第8週:決意する男女(1)~(6)ダイジェスト
2015/7/5
博通社内のダイニングカフェで、恵理香はぼんやりしていた。三連休の間、健吾は片時も離してくれず、身も心も満たされている。
健吾は自分をモテ遊んでいるのだろうか。恵理香はそれでもかまわなかった。
「斉藤さん」
ソニップ電機のオフィスで机に突っ伏して寝ていた優司は、綾の声で起こされた。
「新宿のヤドック電気の応援販売に行ってもらえますか」
家電量販店の大手で、新宿は激戦区である。
「何で俺が?」
「ユーザーの生の声を聞いて、何が不満で、他社の何が競争力になっているかをリサーチしてきてください」
優司は売り場マネージャーを訪ねた。渡された法被をしぶしぶ着て、デジタルカメラの売り場に立つ。
だが自社の製品に誘導し、他社の製品をけなして、お客様を逃してしまう。
販売マネージャーが飛んでくる。
「接客はもういいですから、表でティッシュを配ってもらえますか」
「リニューアルオープン記念セールを開催中でーす!」
若いニイチャンが、呼び込みをしながら道行く人にティッシュを手渡している。
優司も同じように差し出すが、受け取ってもらえない。
「リニューアルオープンき、記念……」
「噛んでるじゃないすか。声を張ってください。顔、死んでますよ。何かあったんですか。女っすか」
ニイチャンがクスクス笑う。
優司はウサギの着ぐるみを着てティッシュを配った。
「君は何でこのバイトをやってるんだ?」
「会社辞めたんで、つなぎですよ。起業したいんです。毛利健吾、知ってます? 超カッコよくて憧れてるんです」
青山のホールは満席で、通路に立ち見客があふれている。
「世界を変える起業家10人が語る未来のかたち」
檀上のスクリーンを、恵理香は主催者席から晴れがましい気持ちで眺めた。
「盛況だね」
「テックNEWS」編集長の竹井が隣に座る。
健吾がステージの中央に立った。
「今、自動車産業は100年に一度の転換期にあります。自分で未来をつくり、世界を変えるチャンスが転がってるんですよ。挑戦しないのはもったいない」
恵理香は高揚していた。観客が魅了されている男は、自分と特別な関係なのだ。
「質疑応答の時間です」
「毛利さんにお聞きしたいのですが」
恵理香はハッとして声の主を見た。優司がマイクを握っている。
「大日本自動車でデザイナーとエンジニアをされてたんですよね?」
「はい」
「チーフデザイナーとして手がけたというのは、軽自動車の『ブート』のことですよね? 1年半で消滅して同社の販売台数ワースト3に入っているそうですが、原因は何だと思われますか」
「いやー、何でだろ? それ、俺も知りたい」
恵理香はスタッフにマイクを取り上げるように指示する。
「毛利さんの大ボラに前途ある若者が感化されて露頭に迷っても、責任取りませんよね?」
「失礼ですが、どちらにお勤めですか」
健吾が聞くと、優司はひるんだ。
「……大手電機メーカーです」
「あなたは会社を辞めないほうがいい。起業には向いてなさそうだから」
「バカな挑戦はしないんです」
「でも楽しいですよ」
「資金調達、相当厳しいんじゃないですか。女にも『未来をつくる』とか『世界を変える』とか言って口説きまくってんだろう!」
「俺はいつだって本気ですよ。好きな仕事をして、好きな女と一緒にいたい。シンプルにそれだけです」
健吾は悠然と答え、恵理香をまっすぐに見つめた。
「この野郎!」
檀上に駆け上がろうとする優司を、スタッフが取り押さえ、会場から引きずり出した。
恵理香は席に戻った。震えが止まらず、両手をぎゅっと握る。
「あの乱入者、知り合い?」
竹井が尋ねた。
「知りません」
「まだ保守的なやつもいるんだね。ここに来てる若者が特殊なのかな? 大企業とスタートアップ、勝負はこれからなんだろう」
失敗してもいい。あの人を信じよう。ずっと一緒に歩いていきたいと恵理香は思った。
ふと疑問がよぎる。自分の足で檀上に上がることはないのか……。
とにかく今夜、健吾と会ってから考えようと、恵理香は席を立った。
*連続小説「ディスラプション」第1章を終了します。第2章に向けた取材・執筆活動に専念するため、しばらくお休みします。
(イラスト:永井結子)
<連続小説「ディスラプション」概要>
大手家電メーカー勤務の「大企業男」、電気自動車を開発する「スタートアップ男」、2人の間で揺れ動く大手広告代理店勤務の女性──。それぞれの視点を通して3人の野望と挫折を描き、安定か夢か、男の価値とは何かを問う。