アジア2位のエリート16歳、「物語のある戦い」で東京五輪優勝へ

2015/7/3

フェンシングは五輪で2大会連続メダル

北京五輪で太田雄貴が銀メダル、ロンドン五輪でも男子団体が銀メダルを獲得。
注目を集め、マイナー競技からテイクオフ中のフェンシングで、「2020年東京オリンピックの星」として期待が高まる江村美咲(16)は、「来年のリオに出場します。メダルにはまだ届かないでしょうが、オリンピックという舞台を体験して、東京で金メダルを獲ります」と宣言する。
父・宏二はソウル五輪出場、北京五輪日本代表監督を務めた。母・孝枝も世界選手権で活躍したことがあるというフェンシング一家に生まれた江村は、自然と剣を握り、9歳になると父が指導する地元のクラブで本格的にフェンシングを始めた。
父のモットーは「自ら取り組み、自ら学ぶ」。遊び半分、チャンバラ気分の子どももいたが、やる気になった子には徹底的に教え、全国大会優勝者を何人も育て上げた。

フェンシングには3種目存在

そんな環境で週5日、夕方1時間半ほどの練習を続けた江村も順調に力を伸ばしていた。そして小学5年生のとき、父のJOCナショナルコーチ就任に伴い家族そろって東京へ引っ越すと、JISS(国立スポーツ科学センター)で練習するようになる。さらに中学入学前、一大決心をした。種目変更である。
フェンシングには3つの種目がある。先に腕を伸ばし剣先を相手に向けたほうに攻撃権が生じ、突きのみで相手の胴体だけを攻撃する「フルーレ」。全身すべてが有効面で、先に突いたほうにポイントが入る「エペ」。フルーレと同じく攻撃権に基づくが、突きのほかに斬りもあり、上半身が有効面の「サーブル」。
世界的には最もシンプルなエペの競技人口が多いが、日本ではフルーレが一番普及しており、太田らの活躍によってさらに知られるようになった。

「斬る」快感で種目変更

江村の両親はフルーレの選手。当然、娘もフルーレ一筋だったが、大会景品のパズル欲しさに1日だけ練習してサーブルの大会に出場。見事、優勝を遂げると転向した。
「展開がスピーディーで面白いし、“斬る”というのが快感でした」
江村はそう話すが、両親とは違う種目に変えることで自立しようという考えはなかったのか。彼女はそれについては答えなかった。
中学生になりJISSでサーブルの練習を始めると、同級生のJOCエリートアカデミー生と一緒になった。2014年仁川アジア競技大会で、ともにサーブル代表となった向江彩伽、高嶋理沙らだ。
「彼女たちと練習していて、ずっと感じていたんです。同じ歳なのに、親元を離れて寮生活をしている彼女たちと比べ、自分はまだまだ甘い」
15歳の春、江村は再び自らの人生を大きく切り開いた。エリートアカデミーへ入校、同時に「時間がない」と土曜日のみ通学する通信制高校へ進学した。
江村美咲(えむら・みさき)
1998年生まれ。フェンシングのエリート一家に生まれ、小学4年生で自らも競技を開始。中学1年生のとき、フルーレからサーブルに転向した。2014年世界ジュニア選手権カデの部で3位に輝くと、同年のアジア選手権では準優勝を飾っている。2015年の同大会では3位。2014-2015年シーズンの世界ランキングは34位。現在は大原学園高校の通信制で学びながら、JOCエリートアカデミーで練習を重ねている。優秀な若手が多い日本フェンシング界において、東京五輪金メダルを期待される1人

1日8〜9時間の練習漬け

毎日の練習はランニングを中心とした朝練1時間のほか、午前と午後合わせて8~9時間。「すべては2020年東京五輪で金メダルを獲得するため」のフェンシングづけ。
周りからいろいろ言われ、悩んだ末の結論だったが、「後悔したことは一度もありません」ときっぱり、笑顔で言い切った。充実した時間を過ごし、目標に向かって日々、確実に成長していることを実感しているからだろうか。
「普段はお互い支え合っている友達ですけれど、やっぱりライバル。そういう人たちが近くにいるとモチベーションが上がります。練習場だけでなく、朝、起きるのがつらくても、ライバルが走っていればさぼるわけにもいかないし」
「一緒に食事していても、ライバルが栄養バランスを考えて食べているとサラダもいっぱい食べるし、嫌いなものも我慢して口にします。家では揚げ物、特に揚げワンタンが大好きで、そればっかり食べていましたけれど、そんなことしていられない。夜11時には消灯なので夜更かしできず、早寝早起き。規則正しい生活が身につきました。やっぱり、体調がいいですよ」
アカデミー生たちとともにメンタル講習会に参加する江村美咲(左から3人目)

実家にはあえて帰らない

実家はJISSから自転車で5分。しかし、「家が近いからいいよね」と言われるのが嫌で、帰るのは年末年始と夏休み、ゴールデンウイーク合わせて10日ほど。それも最近は大会と重なったりして、どんどん減っている。
ナショナルコーチの父とはよく会っているが、直接指導されることはなく、言葉を交わすこともほとんどない。昨年のアジア大会では試合前日、「重圧を気にせず、試合を楽しめ」とメールが来たぐらいだ。
愛犬のトイプードル「メロン」と会えないのが一番寂しいが、施設の周りをランニングする時間に合わせて時々、母が散歩で連れてきてくれる。メロンを抱きしめても、母とは交わす言葉は少ない。
「先日、久しぶりに父と話したら、『少しは成長したみたいね』と母が言っていたと聞いて、ちょっとうれしかったです」

五輪選手が隣にいる好環境

同じアカデミー生と言っても、中学生たちとは違う。大学生や社会人の先輩といえども、ライバルである。
それでも、オリンピックや世界選手権で修羅場を潜り抜けてきた選手の経験を聞けることはありがたい。緊張との付き合い方、モチベーションの高め方、試合での気持ちのコントロール……。
江村は「自分はどんどん聞きに行くほうだと思います」と言う。そして、教えてもらったことは何でも必ず試してみる。自分に合えば続けるし、合わないと思えばやめる。
先輩たちの試合や練習を観ていても、以前は「スゴイ!」としか思わなかったが、最近は「自分ならどうするか? 自分の戦いにどう生かせるか?」と考え、わからなければまた聞きにいく。

目指すは「ストーリーのある戦い」

取材時、父はナショナルコーチとして「世界一の選手でも、ランキングが30も40も下の選手にコロッと負けることがある。フェンシングというのは、それだけメンタルの要素が大きいスポーツなんです」と教えてくれたが、娘も「フェンシングの怖さがわかりかけてきた」と言う。
今、江村が目指しているのは、「ストーリーのある戦い」だ。
「ずっと感覚だけでやってきた気がします。自分のことだけを考えて。でも、強い選手は必ず相手のことを考え、技術的なことだけでなく、精神状態も見極めている」
「“ストーリーのある戦い”というのは、勢いだったり、たまたまできた相手のスキを突いて勝つことではなく、ワナを仕掛けて、そこに引っ張り込んで、手順を踏んでつくったスキを突く、斬る。そういう理詰めで、きちんと説明ができるということ。それがフェンシングの魅力でもあるわけですから」
「それでも、自分の持ち味である思い切りのいいアタックは大事にしたい。難しく、深く考えすぎずに、自然と体が動くというのも大切だと思います。緊張しすぎるのはよくないけど、自分は少し緊張したほうがいいタイプ。集中できますから。う~ん、フェンシングって奥が深いですね」
思考力と天真爛漫な性格も江村美咲の魅力

アジア2位から東京五輪金メダルへ

2014年は4月の世界ジュニア選手権(カデ15~17歳の部)3位、7月のアジア選手権準優勝、8月の南京ユースオリンピックでは個人戦4位ながら、大陸別団体戦で金メダルを獲得。
ところが、9月のアジア競技大会では格下の相手に不覚をとり、1回戦敗退。それでも団体戦では中国の個人銅メダリストを圧倒し、「格上でもやれる手応えと自分自身への課題を感じることができた」。
現在、江村はジュニアとシニア、両方の大会を掛け持ちで戦っている。シーズンが長くなり、肉体的にはかなり厳しい時期もあるが、ジュニアの大会でしっかり成績を残し、シニアでは相手との駆け引きを試し、学んだことを積極的に出す。そんな経験を積みながら、どこまで強くなっていくのか。16歳の可能性はとめどなく大きい。(文中敬称略)
(取材・文:宮崎俊哉、撮影:是枝右恭)
<連載「金メダリストの創り方」概要>
4年に1度行われるオリンピックは、スポーツ界で最も過酷な大会の一つだ。国中の期待を背負う重圧は壮絶極まりなく、目の前の相手はもちろん、自分との戦いに勝って初めて金メダルを獲得することができる。選ばれし者の舞台に立つまでにアスリートは自身をいかに鍛え、また各競技団体はどうやって世界一になれる選手を創り上げているのか。隔週金曜日にリポートする。