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最終回:川上量生×宮崎吾朗対談「コンテンツづくりにおける天才とは?」

吾朗監督は厳しかった。ボツになった川上量生企画とは

2015/7/20
ドワンゴの会長として「ニコニコ動画」を成功に導いた川上量生氏。アニメーション監督として、『ゲド戦記』『コクリコ坂から』を生み出し、『山賊の娘ローニャ』でTVシリーズ初監督を務めた宮崎吾朗氏。2人のクリエーターが、代官山蔦屋で開いたイベントで、「コンテンツづくりにおける天才とはいったい何か?」について語り尽くした。その内容を全5回・5日連続で紹介する。

74歳の宮崎駿がチャレンジし続ける理由

川上:いや、CGとかすごいですよね(笑)だってもう、70……いくつですか?

宮崎:73? だと思うんですけれどね(注:実際には講演時点で74歳)。「吾朗、これどうやってやるんだ?」みたいな。

(一同、笑)

川上:吾朗さんがいるから、「やり方を聞ける」と思ったんですかね。それとも、「吾朗、そんなんじゃダメだ」「俺のほうがうまく使ってやる」っていう気持ちなのか。

宮崎:「あいつができるんだったら、俺だってできる」ってやつですね。

川上:そういう感じですか(笑)。

宮崎:そうじゃないですかね。あとは、つくる側の人間として、「新しいことをやりたい」という気持ちは70歳過ぎても絶えないわけですよ。

数十年付き合ったスタッフとやると、おたがいを知り尽くしているわけだから、「このアニメーターに頼めば、こういう映画になる」だとか、やる前からわかっちゃうわけですよ。

だから、新しい感じでやってみたいとなると、「じゃあCGかな」って。

川上:吾朗さん、手伝うんですか?

宮崎:え?

川上:手伝うんですか?

宮崎:嫌ですよ。

(一同、笑)

宮崎:だって、絶対ジブリ美術館と同じようなことになるわけですよ。「なんでだ!」って言ってるのを、「こっちはこういうふうに言ってるから、ここはこうしようよ」とか言って、僕が調整して。

川上:まあ、でも吾朗さん…。

宮崎:あいだに立つの、大変なんです。

(一同、笑)

川上:まあそれに、人生全体でそういうところがありますけれど、親子でつくると、成功したら宮崎駿監督の手柄になって、失敗したら吾朗さんの責任ですよね。

宮崎:そう。だから絶対、近寄らない。

(一同、笑)

宮崎:いや、でも、宮崎駿も、すごく面白そうなものを考えていますよ。

宮崎 吾朗(みやざき ごろう) 1967年生まれ。日本のランドスケープアーキテクト、映画監督。公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団理事。父はアニメーション作家、映画監督の宮崎駿。版画家の宮崎敬介は弟。ムゼオ・ダルテ・ジブリ代表取締役、三鷹市立アニメーション美術館館長、マンマユート団社長などを歴任した。

宮崎 吾朗(みやざき ごろう)
1967年生まれ。日本のランドスケープアーキテクト、映画監督。公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団理事。父はアニメーション作家、映画監督の宮崎駿。版画家の宮崎敬介は弟。ムゼオ・ダルテ・ジブリ代表取締役、三鷹市立アニメーション美術館館長、マンマユート団社長などを歴任した。

ボツにされた川上量生の企画とは?

川上:吾朗さんの次回作は?

宮崎:何がいいですかね。

川上:実は、吾朗さんが、次の作品はプロデューサーである僕の企画でつくるっていうふうなことを『ローニャ』が終わったあとに言ってくれたんですよ。だから、僕もけっこういろいろアイデアを出しましたけれど、すべてはねられてますね。(笑)

宮崎:川上さんが「個人的にこういうのが見たい」って言ってくれたほうが、僕も「なるほど」って考えるかもしれないんですよ。

川上:だって、僕、あれ見たかったですよ。

宮崎:ええ?

川上:僕が一番吾朗さんにつくってほしかったのは、『ダンジョン飯』だったんですよ。

宮崎:ああ。

川上:皆さん、知ってます? 『ダンジョン飯』っていうのは、今ヒットしつつある漫画なんですけれど。

ダンジョン(迷宮)の中でおなかが空いた冒険者たちが、化け物をおいしそうに料理するっていうグルメ漫画なんですよね。

「ジブリ飯」っていう言葉があるぐらい、ジブリの映画ではおいしそうなご飯が出てくる、っていうのは有名じゃないですか。だから、ジブリ飯を3DCGで再現。しかも料理の素材はモンスター、っていうのが面白いんじゃないかと。

原作にないエピソードもつけていいじゃないですか。僕は、ダンゴムシに似ていて、怒ると目が赤くなるような虫が料理されているところとかが見てみたかったんです。

「絶対、吾朗さんがやるべきですよ」って言ったんですけれどね。ちょっとだけつくる気になってましたよね。1週間ぐらいだけ(笑)。

宮崎:1週間ぐらいなってました。

川上:なってましたよね。(笑)

宮崎:一応ね、CGスタッフにも、「お箸を使って、ご飯食べる動きとかできる?」とか、「料理番組みたいなのってできる?」とか、いろいろ聞いてみたりしたんですけれど。

川上:そうですよね。でも、最終的に、すごい長い説明をくれて。

「そもそも僕はRPGとかやったことがない、なぜダンジョンの中を冒険者がずっと歩き回って、化け物を退治しているのかっていう、そのシチュエーション自体が理解できない」とか言い始めて。

(一同、笑)

川上量生(かわかみ・のぶお) 1968年生まれ。KADOKAWA・DWANGO / ドワンゴ 会長。京都大学工学部を卒業後、コンピュータ・ソフトウェア専門商社を経て、97年にドワンゴを設立。携帯ゲームや着メロのサービスを次々とヒットさせたほか、2006年に子会社のニワンゴで『ニコニコ動画』をスタートさせる。11年よりスタジオジブリに見習いとして入社し、鈴木敏夫氏のもとで修行したことも話題となった。13年1月より、ドワンゴのCTOも兼任。

川上量生(かわかみ・のぶお)
1968年生まれ。KADOKAWA・DWANGO / ドワンゴ 会長。京都大学工学部を卒業後、コンピュータ・ソフトウェア専門商社を経て、1997年にドワンゴを設立。携帯ゲームや着メロのサービスを次々とヒットさせたほか、2006年に子会社のニワンゴで『ニコニコ動画』をスタートさせる。2011年よりスタジオジブリに見習いとして入社し、鈴木敏夫氏のもとで修行したことも話題となった。2013年1月より、ドワンゴのCTOも兼任。

宮崎吾朗の次回作は?

宮崎:その次に出してくれた企画が、『高崎山のベンツ』ってやつですよね。大分のほうに高崎山っていうのがあって、サルの群れが住んでいるんです。その高崎山の伝説のボスザルがベンツって名前なんですけど、ベンツのアニメをやろうって言われて。

川上:(笑)

宮崎:僕は、「でも、だって、サルでしょ?」って。

川上:見たくないですか、皆さん? いや、ベンツの話はめちゃくちゃ面白いんですよ。

宮崎:お話の内容は、要するに、任侠ものなんです。

(一同、笑)

川上:完全にそうですね。

宮崎:サルの任侠ものって、いったい誰が見てくれるんだろう。

(一同、笑)

川上:見たくないですか? だって、ほぼ実話ですよ、これ。

宮崎:これはちょっと、ベンツの死後にね、着ぐるみでやるとか。

川上:こんな感じで、ベンツ案もボツにされたんですよね。(笑)

吾朗さんは、あくまでも普通にはとおらないような企画をやりたがりますし、僕自身もそれには絶対賛成なんです。ただ、僕は僕なりにほかの人がやらないような企画を出しているつもりなんですけれど、なかなか採用してくれないんですよね。

宮崎:もう一捻(ひね)りほしいです。

(一同、笑)

川上:ちなみに、吾朗さんが「それはいいんじゃないか」みたいなことを言ってくれている企画が、1個だけ残ってます。それもどうも、もともと吾朗さんが好きだったことをやる言い訳を僕が与えているだけなんじゃないか、って気がしてきてるのですが。

宮崎:いやいや。その企画は、最近読んだ50年代の小説に影響受けて、「いいな」って思いました。今、こういうのをやるのも意外に面白いかも、って。

川上:ということで、皆さん、吾朗さんと僕の次回作にご期待ください。

(終わり)

(構成:ケイヒル・エミ)