「奉仕型マネジメント」は決断力のないリーダーの逃げ道か
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君主は愛されるより、恐れられよ。
マキャベリの「君主論」の有名な言葉ですが、この場合の「恐れ」はもちろんホラー的な恐怖ではなく「畏怖」。「親しみやすい存在であるよりも、畏敬の念を抱かせる存在であれ」といった意味合いです。
ですがこれが難しい。「畏怖される存在」は本質的に孤独であるからです。ですから、乱世の英雄のようなとんでもない資質を持つ人物でない限り、そんな孤独には耐えられないので、ふつうは愛されたい。
「愛され上司」を目指す人が少なくない(ように思える)のも無理はない話です。
ただ面倒くさいのは、愛されたいのならそれに徹してほしい。中には「愛されたいが、それだけだとナメられた感じがするので、どこかで恐れられもしたい」というタイプの人もいて、これが非常にややこしい。
自分は愛され上司で行くのか、孤独であっても畏怖される存在でありたいのか。「悪いけど自分で決めておいてください」と思うところです。
歴史というものはありがたいもので、私たちに「典型」を残してくれている。「あの人はまるでチェーザレ・ボルジアみたいだ!」といえるだけの数々の人物像を残してくれています。
このシリーズでは現代の上司を、過去の典型を引き合いに出して、自分なりに語って行きたいと思います。ゼークト上級者大将
優秀怠惰 指揮官・・・決める責任を負う
優秀勤勉 参謀・・・・副司令官 情報処理など行い
無能怠惰 兵隊だが現代はクビになる
無能勤勉 処刑・・・・こんなに頑張ったのに上が認めないのは君が無能だから。
中小企業では指揮官と参謀を兼任するのが定石、仕事は人一倍出来て当たり前、
部下のサポートもやるから給料がいい。
これが老舗大手大企業だと
無能怠惰が指揮官をやってしまう、仕事しない部下のサポートもしない、出来ない、酒飲ませればコミュニケーションがとれてると勘違い、解雇規制緩和が最適解である。