【証言】日本の教育は、一体何が「ヤバい」のか
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注目のコメント
正直、胸が締め付けられる思いがしました。日本の教育の良さと課題が、海外の視点を通して鮮明に浮かび上がっていて、私自身の教育観を深く揺さぶられました。特に、山崎さんが日本の教育から得た「責任感」や「チームワーク」の価値を認めつつ、その極端さへの懸念も示している点に共感します。マジカルパスでも、日本の教育の良さを活かしながら、どう新しい時代に適応していくか、日々悩んでいます。この記事は、私たちが目指すべき教育の方向性を改めて考えさせてくれました。伝統と革新のバランス、個性と協調性の両立...。簡単な答えはありませんが、子どもたちのために、私たちも常に自問自答し、挑戦し続けなければならないと、強く感じています。
全校生徒が、体育館の隅から隅まで1カ月かけて長大なドミノを並べる、完成して倒れていく瞬間には涙を流して歓喜する。
テレビなどでも賞賛される。
何の生産性もないといえばないし、世界の大部分の人間にとっては、異様な光景だし、無駄で愚かとしか見なさない人も多いでしょう。
組体操の練習に何か月もかける、というのも同様ですが、これに最も近い国民は、北朝鮮人でしょう。
こういうことを集団で、何の疑問も持たずに継続的にできる、というのが日本人の経済的強みです。
富国強兵ということで農村の女の子を製糸工場に連れてきてひたすら働いてもらうのにも非常に有効であったし、
クライアントにいわれるままに、連日パソコンの前に座ってデスマーチといわれるような作業をするのにも有効です。
203高地に突撃しろとか、集団で苛酷な戦闘を補給もなく何か月もやらされる、という時こそ、この日本人の特性は最も効果を発揮します。
批判的思考などハナから求められていないし、そういう人間は集団内で憎悪の対象になります。
疑問を持つ人間がいれば、陰険執拗なイジメで死に追い込んででも排除します。
しかし、この集団は、強いです。
アジア、アフリカなどの大部分の人間は、給料に見合わない仕事量だと思ったらすぐにやめて他の仕事を探すし、勝てる見込みもない戦いで突撃しろといわれれば、逃げるなり、仲間たちと語らって反乱を起こします。
製造業であれ、戦争であれ、何なら研究であっても、この集団は世界の大部分の国民よりも強いです。
この日本人の特性は、絶滅するまで無くなることはないでしょう。
日本社会とは別の教育や社会が世界にはある、というのはその通りだし、別の教育の方がいい、という考えもあってしかるべきでしょう。
ただし、日本人の特性は変わることはないので、日本で生きていくのであれば、日本の教育で日本人化されていないと淘汰されます。
別の教育を受けて別の社会で生きたいのであれば、日本人はやめて、別の国籍を取って、日本には観光で遊びに行く程度の関係になる、と覚悟を決めた方がいいです。最近、英語圏のソーシャル上で「欧米が失ったものが日本にある」と日本の規律やマナーを、褒めそやす投稿をよく見るようになりました。何らかの羨望の対象として見られることは、喜ばしいことです。
ただ、その「良さ」と、この記事でも言及されている「極端」な事象というのは、まさに表裏一体である、というのは私も日本の外にいて何度も痛感させられることです。ただ、日本にしかないいくつもの良さも、その裏側にある極端さも、一度外に行ったら余計見えてくる、というのも事実かもしれません。