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【第4回】大舞台で勝つためのメンタル術

五輪メダリストも実践する「ゾーン」の入り方

2015/7/17

主観と客観、どちらで物事を見ますか

世界を舞台に戦うトップアスリートにとって、運動能力はもちろん、不可欠なのが強いメンタルだ。いくら実力を備えていても、本番で発揮できなければ勝利することはできない。

メンタルを鍛えるうえで重要になるのが、「主観、客観という2つのものの見方を身につける」ことだ。これができるようになれば、脳と体が活性化したハイパフォーマンス状態=「ゾーン」に意図的に入ることも可能になる。

本題に入る前に、クイズをひとつ出題したい。自分自身が物事の見方として、主観、客観のどちらで行う傾向にあるのか、把握することが目的だ。

では、問題。

「自分自身がスマホを寝転びながら見ているとして、その映像を頭の中で想像してみてください。次のAとBの写真のうち、どちらのシーンが頭に浮かびましたか?」

よく考えるのではなく、直感的に浮かんだイメージを答えてほしい。

A:スマホの画面を眺めるイメージ

A:スマホの画面を眺めるイメージ

B:自分自身がスマホを見る状態を俯瞰しているイメージ

B:自分自身がスマホを見る状態を俯瞰しているイメージ

(解答は後ほど)

メンタルを鍛える理論、方法がある

これは6月4日、公益社団法人日本フェンシング協会のA・B代表、JOCエリートアカデミー生たちを対象に行われたメンタル講習会で、実際に出題された問題だ。

中世の騎士による剣術から始まったフェンシングでは、とりわけ精神面の強化が必要になる。身体能力だけでなく、緻密な戦略や駆け引き、相手の動きを先読みする洞察力が求められ、「闘うチェス」「動くチェス」と呼ばれるほど頭脳を使うスポーツであるからだ。

そんな選手たちに講習会を行った国際メンタルコーチング協会の太田祐也代表、安宮仁美理事は、目的をこう話した。

「メンタルはフィジカルや技術と同じように、理論と習得方法があり、鍛えることができます。自己のパフォーマンスを発揮するために、短期間でも結果が出やすいメンタル技術を習得していただきます」

講習会が始まると、選手たちは「主観体験・客観体験~2つのものの見方を身につける」ことの重要性から学んでいった。そこで出されたのが冒頭のクイズだった。

答えを先に言うと、A=主観、B=客観だ。

主観体験とは自分の思いが強く、夢中になって、心と体がひとつになっている状態を言う。このモードでいると感情を強く体験でき、そのときの感覚や感情を再現しやすい。

一方で客観体験とは、客観的に、他人事のように物事を捉えている状態のことだ。心と体が離れ、感情的にならず、冷静に対処できる。

匂いまで想像できればイメトレ上級者

人間の脳は、自動的に主観視と客観視を選んでいる。過去の出来事については客観的に見るケースが多く、直近のことを振り返る場合は主観的な見方になる傾向が強い。主観体験では、自分と物事を強く結び付けようとする。

イメージトレーニングを行ううえでポイントになるのは、主観的に自分を思い浮かべることだ。それはアスリートだけではなく、重要なプレゼンや商談を前にしたビジネスパーソンにも同じことが言える。

頭に思い浮かべるべきイメージは、本番の場に立ったらどんな音が聞こえてきて、自分はどう振る舞い、それによってどういう手応えを得るだろうか。自身がそのシーンに入り込んでいるようなイメージを持つことができれば、このトレーニングは効果度が高まる。

匂いまで想像できる人は、イメトレの上級者と言える。音や匂いを想像することで臨場感や自分の感覚が鮮明になり、イメージが現実に近づいていくのだ。

状況によってはもちろん、自分を客観視しなければいけない場面もある。それゆえポイントになるのは、主観&客観という2つの見方を身につけることだ。

自分自身を上手にコントロールすることができれば、調子が良くないときでもいち早く、的確に修正していいイメージで試合に臨むことができる。つまり、セルフコーチングをできるようになるのだ。

ゾーン=極限の集中状態

講習では続いて、ハイパフォーマンス状態=「ゾーン」に入るためのトレーニングが行われた。北京・ロンドン2大会連続銀メダリストの太田雄貴は、ゾーンに入ったことがあるという。

「自分の期待値を超えたところ、それがゾーンだと思います。最近はなかなか入れませんが、経験したことはあります。(具体的に言うと)試合の場にいるのは相手と自分だけという感覚。場内の声援も聞こえません。相手の動きがゆっくり見えたわけではないですが、相手の動きと自分のイメージが完全にシンクロしていました」

メンタルの定義で「ゾーン」を説明すると、見え方や聞こえ方、時間の感じ方が変わり、心と体が完全に一体化し、五感が高まり、勝つために関係のない情報をそぎ落とし、目の前の相手にだけ集中している状態だ。

フェンシングで北京、ロンドンとオリンピック2大会連続でメダル獲得中の太田雄貴

フェンシングで北京、ロンドンとオリンピック2大会連続でメダル獲得中の太田雄貴

実践「アルファベットゲーム」

選手たちはゾーン=ハイパフォーマンス状態をつくり出すため、視覚・聴覚・体感覚・言語中枢を同時に活性化させる「アルファベットゲーム」を体験した。

ルールは簡単。アルファベットのA~Yの下に「R」「L」「T」と書かれたプリント(下記写真参照)を見ながら、順番に「A・B・C・D……」と声を出し、それぞれのアルファベットの下に「R」とあれば右手、「L」とあれば左手、「T」とあれば両手を上げていく。ポイントは間違えることを恐れず、リズミカルに行うことだ。

アルファベットゲームが説明されたホワイトボード

アルファベットゲームが説明されたホワイトボード

ある程度スムーズにできるようになったら、逆から「Y・X・W・V……」と行っていく。さらにレベルアップしたら、右手を上げるときには左足を、左手を上げるときには右足を上げ、両手を上げるときにはジャンプをする。意外と難しいので、やってみてほしい。

ゲーム実践後、ゾーン状態に

講師から指名され、選手たちの前でデモンストレーションを行った太田は、さすがトップアスリートだと感じさせられた。テンポ良く行い、どんどんレベルアップしていく。最後は、講師が指定するままに両手・両足を使って5回ほど連続して行い、ちょっと息を弾ませながらも「無心になれた」と笑っていた。

同じ要領で10分間ほど行った選手たちの感想は、「気持ちが明るくなった」「不安とかが吹き飛んだ」「自信がついたかも」「頭がスッキリした」「体が勝手に動くようになった」「モヤモヤが晴れた」「視野が広がったような気がする」「無我の状態」など、どれもポジティブなものばかりだった。まさに、ゾーンに近いハイパフォーマンス状態だ。

アルファベットゲームを行いながら、いきいきとした表情になっていく選手たち

アルファベットゲームを行いながら、いきいきとした表情になっていく選手たち

ゾーンを引き出す「アンカリング」

では、そうしたゾーン状態を引き出すにはどうしたらいいか。必要となるのが、アンカリングである。

アンカリングとは、特定の刺激が引き金となって、過去のある時点で起こった感情や体の反応が再現される(よみがえる)ことだ。簡単に言えば、いい状態に入るためのスイッチと言える。

条件反射で有名な「パブロフの犬」は、ベルを鳴らしてからエサを与えることを繰り返した結果、ベルの音を聞いただけで唾液を出すようになった。あるいは、懐かしい曲を聴くたびに、その曲がはやっていた頃を思い出すことだが、アンカリングはこれ似ている。

6段階で実践

具体的には、次のような手順で行う。

(1)引き出したいポジティブな状態(成功事例、自信、勇気、安堵〈あんど〉感、落ち着いた感覚など)を選び、その状態を経験した特定の過去の時点を思い出す。

(2)さらに、主観体験でその状況を思い出す。自分自身の目で見て、耳で聞いて、自分の体で十分に感じた後、その経験について考えることを止めてブレークステート(気持ちを切り替え、ニュートラルな状態に戻る)する。

(3)アンカーポイントを選ぶ。アンカーポイントとは、試合中でも触れる場所やできるポーズ。ただし、普段は自分や他人が触れない場所、できないポーズ。たとえば、剣のガードに逆の手を置く、指で輪をつくる、などだ。

(4)ポジティブな経験を再度思い出す。その状態が完全に再現される直前、アンカーポイントとして選んだ場所に触る、あるいはポーズをとる。数秒間、アンカーポイントを触るかポーズをとり続けた後、経験について考えることを止めて、体をブレークステートする。

(5)手順4を繰り返し、ポジティブな経験の動き、明るさ、音、色などを強調して、その状態を強化する。

(6)経験を思い出そうとせず、頭を空にした状態で、アンカーポイントに触るかポーズをとり、アンカリングされたかどうかテストする。ポジティブな状態が意識的に努力しないでも再現されるようになるまで、手順4、5を繰り返す。

ビジネスパーソンにも「ゾーン」は役立つ

アルファベットゲームはそつなくできた選手たちも、すぐにアンカリングを自分で起動させ、ゾーン状態に入るのは難しいようだ。それでも、上記の手順を何度も繰り返せば、必ずやアンカリングが得意になると講師は断言した。

偶発的ではなく、試合中必要なときに自らの意思でゾーンに入ることができたら、試合展開は大きく変わってくるだろう。自分の力を100%発揮できるのはもちろん、メンタル面が勝敗を大きく左右するフェンシングでは、戦略・戦術そのものが変わってくる。

極限状態で戦うアスリートが実践するこれらの方法を、ビジネスパーソンもやってみてはいかがだろうか。プレッシャーの中で戦うアスリートのためのメンタル操縦術は、ビジネスシーンでも大いに役立つはずである。

(取材・文:宮崎俊哉、撮影:是枝右恭)  
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<連載「金メダリストの創り方」概要>
4年に1度行われるオリンピックは、スポーツ界で最も過酷な大会の一つだ。国中の期待を背負う重圧は壮絶極まりなく、目の前の相手はもちろん、自分との戦いに勝って初めて金メダルを獲得することができる。選ばれし者の舞台に立つまでにアスリートは自身をいかに鍛え、また各競技団体はどうやって世界一になれる選手を創り上げているのか。隔週金曜日にリポートする。