スライドストーリーで見る、甲子園が日本人を魅了する理由

2015/7/26
 感動、美談、汗と涙、奇跡のような大逆転劇……。今から100年前に始まった高校野球がかくも日本人の琴線に触れるのは、純粋無垢(むく)に白球を追いかける少年たちによる筋書きのないドラマに魅了されるからだ。  
だが一方、その裏側には大人たちによるさまざまな思惑がある。特集「100年目の高校野球を問う」の初回は、明治初期の野球伝来から甲子園が100周年を迎えようとしている現在までのスライドストーリー。
今後の議論・検討を深めるうえでも、いかに甲子園が日本人にとって大きな存在であるのか、本稿で改めて振り返りたい。
日本の夏は、「風物詩」と言われる甲子園を抜きに語ることができない。  
その伝統が息吹をあげたのは、1915年のことだった。京都の中学生が大阪朝日新聞社(現・朝日新聞社)に全国大会の企画案を持ち込み、それに賛同した同社と箕面有馬電気軌道(阪急電鉄の前身)がビジネス的なうまみを見いだしたという説が有力だ。
明治時代初期に伝えられた野球はアメリカ的スポーツ=娯楽としてではなく、武道の流れを持って解釈され、瞬く間に日本中に浸透していく。その定義を強く打ち出したのが、第1回全国中等学校優勝野球大会(全国高校野球選手権大会の前身)を主催した大阪朝日新聞社だった。
「本大会の試合は職業化せる米国野球の直訳野球ではなくて、武士道的精神を基調とする日本の野球」として意義付けられたのである(「全国中等学校優勝大会史」より)。
スライドストーリーで100年前に始まった高校野球のルーツをたどっていくと、なぜ甲子園で精神主義が過度に重んじられるのか、その理由を理解できたと思う。
だが当時から、時計の針が100年も進んでいることもまた事実だ。いつまでも甲子園に過度な精神主義を持ち込むのは時代錯誤である。登板過多を「熱投」「感動」とたたえるばかりではなく、身体への負担を科学的検知から検証する姿勢が必要ではないだろうか。
高校生たちが観る者の胸を揺さぶるような戦いを演じ続けているからこそ、聖地・甲子園でのドラマが毎年語り継がれていくことに疑いの余地はない。だからこそ選手たちがもっと満足いくプレーをできるように考え、その環境をつくっていくことが大人たちの責務のはずだ。
今回紹介した高校野球の歴史や背景、さまざまな価値を踏まえたうえで、特集「100年目の高校野球を問う」を読んでほしい。甲子園をさまざまな角度から検証するべく、功罪の観点から企画を考えた。
100年後の甲子園がより良いものになっているよう、ともに考えていきたい。
(企画・調査・文:中島大輔、構成・スライド:櫻田潤、撮影:武山智史)