのだ。
つまり、その「集中」の掛け方をうまく使い分けることができるのが、勉強とクラブ活動を両立する彼らの強みと言える。
野球をやることで得る刺激
そんな彼らは、野球に多くの時間を割いている学校の選手たちをどう見ているのだろうか。続けて太田君に尋ねた。
「正直、野球というひとつの目標に努力しているところはカッコイイと思います。でも自分には目指しているものが2つあるので、両方ともやらなくちゃいけない。僕は中学生になる前までアメリカに住んでいたのですが、『9.11』を間近で見ました。それで政治に興味を持つようになり、特に外交に関心があります。野球は甲子園をテレビで見て、憧れて始めました」
「高校野球ができたことは幸せだったし、野球部に入って良かったなと思います。というのも野球部のみんなは外に目を向けている人が多くて、刺激を受けるんです。僕は帰国子女なのでみんなとはクラスが違うのですが、帰国生の多くはスポーツをやりません。もし勉強しかやっていなかったら、こういう機会に恵まれなかったと思います。だから両方やっていて良かったって、すごく感じます」
将来の目標をすでに定め、うまく自己管理する太田湧人君。
野球から生まれる意地と感謝
沼監督の話によれば、勉強とクラブ活動を両立させているからこそ生まれるものが、たくさんある。
「勉強だけしかやっていない子はあいさつができないし、人のことを考えません。『塾があるから掃除を代わってくれ』とか、平気で言っちゃうんです。勉強さえやっておけば、許されると思っている。野球では、そういうことを学べます」
「また野球部の子には、『野球をやっていたから勉強ができなかったとはなりたくない』という意地があります。『第1志望の大学に行くことが、野球をやらせてもらえた僕たちの恩返しだ』と、子どもたちから言葉として出てきます」
勉強での集中力が野球に生き、野球で学んだことを勉強に生かす。もっと言えば、人生に生かしていく。それが、いわゆる勉強とクラブの両立、文武両道の本当の意味と言えるのではないだろうか。
教員の責任は高校3年間の向こうにある
高校野球の現場を取材していると、こんな声を聞く。
「あいつは勉強しても、どうせできないから野球だけをやらせておけばいいんだ」
そんな声を聞いたことがある読者もいるのではないだろうか。指導者や親、いわゆる大人が勝手にそうした環境をつくり、子どもをそう仕向けている。そのような風潮は、高校野球から排除すべきだ。
沼監督は教育者としてのとるべき姿が教員にはあるはず、とこう説く。
「高校で彼らの人生は終わりではありませんから、野球だけを見た指導というのは、教育ではないと思います。僕ら教員は、彼らの将来を担っています。これから社会に巣立っていく子たちが、どういう職業に就くのかというところまで責任を負わなければいけない立場にあると思う」
「野球をやって甲子園に行ければ素晴らしいですけど、その全員がプロになれるわけではありません。そう考えたときに、もし野球しかやらせていなかったら、その後の人生の責任を取れない。申し訳ないですけど、野球の技術がこれからの人生にどれほど必要とされるのか。でも、学習は必ず必要になります。生きていくうえで、必要なものです。だとしたら、野球をやらせるとともに、社会に通用するだけの学習能力を養うことは教員としての務めだと思います」
渋幕生も、全国の球児たちの合言葉「一球入魂」を掲げる。
高校野球の「教育」とは何か
渋幕は、極端な例ではあると思う。
東大合格者を30人以上出し、野球部からも昨年の主将が現役で東大に合格している。この1年は県大会に進出しているからこういう取り上げ方になるが、彼らが取り組んでいることはそのレベルの高低に限らず、高校生が身に付けるべき当然のことであるはずだ。
「甲子園」という舞台には夢があり、感動や勇気を与える力を持っている。素晴らしい場所である。だから渋幕生のような、勉学のハードルが厳しい環境にある生徒であっても「目指したい」と夢見るのだろう。
しかし「甲子園」に固執するあまり、人生のバランスを失うことは決してあってはならない。マートン選手が言うように、競技だけが人生ではないのである。
高校野球は教育の一貫であるとうたうなら、今一度、「高校野球」の「教育」とは何か。渋幕の取り組みから見直すべきだ。
(取材・文:氏原英明、撮影:武山智史)
練習からフルスイングで、人生の道を開拓する渋幕野球部。