100年目の議題。「甲子園はこのまま進んで良いのか」

2015/7/25

高校野球の社会現象化  

今、グーグルやヤフーなどで「100年」と検索すると、その上位10件以内に「高校野球100年」という言葉がヒットする。これはNHKが『高校野球100年のものがたり』という番組のページをつくっている影響もあるが、2015年に限って言うと「高校野球」と「100年」は人気キーワードだ。
高校野球は2015年、夏の大会「100年」を迎える。
1915年(大正4年)に夏の甲子園の前身「第1回全国中等学校優勝野球大会」がスタート、その歴史を積み重ねてきた。幾多の名勝負とスターたちに彩られた「100年」という歴史は本当に深いと思う。
その盛り上がりは、イチ競技の部活動の全国大会という枠を飛び越え、社会現象にもなっているというのが偽らざる事実ではないだろうか。

戦後復興期の希望に

そんな高校野球が日本国民に与えた影響は、計り知れない。戦後復興の中では、高校球児の姿に多くの国民が熱狂したのは間違いなかった。戦後の中等野球から高校野球への転換期に夏の大会を2連覇した小倉高校のエース・福嶋一雄さんが、以前にこんな話をしている。
「優勝して汽車に乗って小倉へ帰ったのですが、駅に着いたら、ファンの人たちが出迎えてくれて、身動きができないほどでした。えらいことをしたものだな、と。おそらく、暗い世相の中に、ぽっかり青空が見えたという感じなんでしょうね。われわれ以上に喜んでくれた」
「私自身が高校野球を盛り上げたとは思っておりません。野球というスポーツを通じて、皆さんが元気になられてね、それが良かったのかな、と。遊びのような気持ちで取り組んだスポーツ。いろんな意味で、体験をし、教わりました。今のように、高校野球が盛んじゃありませんでしたが、それでも、皆さんが見に来て、応援していただいて、そういう人たちに囲まれながら、好きなスポーツができたことは幸せだったと思います」

代表校は地域の灯り

小倉高校に代表されるように、ある地域にとってはその代表チームが灯りをともす存在となるのが、高校野球の素晴らしさだ。それは戦後復興にとどまらず、高校野球を通じてたくさんの希望が発信されてきたのだ。
1974年春には徳島の片田舎の池田高校がたった11人で出場し、甲子園を席巻した。また、瀬戸内海に浮かぶ小さな島から地元の久賀高校が1999年夏に出場を果たした際には、島から人がいなくなるということも起きた。
難病や不慮の事故によるケガを克服した選手のはつらつとしたプレーも、観る者の心を打った。義足の高校球児が主軸として活躍、交通事故による瀕死の状態からよみがえった球児が甲子園でタイムリーを放った。
厚生労働省指定の難病「ベーチェット病」を克服した柴田章吾(愛工大名電→元巨人)、オリックスのルーキー・山崎福也(日大三出身)は、脳腫瘍を乗り越え甲子園の土を踏んでいる。2010年春のセンバツ大会では準優勝に輝いた。
数々の名勝負が繰り広げられてきた夏の全国高校野球選手権大会。2015年は8月6日に開幕する。(写真:アフロスポーツ)

語り草の怪物、名勝負、涙……

多くのスターも生み出してきた。1939年には、海草中学の嶋清一が準決勝・決勝にて、連続ノーヒットノーランを達成。この偉業はいまだに破られていない。
1957年には早実の王貞治が登場し、1973年には怪物・江川卓(作新学院)が圧巻の投球を見せ、その剛球に多くのファンが魅了された。「バンビ」「ドカベン」「KK」「平成の怪物」「ハンカチ王子」。割愛して申し訳ないが、多くのスターが甲子園によって導き出されてきたのだった。
100年という高校野球の歴史には、名勝負あり、感動あり、スター誕生あり。その歴史を追っていくだけでもかなりの物語がつくれそうだし、「あの頃は良かったなぁ」と想い出話を語り尽くすことは、高校野球好きには至福の時間になるのかもしれない。
しかしNewsPicksは、そこだけにとどまらない。
この「100年」を機に、「高校野球」「甲子園」を改めて考えるキッカケにするべきではないかというのが今回の企画である。

松坂大輔の熱投は正しかったのか

灼熱(しゃくねつ)の中、150球の熱投をしたという見出しが躍れば、その驚愕(きょうがく)の事実に感動、いや、感動させられる。
しかし、果たして、その熱投は正しかったのか。選手たちのその後を検証したことがこれまでにあったのだろうか。
「平成の怪物」と呼ばれた松坂大輔は、30歳という野球選手として一番脂が乗っていくはずの頃に、右ひじに重大な故障を患った。彼が1998年の甲子園で成し遂げた春夏連覇、決勝戦でのノーヒットノーランは圧巻だったが、彼のあの大会での投球数が議論されたことはあっただろうか。

「球速表示が球児をダメにする」

また松坂の登場は、高校野球界に革命を起こしている。
それは「球速革命」だ。
松坂の登場以降、150キロを投げるピッチャーが当たり前のように出てくるようになったのだ。それからの高校野球を取り巻く風潮として、球速に敏感になった。
選手の育成が球速偏重に向かい、取り上げるメディアも、球速を投手の第一評価であるかのように報じた。NHKのテレビ中継、甲子園球場では球速表示が映し出され、「甲子園の球速表示が、高校球児をダメにしている」と訴える指導者もいたが、そんな少数意見はかき消され、今では地方球場でも球速表示を導入しているケースも少なくない。
では、甲子園最速のピッチャーはその後どうなっただろうか。宮崎出身で剛速球を投げた寺原隼人(ソフトバンク)はプロで伸び悩んでいるし、“甲子園”最速を記録した佐藤由規(ヤクルト)はプロデビュー後、度重なる怪我に見舞われ、今ももがいている。
2005年に左腕の甲子園最速(当時)をマークした辻内崇伸(元巨人)は、甲子園2回戦で当時の奪三振記録をマークしたが、プロ入り後、一軍での登板機会を得ることがないまま球界を後にしている。

連投は優勝投手の“宿命”

甲子園優勝投手に目を移してもいい。興南高校の島袋洋奨の話だ。大会の3回戦と準々決勝が連投になったが、チームの指揮官はこの試練を“宿命”と受け止め、エースに期待した。
「ピッチャーは連投になりますが、夏はそういうこともあると、その練習をしてきた。今日からの試合は、過去の甲子園の“怪物”たちに仲間入りできるかどうかのチャレンジ。それが始まるんです」
島袋は見事に連投を乗り越え、県勢初となる夏の全国制覇、さらに、春夏連覇を達成した。いわば、怪物の仲間入りを果たしたが、彼は大学入学後の不調から今も脱しきれていない。
それらの例を検証したことが過去にあっただろうか。野球経験者、指導者、プロ野球OB、ジャーナリスト、誰かが声を挙げて、行動に移したことがあっただろうか。

食事もトレーニングの一環

問題は投手の肉体面だけにとどまらない。
ある強豪の練習時間が朝練、夜間練習と長時間におよぶものだと聞くと、「甲子園で優勝するような強豪校はそれだけの練習をやっているんだ」と感心するだろう。
しかし、高校生が学生であることを鑑みれば、彼らの教育とのバランスはいったいどうなっているだろうか。アルファベットの小文字すらまともに書けない、高校球児がいるのだ。
また、昨今は「食育」なる食トレーニングが流行している。身体を大きくするため、2リットルタッパに白ご飯を敷き詰め、それを毎日食べることを義務化しているのだ。当人が欲しているか否かは関係ない。それがトレーニングだからだ。
それを実践しているある高校の監督は、選手たちに対して、こう諭しているのだと臆面もなく話したものだ。
「お前たち、普段のトレーニングは、やれと言ったら、監督の命令だから、歯を食いしばってでもやるよな? 食べるのも一緒だ。食べたくなくても、歯を食いしばってでも食べ切れ」
世界中には、食べたいのに食べることができずに餓死しているという人間がいるこのご時世で、「甲子園に行くために」を合言葉に、無理に食を強制する。これが教育者のとる姿勢だろうか。

感動の裏にあるものを問い直そう

これまでの幾多の名勝負、感動、希望を与えた球児たちの姿、生み出されたヒーローたち。高校野球のこの100年の歴史に異論はない。
しかし、次なる100年を迎える前に、一度、問いただしてみてはどうか。
本当に高校野球はこのまま進んで良いのだろうか。
この予告編だけですべてを決めないでほしい。単なる批判じゃないか、悪口じゃないか、高校野球にケチをつけるのか。そう思わないでほしい。
これから始まる9イニングにおよぶ特集を読み終えてから、感想をいただきたいと思う。
物事に完璧なものなどありやしない。
何事にも表と裏があり、陽と陰、善と悪がある。そして、是と非の両面があるのだ。
「高校野球の100年」を問う──。