評論家ではなく、実践家であり続けるために──メディアに対する心構え
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評論家と実践家の二つがあるとすれば、コンサルタントはその間にいるべき存在と思っています。勿論実践するのはクライアントですが、単なる評論家ではダメで、実践家に寄り添い、意思決定における深い闇を理解した上でそれでも第三者としての意見を申し上げる。よくコンサルタントも「評論家が」と叩かれることがありますが、本当に信頼を得るにはそれではダメで、あくまで与党として自分ならどうするか、に答え続けることが仕事だと思ってやっています
「アナリスト」として「実践家」でありたいと思う自分なりに思うこと。
・現場を忘れちゃいけない。書かれている通り、言うは易し行うは難し。
・だからこそ、なぜやっている、なぜできないというところまで想像力を働かせることが重要
・人間は処理できる情報量に限りがある。だからこそ、実践家は実践しているからこそそこの情報が多い。デメリットもあり、客観視できないことがある
・だからこそ、そこがアナリスト・評論家の出番でもあり、客観的な疑問や提案をぶつけることが重要。だからこそ客観性や事実の積み上げから始まる(思想家は「未来のあるべき」でもよいと思うが…)
・実践家は、「結局やっていないでしょ」と思うことは簡単。一方で、客観性がある指摘に関しては活用するというのも重要だと思う。最後開き直り・ハラククリが重要なのは間違いないが、そのプロセスで指摘を聴くことは盲目的にならないためのツール
・そう思うからこそ、メディアは意見や批判もいいが、もっと事実をしっかり報道することが重要。また意見・批判を出すとしても、こういう側面もあるが、自分としてはこう思うというバランスの取れた表現をすることが建設的に機能するためには一層重要だと思っている(自戒も込めて)メディア当事者や情報発信をする人、全てに共通して心がけたいことが書かれているかと思います。対案を出しつつ誰も傷つけない悲しませない一方的な批判はしないよう、心掛けたですよね。(←ちなみに、私への批判は有難いことにヒントをくれるものが多く、多くを昇華させて頂いてますよん。)
そして、実践家と評論家。これは、全ての人が内包している要素ですよね。私は、独立して経営者としてマクロエコノミスト・コンサルタントとして活動させてただいてます。その中で思うのは、分析は評論で終わらせず対案、提案を出すことで評論家でなく実践家の要素も強くなると思います。そして、更に自らの時間・おカネというコストをとって自分でも行動を起こすことで、企業の飛躍のきっかけを手伝うことで実践家の要素が強くなるかなって。
評論で終わらせず、自らリスクを取り続ける経営者、実践家のお手伝いができる、実践家で歩んでいきたいと思います。